平仮名(ひらがな)は日本語の表記に用いられる音節文字である。仮名の一種で、万葉仮名を起源として成立した。楷書ないし行書で表現される万葉仮名を、極度に草体化して作られている。
目次
1 概要
2 平仮名の一覧
3 歴史
4 参考文献
5 関連項目
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現代の日本語で最も基本的な文字であり、主に次のような場面で用いられる。
文章の表記に用いる場合
仮名交文
音を示すことを目的とする場合
漢字の音(訓読み、振り仮名・ルビを参照)
和製漢字を含む漢字に、該当するものがない和語
日本語の初学者を対象とする、他の文字の代替
一般と異なる表記による効果を目的とする場合
書道の一分野である「かな」に用いる場合
太平洋戦争後、学習指導要領の制定により、日本の学校教育では平仮名が最初に教えられるようになっている。
それぞれ下の行に字源となる漢字を示す。
あ段い段う段え段お段
あ行あいうえお
安以宇衣於
か行かきくけこ
加幾久計己
さ行さしすせそ
左之寸世曽
た行たちつてと
太知川天止
な行なにぬねの
奈仁奴祢乃
は行はひふへほ
波比不部保
ま行まみむめも
末美武女毛
や行やゆよ
也由与
ら行らりるれろ
良利留礼呂
わ行わゐゑを
和為恵遠
ん
无
「ゐ」「ゑ」は、現在歴史的仮名遣においてのみ用いられる。
空海が平仮名を創作したという伝承があるが、これは俗説に過ぎない。平仮名の元となったのは、楷書ないし行書で表現される万葉仮名である。「あ」は「安」、「い」は「以」に由来するように、万葉仮名として使用されていた漢字の草体化が極まって、ついに元となる漢字の草書体から独立したものが平仮名と言える。
すでに8世紀末の正倉院文書には、字形や筆順の上で平安時代の平仮名と通じる、なかば草体化した万葉仮名が見られる。また9世紀中頃の『藤原有年申文』(867年)や同時期の『智証大師病中言上艸書』などの文書類にも見られる、これら省略の進んだ草書の万葉仮名を、平仮名の前段階である草仮名(そうがな)と呼ぶ。そして宇多天皇宸翰『周易抄』(897年)では、訓注に草仮名を、傍訓に片仮名を、それぞれ使い分けており、この頃から平仮名が独立した文字体系として次第に意識されつつあったことが窺える。
9世紀後半から歌文の表記に用いられていた平仮名が、公的な文書に現れるのは、醍醐天皇の時代の勅撰和歌集である古今和歌集(905年)が最初である。その序文は漢文である真名序と平仮名で書かれた仮名序の二つが併記された。また935年頃に紀貫之が著した『土佐日記』について、後にその原本の最終帖を藤原定家が臨模したものが伝存しており、当時すでに後世の平仮名と同じ字体が用いられていたことを確認できる。951年の『醍醐寺五重塔天井板落書』になると、片仮名で記された和歌の一節を平仮名で書き換えており、この頃には平仮名は文字体系として完全に独立したものになっていたと考えられる。なお、平仮名という言葉が登場するのは16世紀以降のことであり、これは片仮名と区別するため、「普通の仮名」の意で呼ばれたものである。
貴族社会では女性或は私的な場で用いるものとされ、女流文学が平仮名で書かれた以外にも、和歌、消息などには性別を問わず平仮名を用いていた。そのため女手(おんなで)とも呼ばれ、平仮名による最初期の文学作品である紀貫之の作品『土佐日記』も作者が女性であるという前提に立って書かれている。平仮名で書かれたものは、漢文のものより地位が低く見られていたが、中国との公的交流が絶えて長くなるにつれて、勅撰の和歌集に用いられるまでに進出した。