アテナイ(アテーナイ Αθ?ναι)はギリシャ共和国の首都アテネの古名。中心部にパルテノン神殿がそびえるイオニア人の古代ギリシアの都市国家。名はギリシア神話の女神アテーナーに由来する。佐賀県ほどの領域を支配し、アッティカ半島の西サロニコス湾に面し外港ピレウスを有していた。
目次
1 アテナイの歴史
1.1 アテナイの成立
1.2 ペルシア戦争
1.3 全盛期のアテナイ
1.4 ペロポネソス戦争
1.5 アテナイの衰退
2 アテナイの政治
2.1 王政・貴族政
2.2 民主化の歩み
2.3 古代民主政の発展と確立
3 アテナイの経済
3.1 初期アテナイ経済
3.2 ギリシア世界の経済支配
3.3 ペロソポネス戦争とアテナイ経済圏の崩壊
4 アテナイの社会と文化
5 神話の中のアテナイ
6 関連項目
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アカイア人分派のイオニア人がアッティカ地方に定住したのは前2000年ころと推定され、紀元前1200年ころから紀元前1100年ころにかけてドーリア人の侵入をうけ周辺王国は次々と征服された。アテナイはこれを凌いで続く暗黒時代を通して王政を維持し存続した(もっとも、当時のアテナイは経済的に未熟で土地も肥沃ではなかったためにドーリア人が攻略するだけの価値を見出せなかったからとする説もある)。このころ代々の王家に代わって、移住者の子孫であるピュロス王家が成立する。
アテナイは立地条件を生かしエーゲ海や黒海を中心に海上の交易を中心に商業都市として発展していく。特にソロンの改革によって経済的に活性化された所が大きく、主に陶器の輸出や穀物の輸入など様々なものが扱われていく。また、アイギナとコリントスの経済を巡る覇権争いでは、当初はアイギナ側に立ったが後にコリントス側に移ってその優位を助け、後にコリントスが衰退の気配を見せるとこれにとって代わった。更にこの動きに拍車をかけたのはラウリウム銀山(Laurium)の存在である。その発掘の歴史は比較的後代に始まるとされるものの、ギリシア世界では殆どとれなかった銀を唯一大量にとれる同銀山の本格的な採掘が開始されると、瞬くうちにその豊富な資金力でアイギナ・コリントスに急迫してやがてギリシア最大の都市に躍り出たのである。
詳細はペルシア戦争を参照
海上交易への依存度が強かったアテナイを始めとしたギリシア諸ポリスは、小アジアにまで伸張してエーゲ海の制海権を奪おうとする大国アケメネス朝ペルシアと商業権益の対立を深めることになった。こうした中、当時アケメネス朝の影響下におかれていた小アジアにおいて、イオニア植民市の反乱が勃発した。これをアテナイが支持したことでアケメネス朝のダレイオス1世はギリシアに対して強硬策を採ることになり、ついにペルシア戦争が勃発した。これに対して、一部中立を保ったポリスもあったが多くのポリスは一致結束し、アテナイやスパルタを中心としたギリシア連合軍を結成した。そしてマラトンの戦い、サラミスの海戦、プラタイアの戦いなどでギリシア側が勝利を収め、アケメネス朝ペルシアの侵攻を撃退することに成功した。
ペルシア戦争に勝利し海上交易における覇権的地位を確立したアテナイは、ギリシア第一のポリスとなり、政治のみならず経済や文化の中心都市としても発展し、多くの人々がアテネに移り住んだ。また、前の戦争において市民による重装歩兵が都市の防衛の主役となったほか、海戦における軍艦の漕ぎ手として無産市民も活躍したことで彼らも政治的地位を向上させており、直接民主制による民主政治が確立されていった。こうした状況下で、優れた政治的指導者であるペリクレス将軍のもと、アテネは繁栄を謳歌していた。