よゐこは、日本のお笑いコンビ。所属事務所は松竹芸能。ともに大阪府大阪市出身、大阪市立汎愛高等学校卒。
目次
1 メンバー
2 来歴
3 芸風
4 出演番組
4.1 出演している番組
4.1.1 テレビ番組
4.1.2 ラジオ番組
4.2 過去の出演番組
4.2.1 テレビ番組
4.2.2 テレビドラマ
4.2.3 ラジオ番組
5 CM
6 連載
7 書籍
8 関連人物
9 外部リンク
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メンバー
有野晋哉(ありの しんや、1972年2月25日 - 、ボケ担当)
濱口優(はまぐち まさる、1972年1月29日 - 、ツッコミ担当)
同学年の濱口と有野は別の中学に通っていたが、通っていた塾が同じであったため仲良くなる。有野の方が成績が良かったが、有野が受験する高校のランクを下げたため濱口と同じ高校に進学する。高校卒業後の1990年、既に東急ホテルのコックに就職していた有野を濱口が「芸能界に入れば酒井法子と結婚できる」という言葉で誘いコンビ結成。「吉本はライバルの若手芸人が多い、松竹なら簡単に売れる」という理由で、吉本興業ではなく松竹芸能の養成所を選んでいる。同世代で吉本を選んだナインティナインは、この理由について「あいつらは賢い」と評している。
初舞台当時のコンビ名は「有野&濱口」。その後コンビ名を「なめくぢ」にするが、それでは売れないと事務所と北野誠に改名を促され、現在の「よゐこ」に改名した。「ゐ」の字を使ったのは事務所へのささやかな反抗だった。しかしこの字については、「よぬこ」や「よるこ」とあえて間違えられることが多々あり、実際に「よるこ」というテレビ番組を持った事もある。
コンビ結成後、早いうちに東京進出。テレビ番組『とぶくすり』などでコアなお笑いファンなどに知られるようになり、その後、90年代中盤から『ウッチャンナンチャンのウリナリ』・『めちゃめちゃイケてるッ!』・『笑っていいとも!』などで露出が増えるようになった。また、ある日大阪に来ていたスチャダラパーがよゐこの存在を知り、生で見たいという理由から、友人である渡辺満里奈のラジオ番組にゲスト出演。この後「満里奈がファンらしいから使ってみるか」という話になり、全国ネット進出の足がかりを掴んだ。
1992年1月、第13回ABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞。授賞式では緊張していた様子を観客に「斜に構えて生意気」と受け取られたため大ブーイングを浴びてしまった。またこの日の『ナイトinナイト』に、受賞者全員がゲスト出演した際に、番組終わりの最後の一言で、濱口が「劇場に出ているような芸人にはなりたくない」と発言し、場を凍り付かせた。
上記のエピソードのように、若手時代は先輩から礼儀で注意される事が多く、笑福亭鶴瓶やミスハワイなどから注意を受けたことがある。
現在はそれぞれが単独でテレビ出演する機会も多くなっている。当初は、『いきなり!黄金伝説。』の節約コーナーなどに出演する、濱口の収入が多い事をネタにしてたが、その後は『ゲームセンターCX』のDVDがヒットした有野の方が収入が多い事をネタにしている。
年1回夏冬にそれぞれ単独ライブ(よゐこライブ)を開催している。このうち夏のライブは「よゐこのこども祭り」と題し、4歳から12歳までの子供を対象にしており、大人と子供(4歳~12歳)での参加が必須条件となっており、大人同士、子供同士でのチケット購入はできない。また、4歳以下の子供も入場することができない。小学館学年誌「小学一年生?六年生」では、先行予約も行っている。
コンビのネタは有野が作成し、漫才ではなくコントを主体としている。その内容は不条理や意味不明と形容され、シュールと称される事が多い。初期段階よりシュールなコントが売りになっており、お笑いニューウェーブ等では、シュールコントの元祖として紹介されていた。一般にコントにおいてはボケとツッコミという構成が定式であるが、よゐこの場合、ツッコミ担当の濱口が極度の“天然ボケ”であるため、結果的に「よゐこには、ボケ・ツッコミの観念が無い」との認識がなされており、それが彼ら独自の芸風になっている。よゐこ自身は早いうちから「有野がボケ、濱口はそれに対する戸惑いでツッコミではない」としている。しかしテレビ等でのやりとりから「濱口がボケで有野がツッコミ」と認識している人も多い。因みにシュールさを倍増させる台詞の『棒読み』は、敢えてしていたという徹底ぶり。しかし、最近ではベタなパターンに変わってきている。
テレビやイベントなどでは、コンビのボケ役でない方が司会進行役を務めるという、定石どおりの役割分担をしていたが、ウッチャンナンチャンの南原清隆から「よゐこは有野が仕切をした方が良い」とのアドバイスを受け、また濱口の「天然ボケ」が広く認知された事や、近眼でカンペなどを濱口が読めないことなどから[1]、有野が進行役をするようになった。