そうぞう
★制服でHなバイト★
1日5万円★日払い★

[Wikipedia|▼Menu]

政党そうぞう
Political group of OKINAWA revolution代表當間盛夫
成立年月日2005年12月27日
本部所在地沖縄県那覇市おもろまち3-4-8
衆議院議員1 /480
2006年5月1日現在)
参議院議員0 /242
2007年7月29日現在)
党員・党友数未公表
政党交付金0円
(非交付団体)
政治的思想・立場保守
ウェブサイト ⇒政党そうぞう
 ・編・歴 

政党そうぞう(せいとう - 、Political group of OKINAWA revolution)は、日本政治団体地域政党沖縄県を拠点に活動している。

衆議院議員下地幹郎が代表を務め、沖縄県内の市町村議会議員らで構成されていた「政策集団そうぞう」を改組する形で2005年12月27日に設立。同日付で沖縄県選挙管理委員会に「政治団体そうぞう」として届け出た。2006年9月19日に再び組織の改変を行い、団体名を「政党そうぞう」に変更した。

地方議会に多数の所属議員を持つなど地域政党としての規模は新党大地よりも大きい。
目次

1 概要

2 所属議員

3 党勢の推移

3.1 衆議院

3.2 参議院


4 脚注

5 関連項目

6 外部リンク

//


概要

下地は2003年10月の国会解散時までは自由民主党に所属していたが、同党と公明党の選挙協力に反発して無所属で第43回衆議院議員総選挙に出馬し落選。その後、2005年9月の総選挙では民主党沖縄社会大衆党を始めとする革新勢力の協力も取り付けて公明党公認の白保台一(公明党副幹事長、沖縄方面議長)に勝利し、衆議院議員に復帰した。

2006年5月現在は地方議員を中心に約60名が所属しており、那覇市浦添市宜野湾市名護市宮古島市などで会派が結成されている。

2006年の沖縄県知事選では、民主党沖縄県連代表喜納昌吉などが下地の立候補を打診したが、沖縄社会大衆党糸数慶子擁立が濃厚となったため、出馬を断念。糸数支援の条件として、日米安保条約堅持などの協定を求めたが、革新勢力からの反発は強く折り合わなかった。その結果、糸数の推薦を見送り、より弱い「支持」を表明した。

2007年の参議院補欠選挙(参議院議員であった糸数の辞職による)では、野党統一候補の狩俣吉正から支援の申し入れを受けた。しかし、日本共産党が狩俣との政策協定で日米安保条約反対を約束させたことに反発。「勝たせたい候補としては狩俣氏で全会一致」と評価しつつも、党としては自主投票を決定した。同年7月の第21回参院選でも、沖縄県選挙区では元職・糸数の推薦を見送り自主投票とする一方、衆議院で統一会派を組む国民新党の公認で比例区に出馬した代表代行・呉屋宏に対する支援を中心に活動した。

沖縄県議会では、2008年6月8日の県議選直前まで民主党と統一会派「維新の会」を結成していた。県議選に際しては仲井眞弘多知事の政治姿勢に対して「中立」を宣言、那覇市で現職の當間盛夫を公認し2004年よりも得票を伸ばして当選。他の選挙区では主に民主党や沖縄社会大衆党と共同で野党系無所属候補を推薦し2名が当選、与野党逆転に一定の貢献を果たした。しかし、改選前の定数1から定数4へ勢力を拡大した民主党と統一会派結成について折り合いが付かず、推薦した無所属議員2名と新会派「改革の会」を結成。統一会派の扱いに関しては県議会招集後に改めて民主党と協議することとなった[1]

2008年8月11日 党新代表に當間盛夫沖縄県議会議員が就任。下地幹郎衆議院議員は顧問に就任したが、9月13日、政権交代を理由にそうぞうを離党し国民新党に入党した。


所属議員

衆議院では、国民新党と院内会派(統一会派)「国民新党・そうぞう・無所属の会」を組んでいた。国民新党では、そうぞう代表代行の沖縄県議会議員・呉屋宏を第21回参院選の比例区に擁立、呉屋はそうぞうから国民新党に移籍した。国民新党は沖縄県内に強い布陣を敷いているそうぞうと連携することで、参院選での比例票を伸ばすことも期待した。結果、国民新党は沖縄県内で50,073.465票(得票率8.42%。そのうち、呉屋の個人票は42,761.095票)を獲得し、一定の成果を上げた。しかし、呉屋は10名中5位(当選1名)に終わり、議席には届かなかった。現在は、下地(沖縄県第1区選出)の離党・国民新党入党に伴い、議席は0となっている。



無料のエ○本?高画質
動画も対応オススメ!

[次ページ]
[オプション/リンク一覧]
[記事の検索]
[おまかせ表示]
[トップページ]
[ニュースをチェック!]
[列車運行情報]
Size:12 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki