〈中二病〉という落書きを本気になって執筆してる人々もいるが、無意味だといって削除する輩よりはマシだと言える。なお、彼等は《執筆》してると思ってるようだが、本質的には《資料収集》なのである。賢明なアンサンクロペディアンは、同じ構造に取り込まれない様に注意しよう。観察や解釈に没頭してしまうと、解釈者自身も構造に取り込まれてしまい、一つの認識から抜け出せなくなる。客体化するはずの自らが、主体化してしまうのである。この傾向は日本人に極めて多く、素人心理分析が蔓延してしまった事態を、精神科医も憂慮している。社会学者、文化人類学者、神話学者、サブカルチャー研究者も『中二病』は自分たちの研究分野であると主張しています。なお、心理学と社会学は、蛇と鳥の関係!!宿命のライバルなのだ。どうだ、まいったか。
参考になるのが自然神話説である。
「神話が、月に見えたら全て月と解釈せよ!」
「神話が、太陽に見えたら全て太陽だと解釈せよ!」
「神話の名称は、全て自然現象を示している」
と、神話を手当りしだい同じ解釈で理解しようとする試みである。2007年から見れば、かなり乱暴であるが、初期の神話学ではこのアプローチで頑張った。初期の神話学を『第一の神話学』と呼ぶ。『第二の神話学』は、かの有名な構造主義を生み出した。中二病の分析にも構造主義を使ってみるのが良いだろう。
解釈を試みると、観察者自らが取り込まれてしまう構図
上記が、第一の神話学の成果である。
中二病とは(社会分析)
民族的に
中二病は、分類・分析神話の一種であり、日本人の精神構造を極めてよく捉えている。日本人は大系的、論理的、物語的な神話構造よりも、アンソロジーに代表される、様式型、集約型、の神話を好むことが分かる。形式、儀式、生贄を好む傾向にもある。血液型性格診断、干支診断、占い、と似ている。一部では干支診断は今でも使われており、ある干支を特徴にして性格や振る舞いに設定を与えている。これらは共に楽しむ文化、ラベリングの文化である。当然、まったく科学的根拠はないので、分類・分析を本気にしてはならない。科学的根拠が無いからこそ、神話としては強固なものとなる。
社会心理学的には、〈差別〉の発生要因とも言える。健全な形では、お互いに分類を呼び合う〈戯れ〉とも言える。これらは未開の文化からも確認されており、[神話][伝説][昔話]の3つの内、[昔話・神話]に該当する。神話と昔話は、入れ替わる性質がある。昔話である最中は戯れとなるのだが、神話になると本気で差別しはじめる。昔話は娯楽なのだが、神話は本当に信じられているのだ。
修辞学(レトリック)と占い(フォーチュン)
何かを説明してる訳ではないのだから、当然、比喩ではない。修辞技法は本来、明確な説明がなされる事物に対して、言語を入れ替えつつ話者の意思を観客に伝え、認識を共有させる技法である。中二病には本来の元が無いのだからそれ以上に修辞しようがない。どちらかと言えば文学の一種であり、性質的には[占い]に近い。根拠ない類型を作り、分類して行く手法は占いと似ている。
中二病患者としての生き方とは
中二病患者の生きる目的とは、これまでの世界を理解し、新しい世界を創造しようとする意志に集約される。この意志を見ても分かるように、中二病患者を含む我々は、世界というものに関して大きな誤解をしている。我々は、我々自身(つまり「個」)が「世界」を創造するのだと考えている。しかし、それは大きな間違いである。「個」は、どんなに抵抗しても、宗教・国家・民族など―つまり「世界」から完全に独立する事など出来ない。これはすなわち、「世界」が「個」を創造するということである。では、「世界」は何によって創造されるのか。これはやはり「個」と言うしかない。「個」の集合体がそのまま「世界」であるのだから。結局のところ、「世界」が「個」を造り、「個」が「世界」を造るのである。中二病患者は、「個」が一方的に「世界」を造るわけではない、ということを再確認しなければならない。
伊集院光の功罪
