平和
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… 欺瞞・まやかし

平和な時代には、怠惰で堕落しきった人間が増加、危機感が薄れて欺瞞やまやかしが横行する。その好例が悪徳商法の跋扈である。これらは、余りに平和ボケした連中を食い物にするため、やはり同程度に欲ボケした連中が、ゴミや屑やカスや不良品を売り付けるという状態が見られる。

またこの「ゴミや屑やカスや不良品」は何も悪徳商法に限らず、様々な面であふれ返る。政治の世界では「ゴミや屑やカスや不良品のような政治家」があふれ返り、「ゴミや屑やカスや不良品のような連中」が学歴詐称や履行しない口約を吹聴し、その「ゴミや屑やカスや不良品のような輩」が自分がさも大層な存在であるかのような自称をする事で大衆の嘲笑を買っている。

平和な時代には、社会全体に「ゴミや屑やカスや不良品」があふれ返る。そしてそれらにはウジがわきカラスが突付きネズミが齧るといった状況も発生する。
幻想・妄想

平和は、しばしば非常に貴いものだとする幻想・妄想も見られる。これらは平和な時代には「親しい誰かないし自分自身が殺されなくて済む」というその一点を持って多くの支持者を集めている。その一方でこの「親しい誰かや自分自身」の集合である人類の存在によって、地球の環境は常に脅かされており、これは戦争で適度に間引かれずに平和な時代が長く続き、人間の持つ「異常に繁殖しやすい」という傾向から、非常に大きな問題となる。

また、平和な時代には娯楽や文化が発展する傾向があるが、これがそもそも誰かの妄想によって生産された、自慰の代用品である。しかしこの自慰の代用品をこよなく愛用する向きは、平和の大切さを吹聴している。これはオタクに顕著な傾向であるが、兎に角これらの愛好者は平和に依存して生きている。

そのような文化媒体や娯楽作品は、社会にとって最も不要極まりないものであるため、戦争状態になれば真っ先に切り捨てられる。このため、これらに関連して生活の糧を得ている、或いはそれら以外に何ら生産的な能力を持たない、平和な社会に寄生するしかない連中は、平和の尊さを説いて自分の生活を保護しようとしている。この場合、彼らは「平和主義者」ではなく「安全主義者」である。また戦争中、自国に対して停戦活動を呼びかける「平和主義者」は無意識的に利敵活動を行っていることに気づいておらず、利他主義の皮をかぶった利己主義者である。
「お前は自分が『悪』だと気付いていない、最もドス黒い『悪』だ」 - ウェザーリポート

しばしば「貧しい国の子供にワクチンを」などという名目の募金の呼びかけが行われるが、そのワクチンで助かった子供が将来民兵や汚職役人・警察官となって略奪、女性・子供に対する暴行、レイプを行う可能性は非常に高い確率で存在するということを全く考慮していない。そしてその結果また「貧しい子供」が生まれてしまうのである。単に平均寿命を延ばすだけではいたずらに犠牲者を増やすだけなのである。寧ろ爆撃を行って皆殺しにしたほうが犠牲は少ないのである。本当に彼らを助けるつもりなら、自分の全財産、内臓を売り払った金、そういったもの、つまり自分の「全て」を彼らのために投げ打ち、全体を将来にまでわたって貧困から脱却させなければならない。今現在の目の前の弱者「だけ」に目をむけると「平和」のために何をすべきかを見失う。このように、自分の平和の幻想のつじつま合わせをすることは余計に他者にとっての平和を遠ざけてしまうことになるのである。

そもそも人類が存在することを前提にした平和を打ち立てようとすると、全ての人が見ず知らずの他者のために自分の全てを投げ打つことができ、且つ、たとえ自分の親族や友人が殺害されたり暴行・レイプされても決して相手に手を出さないドMになるか、邪魔な存在はたとえ身内であっても容赦なく切り捨てることができるドSにならない限り不可能なのである。そこが平和の理不尽さである。平和とは決して筋の通ることではない、そこを理解しない者は平和を「極楽浄土」や「エデンの園」と勘違いしてしまうのである。
別の視点

