公用語アラビア語
首都バグダード
サーマッラー
カリフ
750年 - 754年アブー=アル=アッバース
1242年 - 1258年ムスタアスィム
面積
最大版図10,000,000km2
人口
最盛期50,000,000人
変遷
建国750年
ブワイフ朝バグダード入城945年
セルジューク朝バグダード入城1055年
滅亡
アッバース朝(?????? ???????? al-Dawla al-‘Abb?s?ya)は、中東地域を支配したイスラム帝国第2の世襲王朝(世俗王朝として750年 - 1258年、カリフ位は750年 - 1517年)。後ウマイヤ朝を西カリフ帝国、アッバース朝を東カリフ帝国と呼称する場合もある。イスラム帝国という呼称は特にこの王朝をさすことが多い。首都はバグダード、サーマッラー。1258年、アッバース朝滅亡後のカリフはマムルーク朝が支配するカイロに幽閉された。 イスラム教の開祖ムハンマドの叔父アッバースの子孫をカリフとし、最盛期にはその支配は西はモロッコから東は中央アジアまで及んだ。 アッバース朝の国旗は黒色であり、これはウマイヤ朝の白色に対抗したものである。ウマイヤ朝の白色、アッバース朝の黒色、ファーティマ朝の緑色は現在のイスラム諸国の国旗の色としてよく見られる。
目次
1 アッバース朝の成立
2 アッバース朝の発展と衰退
3 権力喪失から滅亡へ
4 カイロのアッバース朝カリフ
5 歴代カリフ
5.1 バグダード・アッバース朝
5.2 カイロ・アッバース朝
6 参考書籍
7 外部リンク
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アッバース朝の成立820年頃のアッバース朝の版図(黄緑)
アッバース家は、ウマイヤ朝時代末期にウマイヤ家と異なってムハンマドに近しい血を引くことから支持を集めた。745年頃アッバース家の当主イブラーヒームによってイラン東部のホラーサーン地方に派遣されアッバース家支持の教宣活動を行っていたアブー・ムスリムは、この地でアッバース家の決起を望む人々と、ウマイヤ朝よりもムハンマドの血筋に近い者のもとに支配されることを望むシーア派に近い人々を糾合して747年に蜂起し、749年に当時のイラクの中心都市クーファを占領、ここにイブラーヒームの弟アブー=アル=アッバース(サッファーフ)を迎えて新しいカリフに推戴した。翌750年、アッバース朝はダマスカスに拠るウマイヤ朝を破って最後のカリフ、マルワーン2世を敗死させ、完全な王朝交代を成し遂げた。ウマイヤ家のアブド・アッラフマーン1世はシリアからイベリア半島まで命からがら逃亡し、後ウマイヤ朝を建国した。
このアッバース革命とも呼ばれる新王朝創設の過程は、イランにおいて起こったことから、ウマイヤ朝時代に抑圧されていた非アラブ人のペルシア人の役割が大きかったとするのが通説である。事実、ウマイヤ朝時代にはアラブ人には課されていなかったハラージュがアラブ人に対しても課されるようになり、アラブも非アラブもムスリムであれば名目上全く差別されない制度が完成した。