アテネオリンピック野球日本代表
美┃し┃さの秘密
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獲得メダル
野球
日本
オリンピック
2004野球

アテネオリンピック野球日本代表(アテネオリンピックやきゅうにほんだいひょう)はアテネオリンピックに出場した日本のプロ野球選手を編成したチームである。通称、長嶋ジャパン。
目次

1 概要

2 監督・コーチ

3 選手

3.1 投手

3.2 捕手

3.3 内野手

3.4 外野手

3.5 第22回アジア野球選手権メンバー

3.6 壮行試合メンバー


4 アテネ五輪アジア地区予選兼第22回アジア野球選手権の戦績

4.1 決勝リーグ


5 アテネ五輪の戦績

5.1 予選リーグ

5.2 決勝トーナメント


6 その他

7 関連リンク

8 外部リンク

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概要

プロ選手の参加が認められた2000年シドニー大会で、アマチュア主体のメンバーに松坂大輔らプロ8人を参加させた混成チームで出場しながら初めてメダルを逃した。そのため、日本球界が一丸となっての代表選定を目指して、監督に日本球界最大のスーパースターである長嶋茂雄巨人終身名誉監督を起用し、初めて全選手をプロ選手のみで構成する代表が編成された。

代表チームはオリンピック予選を兼ねたアジア野球選手権大会を全勝してアテネ大会への出場権を得るが、長嶋は大会を前にした2004年3月4日に脳梗塞のため入院。病状によっては監督交代という事態も取り沙汰され、星野仙一(前阪神監督)や原辰徳(現巨人監督)など具体的な名前も報道された。だが全日本野球会議は長嶋の早期回復を期待して、5月に長嶋体制の続行を決定する。6月25日の代表選手発表の会場には長嶋の姿は無かった。病状が回復した場合のアテネ行きも検討されたが、最終的に長嶋は医師団の判断を尊重して断念。結局、代表チームの指揮は監督経験が皆無である中畑清ヘッドコーチが執ることとなった。

また代表選出にあたっては、各球団の経営者側の判断によって、戦力への影響を公平にするとの目的で各球団から2名ずつに制限された。これは、アテネ大会の開催期間中にもプロ野球の公式戦が通常通り行われることから、いい選手を持ち、チームを優先させたい中日落合博満監督や阪神の岡田彰布監督らの希望でもあった。長嶋らは制限の撤廃を希望していたが実らず、本来の意味でのベストメンバーとはならなかった(例を挙げれば予選で活躍した中日の井端弘和はこの2人枠のためチームでは福留孝介岩瀬仁紀がいたため出場できなかった)。このことには、アテネ大会の現地解説をつとめた星野仙一が経営者側の近視眼的な判断と指摘するなど、批判の声も多かった。

日本代表は決勝進出を逃し、銅メダルに終わった。このことに関して、代表選出の方法はもちろん、スコアラー等の裏方スタッフの不備による情報収集の不備、そして柔軟性に欠ける中畑の采配にも問題点を見出すことができる。例えば、谷佳知など公式戦ではバントをほとんどしない主軸選手に送りバントを命じて失敗を招いたり、終盤のチャンスの場面で左投でサイドスローのウィリアムス(阪神)に対し左打者で、さらに普段チームメイトであり対戦の少ない藤本(阪神)をそのまま送り出す(※)など、型にはまった策が裏目に出る場面も多かった。シドニーでの敗因は現場ではなくプロ選手の派遣問題であったのに対し、アテネでは首脳陣の采配や裏方の不備にすべて責任があったとの声が聞かれる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki