お歯黒(おはぐろ)は明治時代以前の日本や中国南東部・東南アジアの主として既婚女性、まれに男性などの歯を黒く染める化粧法である。
目次
1 日本
1.1 名称
1.2 歴史
1.3 染料
1.4 現在お歯黒を見ることができる場所等
1.5 迷信・都市伝説・等
2 中国・東南アジア・等
3 参考文献
4 外部リンク
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日本では古代から存在したとされ、民間には明治時代末期まで見られた。漆のような艶のある真っ黒が美しいとされた。
「お歯黒」というのは日本の貴族の用語である。「おはぐろ」の読みに鉄漿の字を当てることもある。御所では五倍子水(ふしみず)という。民間では鉄漿付け(かねつけ)、つけがね、歯黒め(はぐろめ)はなどとも。
歴史
古墳に埋葬されていた人骨や埴輪にはお歯黒の跡が見られる。
山海経に黒歯国(『三国志 (歴史書)』魏志倭人伝では倭国東方)があると記述がある。(『源氏物語』末摘花の注では「歯黒 山海経云東海有黒歯国其俗婦人歯志黒染 」とある。)
753年に鑑真が持参した製法が東大寺の正倉院に現存する。
お歯黒に関する言及は『源氏物語』、『堤中納言物語』にもある。平安時代の末期には、第二次性徴に達し元服・裳着を迎えるにあたって女性のみならず男性貴族、平氏などの武士、大規模寺院における稚児も行った。特に皇族や上級貴族は袴着を済ませた少年少女も化粧やお歯黒、引眉を行うようになり、皇室では幕末まで続いた ⇒[1]。
室町時代には一般の大人にも浸透したが、戦国時代に入ると政略結婚に備えて8?10歳前後の戦国武将の息女へ成年の印として鉄漿付けを行ない、このとき鉄漿付けする後見の親族の夫人を鉄漿親(かねおや)といった。また、一部の戦国武将(主に小田原北条家をはじめとする平家系)は戦場に赴くにあたり首を打たれても見苦しくないように、ということから女性並みの化粧をし、お歯黒まで付けた、という。これらの顔が能面の女面、少年面、青年面に写された。
江戸時代以降は皇族・貴族以外の男性の間ではほとんど廃絶、また、悪臭や手間、そして老けた感じになることが若い女性から敬遠されたこともあって既婚女性、未婚でも18?20才以上の女性、及び、遊女、芸妓の化粧として定着した。農家においては祭り、結婚式、葬式、等特別な場合のみお歯黒を付けた(童話ごんぎつねにもその描写がある)。
1870年2月5日、政府から皇族・貴族に対してお歯黒禁止令が出され、それに伴い民間でも徐々に廃れ(明治以降農村では一時的に普及したが)、大正時代にはほぼ完全に消えた。
現代においては、演劇、花街、一部の祭り、1960年代頃までの時代劇映画(大映、等)のDVD、等で見ることができるだけである。
尚、お歯黒は引眉とセットになる場合が多い。
以上をまとめると、以下の通りである。
平安時代
皇族・平安貴族(元服・裳着後(袴着後の少年少女もする場合あり)、男女、未既婚を問わず)
主に平家の武将(源氏は付けない場合が多かった)
大規模寺院における稚児
戦国時代
政略結婚させられた、またはさせられそうな幼い姫君
一部の戦国武将(以上は何れも眉を剃り、殿上眉を描く)
江戸時代
都市部の既婚女性全般(引眉する、但し武家では出産後に引眉する)
18?20才以上の未婚女性(引眉する場合としない場合有り)
遊女(江戸、上方、共、一人前、引眉しない)
芸妓(上方のみ、一人前、引眉しない/江戸は付けない)
現代
演劇、花柳界、一部の祭り、等
鉄漿を「かね」と読むと、染めるのに使う液を表す。 主成分は鉄漿水(かねみず)と呼ばれる酢酸に鉄を溶かした茶褐色・悪臭の溶液で、これに五倍子粉(ふしこ)と呼ばれる、タンニンを多く含む粉を混ぜて非水溶性にする。主成分は、酢酸第一鉄でそれがタンニン酸と結合して黒くなる。歯を被膜することによる虫歯予防や、成分がエナメル質に浸透することにより浸食に強くなる、などの実用的効果もあったとされる。