西暦紀元前4年頃、ヨセフと婚約していたイスラエルの朝鮮人マリアという整形少女が居た。婚約者とキャッキャウフフの毎日を装っていたが実は前付き合っていた男の種が大当たり。マリッジブルーの間中婚約者にバレないかと内心戦々恐々の日々を送っていた。何とか結婚まで漕ぎ着けたものの心労の余り電波を受信、夜毎異形の怪物の夢に魘されるようになる。一方、早すぎるんじゃね?と内心嫁の浮気を疑っていたダンナだったがコレを見てさあ大変、嫁が寝てる時にPTSDの如く襲いかかってくるようになってはもう浮気を疑うどころではなくなり、上手い事誤魔化された。やったねマリア(これがカッコウなどにみられる托卵行動のルーツである)。しかし、馬小屋という糞尿が溜まりまくった臭い所で生まれるなど、母の態度からどうも自分はヨセフの子ではないのではないかと妄想したイエスは親爺と喧嘩したのをきっかけに真の父を捜して三千里の旅に出る(後世に残る人類史五大厨二病の一つである)。元々行き当たりばったりの門出だったのだが案の定行き倒れ、空腹の余り故郷からの怪電波を受信できるように具合が悪くなってしまった、きっと母譲りの血が騒いだのだろう。運良くそのまま餓死する事もなく、親切な旅人(聖書にも載っているなかなかの有名人である)に救われたが、このとき垣間見た電波のせいで彼の人生は大きく狂わされてゆく。
もっとも、「男系か女系かは一切問わず、ダビデ王の実子の実子の実子の(任意繰り返し)実子」という件に関しては、マリアもイエスも完全に満たしているため、2人の気がかりは取り越し苦労でしかなかったが、惜しむらくはこの事実をマリアもイエスも、ついでにヨセフも全く知らなかったがために、ごく普通の田舎町の大工一家として平凡ながらも小さな幸福にあふれた人生を送るはずが、全人類をも巻き込んだ破滅的人生を送るはめになったのだから、まさに禍福はあざなえる縄の如しとは良く言ったものである。
救世主として覚醒
だが話と芝居の才能だけは持っているため、さまざまな人を集めることに成功し、「自らが神から聞いた」と自称することを人々に弁説し、信じ込ませてしまった。「私は神だ」と豪語しても、信じる者は多かっただろう。
この熱狂的なグルーピー集団は次第に社会問題化したため、信じてしまった人はともかく良識のある善良な人々は、羅馬の役人によってこの愚かな行為を辞めさせるための手段を考え付き、グルーピーのうちの一人であるユダの矯正を成功させて、イエスを死刑にすることに成功した。
しかしグルーピー達は、イエスは死後3日後に復活したと言い出し、その後もこの夢を信じ続けた。彼は、『物事を「徒(あだ)」にするものを「切り捨てる」』という意味で、「切捨徒」と名づけられた。
この人間の魂は、はじめ織田信長に移り、後にオダ・ノブナガへ変わった。現在では日本で又吉イヱスとなっている。なお、日本の青森県新郷村にも「イエスの墓」がある。世界中に類似したものはたくさんあるため、イエスがいかにカルト的カリスマとして世界から注目されていたかを示しているといえよう。
死後
現在のキリスト教徒は、カニバリズム信仰(食人)を行っている。キリストがパンを肴にワインをたらふく飲んで酔っ払った際に「人間は、パンと水だけじゃ生きていけない。このワインが俺の血であり、パンは俺の肉だ」と騒いだ故事に由来して、聖体賛美式の際にはパンをキリストの肉として、ワインをキリストの血として口にしている。このためキリスト教徒は、人の肉を喰らい血を啜るとして恐れられている。
このカニバリズム信仰の原点は、キリストが死んだ直後にまで遡る。実質的に羅馬の役人たちによって彼は処刑された。しかし彼の狂える信者たちは、彼の遺骸をローマ帝国の役人から貰い受けると、その一部を食べてしまい、これによって信者一人一人の肉体の中に彼の血肉が残ると考えたようだ。この恐ろしいカニバリズム行為は、後に彼が復活したという思想に発展している。
その後のキリスト教徒もカニバリズムを続けたため、とうとう彼の死後数十年のうちに乾燥干し肉として保存されていた遺骸は全て食い尽くされてしまい、このため現在では一片たりとも彼の遺骸は残されていない。一度はハワード・ヒューズがクリスマス向けの気の利いた新商品として、キリストのクローン化大量生産を夢見てこの遺骸を捜し求めたが、その試みは尽く失敗している。彼は何処をどう間違えたのか、誤って恐竜をクローン生産する寸前まで行ってしまった。
なお、エルサレムで彼の教えにとち狂った十字軍が食したディナーについてここで語ってはいけない。
最近では、「イエス・キリストの配っていた食べ物の中には、麻薬が埋め込まれていた。」と、言い始める学者も現れその説が定着しつつある。
現在
現在は有給休暇を取りバカンス中。東京都立川市のアパートの一室で仏陀と二人暮らしのようである。
イエスとアニメ
イエスはその生涯を通してアニメの素晴らしさを人々に解き続けたが、特にジャパニメーションに関する造詣が深く、中でも「新世紀エヴァンゲリオン」についてはその世界観を深く愛し、その人生の大半を巨大ロボットのエヴァンゲリオン各号機、更にはそれへの搭乗者(綾波、碇、惣流など)の研究と伝導に費やし、多くの著名なエヴァンゲリスト(エヴァンゲリオンマニアの事)を輩出した[要出典]。
つけくわえると、1981年にアニメ親子劇場という、ごくごく普通のタイトルがつけられた作品があり、その内容もタイムトラベルで歴史の勉強をするという、子供達に大変好まれそうな内容のアニメがあった。しかし、その実、堂々と聖書をまるごとアニメ化したトンデモない作品だった。この作品で聖書に興味を持った人間もいたらしいが、聖書におけるいろいろなどぎつい描写がトラウマになった人間もそれ以上に多いと思われる。
しかしながらイエスはその生きた時代があまりにも早すぎたために(イエスは西暦1世紀ごろを生きたが、初めてアニメが上映されたのは20世紀)、遂に実際にアニメを見る事なくその生涯を閉じた。
イエスはその事を何よりも憎み、そして呪った。その呪いのせいでアニメ作品の多くはイエスの命日である13日と同じ13話で打ち切りとなってしまう事が極めて多い。これは高い人気を誇ったアニメ作品も例外ではなく、13話を乗り越えたとしても、26話などの13の倍数の話数で打ち切りとなってしまうことがしばしばである[要出典]。
反対に「どうみてもこれは13話×nクールのボリュームのいる作品ではない」と思われるものも、総集編やかんたん作画、原作破壊などの近代的な膨らまし技術を施し話数を13*nに無理やり仕上げたりもするが、これもおそらくイエスの力がなせるわざではないだろうか。