言霊とは、言葉の一つが持っている霊力・魔法の事である。その力は、核兵器を地球上から抹殺し、世界に平和をもたらせるほどの凄まじい力を持っている。この魔法は、スターライトエクスプロージョンやマフーのように、魔法に通じた魔道士や司祭でなくとも、一心にそのことを念じさえすれば、誰でも唱える事が可能である。
古くは、世界各地で言霊の姿を見ることができたが、キリスト教やイスラーム教などの新興宗教が、シャーマンやドルイドなどによる呪術系宗教を駆逐していくに従い、言霊教も駆逐されていき、現在、地球上でそのような力を操る事ができる迷…信心深い民族は未開地や僻地の、誰かさんのようなごく一部の民族に限られる。
日本での言霊
古くいにしえの日本人は、万葉歌人の柿本人麻呂が「磯城島の大和の国は 言霊の助くる国ぞ 真幸くありこそ」(大意:我が日本は言霊の助ける国である)と万葉集でも詠んでいるように、日本は言霊の国である事を良く理解していた。
しかし、現代の多くの日本人は、愚かにもその霊力についてほとんど知識を持っていない。そのため、「もし、日本が敵国の攻撃を受けた場合、自衛隊は超法規的行動をとらざるを得ない」と言った某防衛庁長官(当時)や、いわゆる「神の国発言」の蜃気楼首相(当時)のように、自らの発した言霊のせいで自滅するなどという、悲劇を通り越して滑稽としか言いようのない人が後が立たない。
言霊の基礎
言霊の国 日本
前段で述べたように、日本は言霊の国である。古代の話ではない。現在もそうである。
ある某国の学生は、現代でも受験前に「合格祈願」と絵馬に書いて神社に奉納する。そして、そのような学生の前では「滑る」「落ちる」は禁句である。何故か。それは、合格祈願と書けば(祈れば)受験に合格するからであり、滑る・落ちるなどと言えば、本当に受験に「滑」ってしまうからである。
当然、合格祈願と書くだけで合格するなら誰も苦労しない、滑ると言ったら受験に滑る…そんな馬鹿な話があるか、その他大勢の国の人はそう考える。では日本人はどうなのか、言うまでもない事である。
神と人
言葉の力は神をも動かす。これが日本人の持つ力「言霊」である。日本人が豊作祈願などの神事やお祈りを神の前で行うのは、ただの人でも一心に念ずれば、必ず天に思い(言霊)が通ずるからである。これに対して、自らの思いに報いてくれた神に感謝の意を示す行事が、秋祭りなどの神事にあたるわけである。
一方キリスト教など、他の新興宗教でも、神の御厚情に感謝するという発想はあるが、神に思いを託すと言う考えなどはさらさらない。当然であろう。自らの手で生み出した人間どもの言葉など、全ての創造主なるクリエーター(神)が聞くはずもないからである。
言霊と名前
ポピュラーネーム
キリスト圏やイスラーム圏では、ポピュラーネームと言うものがある。その国・民族でよく使われる名前の事である。例えば、マリアといえば、マケドニア王女のシスターであったり、三千院家の有能執事であったりするし、サッダーム・フセインばかりが有名になっているが、中東史を習うと、「フセイン」はわんさか出て来る名前である。
よく外国人が制作した映画にタローやハナコという名が散見されるのも、その制作者がハナコが、いわゆる「マリア」だと思っているからである。実際のところはどうなのかは言うまでもなく、タローと言う名前は、ウルトラマンタロウと麻生太郎しか私は聞いたことがない。
人名
言霊の国では、当然人名は「その人そのもの」であるから、滅多に人の名(特に本名)は口にしてはならない事になる。そのため、特に位の高い人の場合は称号で呼ぶのが一般的であった。例えば大王や、ヒミコ(日巫女・日御子)である。
名前がその人そのものを指すのであれば、なるべく被らないようにせねばならない。実際、学校の同じクラスメート同士でも、あまり同姓や同名の人は見かけないものである。これは、横(同時代)だけでなく縦方向(違う時代)においても言う事ができる。キリスト圏なら、マリアという名は、ローマ帝国時代にも現代にもいるが、日本史において、戦国時代に織田信麻呂とかいう人や、この21世紀の日本に木村拓左エ門と言う名前は、私は聞いたことがない。
次の一文は、万葉集第一巻の冒頭にある、雄略天皇の歌である。
天皇の御文歌 籠もよ み籠もよ ふくしもよ みぶくろ持ち この岡に 菜摘ます児 家告らせ 名告らせね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそ いませ 我こそは 告らめ 家をも名をも
(大意) 天皇の御歌 籠も 良い籠を持ち ふくしも 良いふくしを持って この岡で 菜を摘まれる乙女子よ ご身分は 名も明かされよ この大和は ことごとく 私が 君臨している国だ 私の方こそ 告げよう 身分も名も
懐古主義者が好みそうな牧歌的な歌が、一転して恐ろしい歌に感じられてきたであろう。これは「そこの乙女子よ、俺の女になれ」という歌なのである。
当事典内の記述
ちなみに、当事典内の一角に「誰だ、貴様!名を名乗れ!!」などという、非常に物騒な記述が見られる。が、気にする必要はない。これは、ブラックユーモアである。