1950年、資本主義の尖鋭である米帝とその走狗の小韓が、中国の属国である朝鮮を奪おうと、朝鮮半島への侵略を開始し、一時期半島の大部分を征服した。しかし、支邦の危機を救わんと決起したる人民解放軍義勇兵らの奮戦により、忽ち米軍は38度線まで敗走を続け、ここに米帝の野望は撃破された。
西蔵解放
1950年以前のチベットでは、ダライ・ラマ14世なる狡猾な偽善詐欺師の圧政により、同国民は飢餓と貧困と言論統制に苦しんでいた。同詐欺師はガンデンポタンという大会社を経営しており、主要商品である「チベット仏教」なる麻薬を流通させてチベット人を洗脳せしめ、搾取していた。そこで、此奴等の蛮行を撃滅すべく、中国はチベット解放へと起ち上がった。
人民解放軍は忽ちチベット全土を制圧した。ガンデンポタンの従業員(自称神職者)どもは悉く抹殺され、120万〜400万(諸説あり)の虫けらを民族浄化し、ダライ・ラマ14世は国外追放された。チベットは西蔵自治区に改名され、中国の一部となった。そしてチベット邪教に変わり、無神論および拝金教という近代宗教が齎された。ここにチベット人民たちは洗脳から解かれ、圧政から解放されたのである。
現在、チベットでは、チベット人600万人に対し、中国人は750万人で、中国人の方が勝り、チベットの解放はほぼ完成された。なおこのことを中国人に間違っても言わないこと、「南京大虐殺」の件を持ち出され、殴られ蹴られ殺され、財布を持って行かれる。
新疆解放
ソ連が怖いがために、外モンゴルの広大な領土をあきらめた。ソ連が解体したので、もうそろそろではという説もある。もっとも、現在のモンゴル国は拝金教の信者数が確実に増えている上に、モンゴル人が元々持っている領土拡大欲には漢族と共通する部分があるため、こっそり併合しても案外気付かないんじゃないかと思われている。
核兵器開発
1957年にモスクワで、ソ連書記長フルシチョフと会談したる毛沢東は、アメリカへ核戦争を挑まんと提案した。毛沢東は「中国には6億人がいる。核戦争で3億人くらい死んでも全然大丈夫だから、ここらで一発ドカンとやろうぜ」と非常に勇猛にのたまい、さすがのフルシチョフも腰を抜かした。
ソ連に見捨てられた中国は、やむなく自力で核武装することを決断した。毛沢東は「下着を作る金があったら、核兵器を作れ」「パンツが穿けなくても核を持ためばならぬ」などとのたまい、国家予算のほぼ全てを核開発につぎ込んだ。そのため中国ではノーパン・ノーシャツ・ノーブラのヘンタイが続出する結果となった。さらには外貨獲得のために、貴重な石油や食料を国外へ大量輸出した結果、2000万人もの餓死者を出した。だが、数千万人も殺してきた毛沢東の前には、誰も気にせず、開発は順調に進められた。
他に国外から核物理学者を拉致したり、アメリカやソ連の軍事技術を盗むなどの、各種手段を選ばぬ強引な方法により、遂に1964年10月16日、中国は核実験に成功して世界で5番目の核保有国となり、全世界を驚嘆せしめた。
東京オリンピックに参加しないのは中国の勝手だが、いやがらせに核実験を行っておきながら、北京オリンピックの際は「平和の祭典」と戯言をほざいている。
大躍進政策
偉大なる人民代表毛沢東は、農業集団化や工業化などを推し進め、ありえない速度で超急激な近代化を達成した。これにより、人口数が一挙に2000万人も増加し、農業生産高、鉄鋼生産量などが激増した。緑化政策により自然も増え、中国は洪水などの水災害に襲われる事は無くなった。中国のGDPは世界第三位に達した。ここに毛沢東主席の偉大さと共産主義体制による中央計画経済の有効性が立証され、中国は米ソに次ぐ超大国へと君臨したのである。というのは真っ赤な嘘である。
