すり鉢(すりばち、擂り鉢)とは、食材を細かな粒子状に砕いたり、ペースト状にすりつぶす加工を行うための調理器具である。形状は「すり鉢状」という言葉があるように、円錐を逆にしたような形で、下がすぼまり上に行くほど径が大きくなる。鉢の内側には櫛目(放射状の縦の溝)が付けられており、溝に食材が引っかかるために、少ない力で効率よくすりつぶせる。棒状のすりこぎと対で使われ、すり鉢の内側にこすり付けるようにすりこぎを左に回して材料をすりつぶして行く。なお、「する」という言葉が博打や商売で「お金をする」につながるとの語呂合わせから、縁起をかついであたり鉢、あたり棒と呼ばれることも多い。そのためすり鉢でする行為をあたると表現する事もある。
すり鉢の大きさは寸(または号)で表される。目安としては、7寸で1〜2人用、8寸で3〜4人用、9寸で5〜6人用である。すり鉢は、一般的に大きめの方が使い勝手が良いといわれている。
すり鉢は、狭義には上記に示した日本独自の調理器具であるが、広義には日本以外で利用されている同様の目的をもった調理器具も便宜上すり鉢と呼ぶことがある。
すり(擂)鉢が最初に登場したのは、鎌倉時代中葉から後半、すなわち、13世紀末〜14世紀初頭頃で、備前焼の窯(グイビ谷窯、熊山山頂9号窯など)で発見されている。16世紀頃から口縁部に縁帯をもつすり鉢が生産され、擂り目も隙間を埋め尽くすように施されるようになる。「備前すり鉢投げても割れぬ」と称され関西方面では他の器種とともに圧倒的なシェアを誇った。備前のすり鉢を横から見た形状は底部から丸く立ちあがるので、半球形に近い。信楽焼の窯では、15世紀初頭の五位ノ木窯で擂り目が1条1単位のものが出現し、15世紀中葉から後半頃の長野3号窯や東出窯で擂り目4条1単位のすり鉢が出現する。16世紀後半になると7本1単位の擂り目を隙間を埋め尽くすかのように施すようになる。瀬戸焼では、15世紀前半から中葉ころ(古瀬戸後期様式)の窯で擂り目6本1単位のすり鉢が生産され始める。その後15世紀末に10〜12本1単位の擂り目を10〜12方向に放射状に施すすり鉢が出現し、16世紀の大窯期にさらに擂り目をぎっしりと施すようになる。横からみた形状は富士山を逆さにして潰したような円錐状である。このほか越前焼でもすり鉢が少なくとも室町時代から生産されており、丹波焼については、14世紀中葉から後半にかけての時期に1条1単位のものが現れる。焼き締め陶で丈夫であることから江戸時代前半(17世紀)にはまたたくまに関東までのシェアを誇った。しかし、18世紀になると、備前を模倣し半球形を呈する堺産のすり鉢に東日本のシェアを奪われてしまう。以後、堺産は、その堅牢さから徐々に東日本で瀬戸美濃産のすり鉢も圧倒し、明治時代までその傾向が続く。常滑焼については中世を通じて捏ね鉢しか生産されなかった。また15〜17世紀にかけて、瓦質と呼ばれるもろい土器のすり鉢が生産されている
すり鉢は、口縁部の変化や擂り目の量の変化(新しくなるにつれて擂り目が増える)が著しい遺物であるため、考古学において遺跡の年代を決める編年の資料に使われることがある。
すり鉢を使う代表的な料理
胡麻和え
白和え
胡麻豆腐
つみれ
がんもどき
冷や汁(宮崎県の郷土料理)
関連項目
石皿
山椒(サンショウ)
カテゴリ: 調理器具 | 日本の食文化
更新日時:2008年1月20日(日)16:25
取得日時:2008/08/26 16:22