ええじゃないかは、日本の江戸時代末期の慶応3年(1867年)7月から翌明治元年(1868年)4月にかけて、東海道、畿内を中心に、江戸から四国に広がった民衆運動である。仮装などをして囃子言葉の「ええじゃないか」などと連呼しながら、集団で町々を巡って踊った。平凡社マイペディアでは、慶応3年8月4日(1867年9月1日)、東海道の御油宿(愛知県豊川市御油)に秋葉神社の火防の札が降下したのが最初という。
目次
1 概要
2 発端をめぐる諸説
2.1 ええじゃないか豊橋発端説
2.2 慶応2年(1866)2月4日 御鍬社百年祭 岩津(岡崎市)
3 参考文献
4 映画
5 関連項目
6 外部リンク
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岩倉具視の岩倉公実記によると、京の都下において、神符がまかれ、ヨイジャナイカ、エイジャナイカ、エイジャーナカトと叫んだという。八月下旬に始まり十二月九日王政復古発令の日に至て止む、とあり、明治維新直前の大衆騒動だったことがわかる。また、ええじゃないか、の語源は、京の都下で叫ばれた言葉であったようだ。
今年は世直りええじゃないか(淡路),日本国の世直りはええじゃないか,豊年踊はお目出たい(阿波),御かげでよいじゃないか,何んでもよいじゃないか,おまこに紙張れ,へげたら又はれ,よいじゃないか(淡路)という性の解放,長州がのぼた,物が安うなる,えじゃないか(西宮),長州さんの御登り,えじゃないか,長と醍と,えじゃないか(備後)の政治情勢を語るもの,などがあった。
同時代には、「おかげ」「おかげ騒動」「おかげ祭」「お下り」「御札降り」「大踊」などと呼ばれていた。呼称は地域により多様であった。
江戸時代には約70年周期 元和3年(1617)、慶安年間(1648〜52)、宝永2年(1705)、明和8年(1771)、文政13年・天保元年(1830)というように「お蔭参り」(庶民が奉公先から抜け出し、伊勢参りに出かける)現象が自然発生的に繰り返されている。いずれも期間は3箇月から5箇月で終わっている。
明和のお陰参りの記録では300〜400万人が伊勢に殺到した(十代将軍徳川家治の時代であり、享保年間の日本の人口統計では約2200万人であった)文政13年のお蔭参りは3箇月で約500万人が伊勢に押しかけたと記されている。
お蔭参りに参加する者に対しては、大商人があって、店舗や屋敷の解放、弁当・草鞋の配布を行った。江戸のバブル期後の抑圧された世相の打ち壊しを避けるための「ガス抜き」の意味があったという説もある。
豊橋市図書館所蔵の留記;1988年発行(森田光尋著)原本:森田家文書(刊年不明)によると、慶応三年、七月十四日に、御祓いと記載され、この御祓いが、伊勢神宮の札とという。
1983年に製作されたアニメのまんが日本史(日本テレビ系列)では、幕末のええじゃないか騒動発祥は、名古屋になっていて、ここ20年くらいの間に豊橋発祥説が登場しているので、新旧史料の取り扱いには注意を要する。
岩津の「御鍬祭り」が、ええじゃないか騒動とのつながりを指摘する説。
参考文献
高木俊輔 『ええじゃないか』 教育社歴史新書、1979年、238頁。
関連項目
日本史の出来事一覧
外部リンク
⇒続・岩津風土記
⇒NHK「その時歴史が動いた」台本訂正要望
カテゴリ: 江戸時代 | 幕末 | 1860年代 | 愛知県の歴史
更新日時:2008年7月24日(木)11:35
取得日時:2008/08/24 04:40