珍宝島事件
ソ連領ダマンスキー島に侵攻するも、兵力に劣るソ連軍に全滅させられる。その後も小競り合いが続き、これにより、共産主義の盟友であるソ連からの援助が打ち切られ、何百万人もの餓死者を出した。
これ以降、中国の国歌に「チャイナ、チャイナ、ビバチャイナ、ソ連だけは怒らすな」の一節が追加された。
印度征伐
カシミール地方の領有権をめぐってインド・パキスタン両国がケンカをしている最中に、中国もちょっかいを出し、インド軍と3年間にわたり、交戦となった。この戦いで中国の圧勝をもって、カシミール地方のアクサイチン地方を獲得し、「漁夫の利」という熟語の語源となった。
なおインドはこの屈辱な敗北をきっかけに、核開発を余儀なく迫られ、芋づる方式でパキスタンも核開発をせざるえなくなった。この点においても中国の国際平和への貢献を高く高く評価すべきである。
この件で、中国とパキスタンは友達以上恋人以下の関係になったが、しかし国連は、核を持っているこの三超大国がまたケンカしたら、人類が絶滅すると考え、「親しすぎず・疎すぎず」政策を打ち出し、現在中国とインドは会ったらえしゃくする程度まで関係回復した。
越南懲罰
ポルポト派支配下のカンボジアに侵攻して同派政権を駆逐したベトナムを「懲罰する」と称し派兵するも、ベトナム戦争後のボロボロのベトナム軍に皆殺しにされる。尚、この時の野戦司令官は?小平(後の共匪頭目)。
ベトナム人兵士証言
「学校に帰れ、高校くらい出たほうがいいよ」と中国軍をさとした。「我々はベトナム戦争を経験した熟練兵であり、18のガキ中国軍に負けるわけがない、オムツ取れたら出直して来いや!」と正直な気持ちを述べた。
なおこの時、ベトナム側が使用した武器は、中国が援助したものである。同等の武器での交戦、「熟練ベトナム兵 VS ガキ中国軍」の勝敗はお察し下さい
文化大革命
毛沢東は、大躍進を遂げた中国の更なる成長のため、文化と国民精神の向上へと乗り出し、文化大革命を開始した。特に宗教は害悪となる麻薬であり、徹底的な撲滅が行われた。仏教や儒教などの邪教は根こそぎ消滅し、寺院は完全爆破解体、僧侶は皆殺しとなり、中国に近代文化が齎された。これにより4000年に渡る中国文明は完全に断絶。継続的な研究・教育が要求される科学分野での検閲により削除は計り知れない。中国人ノーベル賞受賞者がみな海外研究者であることを見れば明らかであろう。毛沢東の検閲により削除は重い。
国際的承認
中国政府は国連から台湾を追放し、常任理事国の地位を獲得した。
が、常任理事国でありながら、貧困さがすさまじいものであり、見るにたえないくらい最貧国であり、援助をもらっている始末。
改革開放
毛沢東死去後、実は大躍進政策は大失敗していた事が暴露された。これにより、政府も社会主義と計画経済の効率の悪さを認め、資本主義へ転換する事にした。
毛沢東に代わり皇帝の座に就任した?小平は、「黒猫でも白猫でもよい。ネズミを獲る猫が、いい猫なんだ!」と発言し、貧富格差拡大と拝金主義を奨励した。これにより、海外から一挙に外資が入り、中国経済は大成長を始めたのだった。
天安門事件 戦車の前に立つ男性。この後彼は検閲により削除。?
1989年6月4日、天安門広場にて民主化を求める反体制運動が勃発した。この運動に対し、政府は人民解放軍を出動させ、検閲により削除。戦車や装甲車などでデモ隊を検閲により削除し、また銃撃により検閲により削除した。
この事件は新中国建国以来の有名な黒歴史であり、無かったことにされている。ので、もし中国国内でウッカリ「六四天安門事件」と発言してしまったら、即行で公安当局に連行されるので要注意。