このように退廃的で自堕落的で無益で有害ですらある平和だが、別の側面では非常に有益である。これは戦争が莫大な富の導入(=コスト)を必要とし、それらは戦時下経済の生産分を上回るためである。このため戦争状態が長く続くほどに社会は疲弊して全体的に貧しさを増す。このような「戦争を継続するに足らない生産力」を回復させるためには一定期間の平和が必須である。

また近年の戦争が「一発で何万人も殺せる爆弾(核爆弾)」や最終兵器を運用する上で、「人口の少ない地域に使用しても、ちっとも面白くない」という問題がある。このため人口密集地にこれら兵器を使用する事が望まれる訳だが、そのような人口密集地域=都市の発展は、主に平和な時代にしか起こらない。

このため多くの社会では「より派手な戦争をするため」に、平和な時代を一定期間継続させる必要性があると認識されている。しかしアフリカや中東では、よっぽど辛抱足らないヤツが政治を担っているのか、頻繁に戦争や紛争が発生、同地域の人口を世界水準から見てもやや低い密度に維持している。

平和を求めるなら、まず戦いに備えよ。             ラテン語の格言

余談だが、この格言は世界で一番メジャーな弾丸、9mmパラベラム弾の名前の由来になっている。
冷戦

兎角戦争は様々な意味でコストが掛かるため、継続的に維持するのが難しい。そのため第二次大戦以降は、主に冷戦と呼ばれる「非殺傷性の応酬」という新しいスタイルの、「戦争←→平和」以外の第三の選択が取られた。しかし当初の頃には上手く機能したこの方法も、アメリカ合衆国が民主主義という益体無い政治体制のために政策に一貫性を欠き、次第に「最終兵器を大量生産して次の戦争を夢見る」という方向に暴走してしまった。

これにソビエト連邦や他の国が追従してしまったため、政治間の応酬ではなく「核兵器の数を自慢しあう」という形に発展、次の戦争では「地球がぶっ飛んじゃう」とまで言われる状況になってしまった。流石に「戦争と平和」というサイクルで定期的に戦争を楽しんでいた各国指導者は、「次の戦争で打ち止め」というこの状況を憂い、東西対立の図式崩壊以降に過去の負の遺産を清算しつつ、今後も戦争が楽しめるような社会体制作りを模索している。
東西対立以降

アメリカ合衆国は、国内で戦争を楽しむと後始末が大変だと、他国に兵隊を輸出して各地で戦争を行い、それをお茶の間に中継して国民全体で楽しむという政策で国際社会から問題視されており、その一方で「なんだか流行に乗り遅れた国」では今更ながらに核開発を行うという時代錯誤な行動を行い、やはり問題視されている。

なお日本では米国の戦争ブームに便乗、「金は出すが口は出さない」という政策でアメリカが製作した戦争報道を輸入するという政策を取っていた。しかし近年では、「戦争に日本人が参加できない(アメリカの報道では満足できない)」という向きもあり、日本でも自衛隊を輸出して独自戦争を起こして楽しみたいという一派もある。しかし国際社会で非難される米国の様子もあるため、自衛隊内外にも慎重論も根強く、専ら殺し合いは米国に任せて、自衛隊は弾薬や武器の輸送といった行為でお茶を濁している。

これらでは、あまり規模を拡大しすぎると収拾不能となるため、ある国内の社会体制を破壊する形で限定された戦争が行われている。現在そのような限定戦争が開催されている地域はイラク、アフガニスタンである。2006年現在では、イスラエルがレバノンと共同で、国連軍なども交えての戦争誘致活動によるデモンストレーションを行っているが、同地域に本格的な戦争が誘致できるかどうかは未定である。
究極の平和

本項の冒頭にあるように平和とは、戦争以外の状態を指す。そして、戦争は必ず人間によって引き起こされるものである。

したがって、戦争の可能性を完全に潰すこと、つまり人類が滅亡した状態が究極の平和である。俗に平和憲法と呼ばれる日本国憲法第九条はこの究極の平和を希求しており、その証拠に我が国では青狸地球破壊爆弾を配備している。
関連項目

悪の枢軸によるホットドッグ早食い競争


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出典: 八百科事典『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
担当:Mamenoki