ラジオパーソナリティは重大な過ちを犯した。自己言及的な作法に名称をつける事で、リスナーを混乱に陥れたのである。日本人が自己言及に弱いことを指摘し、実験的・実践的に、明らかにしたのは功績と言える。ネットでの反響からも伺えしる事ができる。
まだ納得できない人へ
裏中二病
中二病には、普遍化を引き起こし、観察者を取り込んでしまう性質がある。つまり「何でも中二病に見えちまう」訳だな。見方によっては神経症と同じである。この事から、精神病も、神経症も、一般人も程度の差があるだけで本質は同じだ、と考え、重要なのは文化や神話に置ける《差異》である! としたのが『第二の神話学』の成果である。
で、あるからして、裏中二病の人は真面目すぎるのである。『中二病』には普遍化して取り込む性質があるのだから、何でも中二病に見えてしまうのは当然と言えば当然だ。デカルトでも読んでおけ。「我思う、ゆえに我あり」だ。
ちなみに中二病関係の項目はほぼ例外なく裏中二病・または中二病を指摘して満足感に浸る所謂高二病の患者によって編集されているのが定説である。そしてこのページを始めとする中二病関係の項目の文章量の多さから、インターネット上ではかなり大きい勢力になっているとも言われている。
なお、一部で高二病と同一視される向きもある。
実際の対処
現実的には、構造主義的な解説をしても回りくどくなり、クドクドなので
「気にしすぎ。まるで神経症だぞ、考えるのも程々にしておけ」
「あるあるネタの一種だよね」
ここでは、裏中二病の真の用法を、それとなく説明する。まず何でも中二病に見えたら、それは一種のトランス状態であり、ヒステリーだ。解除しようとしても解除できない。裏中二病になったら、精神と感情が異常な状態であり、薬や酒を飲んでるのと、類似と言える。陶酔である。異様なほどに感受性が強すぎる〈あなた〉だからこそ、起きてしまうのである。無理せず、泣いたり、笑ったり、走ったりして、体を動かしてみよう。そもそも、伊集院光もラジオパーソナリティという、ある種の表現を職業としている人なのだから、裏中二病になる人は似てると言えば似てるのである。裏中二病は威力が強すぎ、過剰な薬であるため毒性に近い性質を持っているのです。
まだ、納得できない人は、先人達の残した哲学や思想や文学を、旅してみよう。もしかしたら自分にマッチした記録が見つかるかもしれないよ。くれぐれも、規則と陶酔の挟間には気をつけよう。
どうしても分からない人へ
どうやら、ここまで来しまった様ですね。ここは不毛の世界であり、ポスト構造主義もなく、ニヒリズムでもなく自己言及でもなく脱構築でもなく、なんでもない 。Yesどん底まで堕ちた君だからこそ、生涯苦悩し続ける。選民だと勘違いしてないかね?君は普通の人間だよ。でも、どうしてこんなにも苦しいのですか? あはははははは!!!死ね死ね死ね、死んでしまえ!!!uncyclopediaは紛い也にも百科事典です、そんな事書いてはいけない。何いい子ぶってるの?その通り。分かっている。だけど、なぜ百科事典という規定があるのか?過去の偉人たちの蓄積を甘く見てもらっては困る、そんな物は出尽くしてるのだよ。自己言及など芸術ではとっくに使われておるわ!!愚か者め!。でも、ボクには未知の力が……。いつも旅立つのは少年だ。。。いつも恋をするのは少女だ。。。死んだ方がましだ、こんな苦しいなら。まってよ。みんなこの苦しさに耐えてきたはずだ。やだやだやだ、やだやだやだ。ヒステリックな女だ。魔女なんだよ。中世にもあった? どんな時代もあったはずだ → それは歴史を使って自我を支えているのかい? これでは終わりがない。それが宗教だ。仏教の世界では六道を巡る。それでは答えを、しかし声が止まないんだ。ボクは統合に失敗してるんだよ。近代の力で → 学問ならきっと答えがある。文学なんてうさん臭いだけだろ、なんだよ心理学って? 園芸とか猫と遊べば、体を使ったコミュニケーションもあるはず。ボクが好きなのはなんだろう? 音楽や芸術も理由がないのに酔える。私は女の子なのに『ボク』を使ってる。それはアニムスですね。一方を答えれば、対も同時に答えた事になる。