アッバース革命
美┃し┃さの秘密
━┛━┛それは…

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アッバース革命は、イスラーム預言者ムハンマドの叔父、アッバースの子孫がウマイヤ朝を打倒し、750年アッバース朝を建てた事件。これは単なる王朝交替ではなく、イスラーム世界における反体制諸勢力やウマイヤ朝の支配に不満を抱く人々を広く巻き込んだ運動であり、アッバース朝の成立によってイスラーム世界のあり方が大きく変化したことから革命と呼ばれる。
目次

1 背景

2 経過

3 結果

3.1 革命協力者たちへの対応

3.2 カリフ権力の強化

3.3 ペルシア化

3.4 イスラーム化


4 歴史的意義をめぐる論争

5 関連項目

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背景

661年に成立したイスラーム史上最初の世襲王朝、ウマイヤ朝の正統性には当初から疑問が抱かれていた。初代カリフムアーウィヤは第一次内乱で正統カリフアリーと争った末にカリフ位についており、この経緯に反発した者たちはハワーリジュ派として地下に潜り、ウマイヤ朝の時代を通じて絶えず反体制運動を繰り返した。またムアーウィヤがそれまでの慣例に反して世襲制を導入したことや、その結果即位した2代目カリフのヤズィード1世がカルバラーでアリーの子イマーム・フサインを殺害したことなども各方面からの非難を招いた。さらにウマイヤ朝はアラブ人を優遇し、非アラブ人はたとえイスラームに改宗したとしてもマワーリーとして差別され、ジズヤ(人頭税)の支払いを課せられていた。そのうえ歴代カリフのほとんどがイスラームの戒律を軽視し、世俗的享楽に耽ったことも厳格なムスリムたちに批判された。

ウマイヤ朝治下では絶えざる反乱や蜂起が続いていたが、743年に有能な第10代カリフ、ヒシャームが死去したことによって王朝の衰勢は決定的なものとなった。主要な要因としては以下のものが挙げられる。

南アラビア系アラブ人の子孫と、北アラビア系アラブ人の子孫の対立

それを背景とした宮廷の内紛とカリフ位をめぐる争い

無能なカリフの続出

ハワーリジュ派による反体制運動の激化

シーア派の影響力拡大と反体制運動の激化(ザイド派の反乱など)

ウマイヤ朝の支配に対する非ムスリムやマワーリーの不満と、イラン人(ペルシア人)民族主義の台頭(シュウービーヤ運動)

こうした社会的混乱が広がるなかに、預言者ムハンマドの叔父の末裔・アッバース一族が登場し、各地の不満分子を利用しながら自らの権力獲得を目指すことになる。


経過

ウマイヤ朝治下においてアッバース一族はハーシム家の一員として尊敬を集めていたものの、政権からは遠ざけられていた。しかし混乱が広がりウマイヤ朝の支配の正統性に各方面から疑問が投げかけられるなかで、アッバース一族はウマイヤ家以上に預言者に近しい血脈を利用し、イスラーム世界の支配権を要求した。アッバース家の当主ムハンマドは死海南部の小村フマイマを本拠にハーシミーヤという秘密結社を組織し、各地にダーイー(秘密教宣員)を派遣してウマイヤ朝への不満を煽動しはじめた。伝統的に反ウマイヤ朝の気風が強い南イラククーファにも重要な支部がおかれた。

ハーシミーヤのダーイーたちは多くの場合「アッバース家一族のカリフ位推戴」という最終目的を隠しつつ、ハーシム家の一員をカリフとするという目的において共通するシーア派と結び、いたるところで反乱を組織した。ダーイーたちのうちで最大の成功をおさめたのはホラーサーンに派遣されたアブー・ムスリムで、彼は747年に8000人のホラーサーン人を率いて挙兵し、翌年にホラーサーンの中心都市メルヴを占領。ウマイヤ朝の総督ナスル・イブン・サイヤールを殺害し、大軍を西方に派遣した。ホラーサーン軍はイラン各地の諸都市を次々に制圧し、749年夏にはイラクに達した。

しかしアッバース一族が密かにこの運動を指導しつつフマイマ村に潜んでいることはウマイヤ朝側の察知するところとなり、ムハンマドのあとを継いでアッバース家の当主となったイブラーヒーム・イブン・ムハンマドは捕えられ、749年8月にハッラーンで処刑された。イブラーヒームの弟アブー・アル=アッバースら14人は脱出に成功し、クーファに潜入した。

イラクに入ったホラーサーン軍は9月にクーファを降した。ここでアッバース一族が姿を現し、11月28日(10月30日とする資料もある)にホラーサーン軍によってアブー・アル=アッバースがカリフとして推戴された。これがアッバース朝初代カリフのサッファーフである。ウマイヤ朝のマルワーン2世はイラク北部の大ザーブ河畔でホラーサーン軍に抵抗するが、750年1月に大敗し、エジプトで殺害された。ウマイヤ朝の都ダマスクスも4月に陥落し、ウマイヤ朝の王族のほとんどが殺害された。このとき辛うじて逃亡に成功したアブド・アッラフマーンイベリア半島に奔り、この地に後ウマイヤ朝を建てることになる。


結果


革命協力者たちへの対応

アッバース家は各地に放ったダーイーを通じてシーア派やカイサーン派など不満分子の力を利用した。しかしシーア派が夢みたアリー家イマームのカリフ推戴は実現せず、アッバース朝確立後にはかえって不穏分子として弾圧されるようになる。また革命に貢献したアブー・ムスリムらの功臣たちも、あまりにも強大な力を持つために王朝の安定を損なうものとして粛清された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki