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竹槍(たけやり)は竹を原料として作られる槍である。石製や金属製の槍に比べ、軽量であるため投擲する場合に攻撃可能範囲がより広げられるため、石製や金属製の槍が兵器として使用されなくなった後にも使用され、20世紀半ばまで先進国でも使用された。
また、ジェットエンジンやロケットエンジンの発達により推進力を備えた竹槍も開発され、近代の戦争において主力兵器のひとつとなった。このような竹槍は荷物を運ぶのにも有用であり、実際にマフィアがノートの運搬に使ったこともある。 ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「竹槍」の項目を執筆しています。
目次
1 竹槍の発祥
2 聖書の記述
3 中国における竹槍
3.1 春秋戦国時代
3.2 魏晋南北朝時代
3.3 近代以降
3.4 台湾
4 日本における竹槍
4.1 奈良時代以前
4.2 平安時代
4.3 鎌倉時代
4.4 戦国時代
4.5 江戸時代
4.6 幕末
4.7 明治
4.8 満州事変〜太平洋戦争
4.9 太平洋戦争末期(本土決戦)
4.10 戦後
5 アメリカにおける竹槍
6 ソ連/ロシアにおける竹槍
7 インドシナにおける竹槍
7.1 ベトナム戦争
7.2 カンボジア
8 中東における竹槍
8.1 湾岸戦争
8.2 アメリカ同時多発テロ事件
8.3 イラク戦争
8.4 アフガニスタンの韓国人拉致事件
9 フィクションにおける竹槍
10 竹槍の種類
11 関連項目
12 参考文献
竹槍の発祥
人類の文明は竹槍とともに始まった。文明揺籃の地・メソポタミアにおいても、例えば、エアンナトゥムの禿鷹碑文、ナラム・シンの戦勝記念碑、ウルのスタンダード、といった図像史料において、そこに描かれている兵士たちが竹槍を装備しているということは、既に多くの研究者が指摘しているところである。勿論、当時から砂漠であったメソポタミアに、竹は生育しない。そこで重要になったのが、交易路の確立である。アッカド王朝のナラム・シン、ウル第三王朝のシュルギ、バビロン第一王朝のハンムラビといった支配者たちは、その大規模な版図を支配するために必要であった竹を求めて、交易路の確立に勤しんだ。特に、ディルムン(現在のバーレーン島)、メルッハ(現在のインドか?)との交易は有名である。ちなみに当然のことながら、当時の竹槍は発見されていない。長い年月を経て、深い砂の下で朽ちてしまっているからである。
聖書の記述
エデンの園の「禁断の木の実」の物語はよく知られているが、それが何であるかについては、実はあまりよく知られていない。西欧キリスト教会の間では、これが林檎であったかのように語られることがあるが、実はその正体は竹であった。古典ヘブライ語の「木(エイツ)」は、竹を含む幅広い概念を表す言葉であり、さらに、近年の考古学的発見が、この「木」が実は「竹」と訳されるべきことを証言している。神の命令を破ったアダムは竹槍を手にし、それ以降人類の歴史は竹槍に翻弄されることとなったとされる。
その後、神の怒りに触れた都市・ソドムとゴモラが、神の投擲する竹槍によって滅ぼされた伝承は、よく知られる所である。
モーゼ率いるユダヤ人がエジプトを脱出した時も、竹槍は重要な役割を果たしている。モーゼの投げる竹槍の衝撃波は紅海をまっぷたつに引き裂いて、これによりユダヤ人たちはエジプトの追撃を逃れて、安全に脱出する。
中国における竹槍
春秋戦国時代
竹槍を発明したのは孫子である。その竹槍の威力によって、呉は覇者として伸長した。しかし竹槍の発明者孫子が呉を去り、同じく竹槍を重視した伍子胥は政争により呉王夫差の命で自刃させられた。夫差は伍子胥の態度に怒り、死骸を川に投げ捨てたばかりか、竹槍装備を廃止してしまったのである。呉が滅亡する際には夫差は後悔して、「私が死んだら顔を布で覆え!あの世で伍子胥にあわせる顔がない」と言って自刃したそうである。
魏晋南北朝時代
孫子の子孫である孫策が竹槍を復興させた。赤壁の戦いにおいて呉は魏に対して大勝し、竹槍の威力が広く知られる事となった。
晋が天下を統一したものの、晋帝・司馬炎は天下争乱の原因になったとして竹槍を憎悪し、竹槍装備を廃止した。竹槍で名をなした武官たちは朝廷から敬して遠ざけられ、特に有名な7人は「竹林の七賢」として知られる。だがこれによって弱体化した晋は異民族の侵入を受ける。