あひる艦隊(あひるかんたい)は、コミックバンド・音楽ショウ。
1940年に木下華声が新興演芸に移った際に中心になって結成され、「あきれたぼういず」等のボーイズと肩を並べていた。戦後にメンバーが一新され再編成された。1959年には森井良太郎と山名偉三郎が分裂し同時期に2つの「あひる艦隊」が存在することになる。
メンバー
第1次
第2次(戦後再編成)
森井良太郎(本名:同じ、1909年 - 1971年)、リーダー、トランペット担当。
愛知県名古屋市新栄町の生まれ、両親が芸能関係だったため、小さい頃からピアノを習う。26歳で名古屋の大宝館の専属バンドマンとなる。バンドマスターの山田光三郎に認められ「あひる艦隊」に加入。分裂後は吉本系の「あひる艦隊」リーダーとなる。脱退後後進の指導で「西川ヒノデ・サクラ」に加入した。
山名偉三郎(本名:同じ、? - 1968年)
御堂筋男(初代)(本名:加藤哲治、1929年 - )、ドラム担当。
脱退後は浅草六郎の名でコメディアンに転向したが廃業。
御堂筋男(2代目)(本名:国ノ本守康、)
初代が抜けたあと加入。分裂後も森井がリーダーを勤める「あひる艦隊」に残った。
第3次(吉本系、森井がリーダー)
当初は森井、青木、鈴木、御堂筋男でスタート。
鈴木淳司(本名:鈴木静夫、1929年 - )
京都府日向町の生まれ、1949年4月に沢田秀雄の門下になりバンドマンになる。森井の勧めで「あひる艦隊」に加入。「鈴木静司」を名乗る時期もあった。森井脱退後はリーダー格になる。
大谷実(本名:今川修、1928年 - )、ボーカル、ベース担当。
中国山東省青島市の生まれ、1948年4月に小畑実の門下になりキングレコードよりデビュー。マーキュリーレコードを経て1965年に演芸の世界飛び込む。最初は「クエッション・ボーイズ」(後の「ザ・クエッション」)に参加し解散後は「あひる艦隊」に加入。
青木幸夫(本名:同じ、1931年 - )、ギター担当。
新潟県の生まれ、16歳で来阪する。その後バンドマンを経て1960年に加入。
白名勝多(本名:山田喜久蔵、1936年 - )、ドラム担当。
満州国の生まれ、最初音楽ショウ「ピンボケフレンド」にマーボー山田の名で参加、同年新世界新花月が初舞台、その後、白名勝太の名で「クエッション・ボーイズ」(後の「ザ・クエッション」)に参加、解散後は白名勝多の名で「あひる艦隊」に加入。
山本浩二(本名:山本明次、1942年 - )、ボーカル、ギター担当。
広島県呉市の生まれ、作曲家の竹山荘一に師事し歌謡曲の道を歩む。「ピンアップトリオ」にピンアップ浩二の名で参加、その後夢浩二の名で「ザ・ドリーム」に参加。1979年より山本浩二の名で「あひる艦隊」に加入。
中橋清司(本名:同じ、)、サックス担当。
1979年に脱退。
星野清美(本名:同じ、1947年 - )
森井が抜けたあと加入。後に廃業。
第3次(松竹系、山名がリーダー)
当初は山名、島、山田、牧でスタート。
島啓児(本名:今岡恵一、)、リーダー。
高校卒業後ミスワカサ・島ひろしの門下になる。その後リーダーなったが廃業。
山田修(本名:山田修、)
岡山県の生まれ、1964年に山名偉三郎の門下で山田修の本名でメンバー入りし千日劇場で初舞台、その後ゼンジー北京の門下で初代ゼンジー・一億、「浮世わたるショウ」に浮世いきるの名で平和すすむと平和まもる(初代)の名で春乃めだかと春乃うさぎの名で正司こうじおと正司おさむの名で数々コンビを組んだが廃業した。
牧潤(本名:山口真嗣、)
山名偉三郎の門下。その後廃業。
板東晴彦(本名:板東正明、)
徳島県の高校中退後、大阪に来て浮世亭歌楽・ミナミサザエの浮世亭歌楽の門下になる。1966年にメンバー入りし名古屋の大須演芸場が初舞台。脱退し「スカタンボーズ」を経て「平和勝次とダークホース」をに在籍した。現在は作曲家。
青山一也(本名:辻村一也、)
山名偉三郎の門下。その後廃業。
原敏夫(本名:篠原敏夫、1927年 - )
大阪府大阪市東粉浜の生まれ、南敏夫の名で「わんぱくボーイズ」に参加、南ヒサオと原トシオの名でコンビを組んだ後に「あひる艦隊」に参加。その後廃業。
岡本浩(本名:久保康利、1949年 - )
現在は旭堂左南陵の名で講談師をやっている。
永原誠(本名:永原誠、1943年 - )
現在は「レツゴー三匹」にレツゴー長作の名で活動中。
この「あひる艦隊」は、人物に関する書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正
参考文献
「現代上方演芸人名鑑」(1980年、少年社)
カテゴリ: 人物関連のスタブ項目 | 日本のバンド | お笑い芸人
更新日時:2008年8月8日(金)06:40
取得日時:2008/08/14 01:18