日曜日(にちようび)は、土曜日と月曜日の間にある週の一日。週の始まりを日曜日と考えると1日目、週の始まりを月曜日と考えると7日目となる。カレンダーでは赤色で表記されることが多い。名称は、七曜のひとつである太陽にちなむ(英語の ⇒Sunday、ドイツ語のSonntag、オランダ語のZondagも同じ)。
目次
1 起源・沿革
1.1 ヘレニズム
1.2 キリスト教国教化
1.3 東アジアへの伝播
1.4 休日としての普及
2 振替休日
3 交通状況
4 呼称
5 日曜日に発生した歴史的事件
6 「日曜日」を語源とする文物
7 「日曜」を冠した番組
7.1 テレビ
7.2 ラジオ
8 日曜日に関する作品
8.1 映画
8.2 楽曲
9 関連項目
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ヘレニズム
ヘレニズム文化が発達した地中海世界で、太陽が支配する曜日として紀元前1世紀に初登場し、途絶えることなく現代に伝わっている。占星術により、土曜日は不吉とされて外出などが忌避されたかわりに日曜日は吉日となった。
キリスト教国教化
1世紀以降、インド・ペルシャの太陽神(ミスラ)を主神とするミトラス教がローマ帝国に流入し、広く信仰された。 古代、太陽神が広く信仰されていた時代は日曜日が礼拝日であったという。
キリスト教では、福音書(1世紀に成立-キリスト教年表参照)の通り、イエスはユダヤ人の安息日(土曜日)の翌日に復活したと信じられるが、後に、これを記念するとして、毎週日曜日に教会で礼拝が行われるようになった。
4世紀、ローマ帝国がキリスト教を国教と定めたときに、異教徒を広く帰依させるために礼拝日を揃え、このため、キリスト教の礼拝日は日曜日となったともいわれる。2世紀以降、ローマ教会は毎年の過越(陰暦14日)の聖餐をせず、土曜日が終わるまで断食し、日曜日に聖餐をするようになった。その後4世紀になって、ローマ帝国では日曜日を休日とし、休業するように皇帝(コンスタンティヌス1世)が命じた。キリスト教などの全ての宗教を公認した皇帝であるが、国教は定めなかった。ローマ教会の影響力が増し、パスカ(過越)の聖餐を守ってきた小アジアの教会の主張は退けられ、休日とされた日曜日に変更するよう決められた。
東アジアへの伝播
東洋では密教僧が翻訳または著作した経典-宿曜経に登場し、唐から平安時代の日本にも伝えられ、「密」とも呼ばれ、また、暦に加えられて近代に到ったが、西洋で伝わった日曜日と同一である。なお、戦国時代に関東地方に伝わった曜日は誤りがあり、江戸時代になって訂正されたことがある。
律令制の下で官司には既に6日周期の定休日(常假)があったため、改めて7日周期の週を実用に供する余地はなかった。ただし、仏僧は7日周期の法要(中陰)を行ってきた。
休日としての普及
キリスト教圏では一般にこの日は休日であるほか、現在ではキリスト教圏以外でも日曜日を休日とする習慣が広がっている。
密教の宿曜経で日曜は大吉日とされ、旅行などが吉とされているため、仏教においても日曜日は休日にふさわしいといえる。
日本では欧化政策(文明開化)の中で導入され、市町村役場、初等学校などを通じて地方に普及したが、法律上では「行政機関の休日に関する法律」で、行政機関の休日を日曜日としているだけに過ぎず、全国共通して日曜日を休日と定める法律はない。ただし、振替休日の規定は、日曜日を休日であるという前提に基づいている為、事実上、日曜日が休日であると認識されている。
官庁では1876年の日曜日導入まで五十日(ごとおび)の翌日と朔(ついたち:月の初日)を公休日としていた。しかし、人口の大多数を占めた農家には農作業を休む日として毎月定例の「市」が立つ日、「講」の集まりがあるほかは、毎週の定休日は無く、むしろ、農繁期には家業を手伝わせるため学校も休校した。1945年以前、ところにより月1回の一斉休業日が設けられるにとどまる。
イギリスで1802年に世界初の「工場法」ができ、以後、20世紀にかけて世界各地では労働運動を背景として、雇用主は労働者に週1日の休みを与えるよう法制化された。
国・地域によっては、労働者の権利として認められるのは遅く、たとえば、ポルトガルが週6日労働を法制化したのは1911年であり、1918年南米コロンビアでは、農園労働者が週6日労働などを要求して長期のストライキを闘ったが敗北に終わったことがある。