浅草
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ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「浅草」の項目を執筆しています。 放浪癖に取り憑かれた人のために、ウィキトラベルのトラベルライター気取りたちが「 ⇒東京/台東」の項目を執筆しています。

浅草(あさくさ)とは東京台東区の地名。または浅草寺を中心とする繁華街の地名。戦前は東京随一の繁華街として栄えた。関東大震災と戦災で壊滅的な被害を受けたが、そのたびに目覚ましい復興をとげてきた。「不死鳥の如き浅草」とも呼ばれるのはこうした経緯からである。

ここの住民は典型的な下町の庶民で、踏まれても踏まれても雑草のように生き残っている。こうした彼らのしたたかさと、あつかましさと、ふてぶてしさと、調子良さと、いいかげんさはこの浅草の町でちょうどほどよくブレンドされている。言うまでもなく東京では上野と並んで大阪民国に対抗できる数少ない場所のひとつとされている。
目次

1 概略

2 浅草の歴史 その1:浅草の古代史

2.1 浅草の起源

2.2 観音出現と浅草寺建立


3 浅草の歴史 その2:浅草の暗黒時代

4 浅草の歴史 その3:すべてのものは浅草から始まる

4.1 吉原遊郭の始まり

4.2 芝居小屋の始まり

4.3 ロックの始まり

4.4 高層建築の始まり

4.5 地下鉄の始まり

4.6 ストリップ・ショーの始まり


5 浅草橋との関係

6 関連項目


概略

浅草は古来、江戸の街(ひいては東京市街地)の中心的な繁華街であったが、高度経済成長期以降は山手線沿線の新宿池袋渋谷などの発展により、東京を代表する繁華街としての地位はこれらの地区に譲った。一見江戸情緒を感じさせるジジババや外国人向けの観光地として賑わっているように見せながら、これら新興都市に対する対抗心が常に湧き上がっており、連中を叩き潰さんばかりの気迫がもえたぎっている。

そうした街に引寄せられるかのように、カムバックを図る芸能人や、どん底から這い上がろうとする事業家などが、ドサ回りをしながら集結し、リベンジの闘志を燃やす街として現在でも有名である。特に観光客用と思われている雷門前の人力車の車夫は、ほとんどがまるごとリベンジ魂のような人々で、ここでは、車を引いて威勢よくタッタッタと走り出すや「轢き殺すぞゴルァ!」と怒鳴る彼らの悲痛な叫びを聞くことが出来るのである。
浅草の歴史 その1:浅草の古代史
浅草の起源 ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「浅草神社」の項目を執筆しています。

古事記』『日本書紀』によると、イザナギノミコトイザナミノミコトらが、国生みに先立って、陸地とも海ともつかぬ浅瀬に海草がうじゃうじゃ生えていたこの地域を「浅草」と呼び習わしたとされている。

残念ながらあまりに海草があまりにうじゃうじゃ生えていたので、国生みにふさわしくないとされ、国生みは淡路島の方で行われたらしい。この海草がいわゆる「アサクサノリ」の始まりだとされており、この海苔(ノリ)を巻いて、日本最古のおむすびが浅草神社の神前に奉納されたと伝えられる。またこの「海苔食えばハゲなし」と言われるように、今でもこの地域に住む人たちには相対的にハゲが少ないと言われている。というか毛髪に恵まれないハゲはこの海草をかき集めて、ハゲた頭を覆い隠し、そ知らぬ顔してごまかしていたのが実情のようである。

こうした海草を用いたカツラへの感謝から「アサクサノリ」=「髪」=「神」という流れで、「神」の語が生まれ浅草神社の起源になったという説もあるが、信頼するに足りない。余談だが、小学生あたりだと股間にアサクサノリを貼り付けて「禁則事項ですだよーん」などとおよそどーしよーもないたわけた振る舞いをすることがあるが、良識と品性を兼ね備えたアンサイクロペディアン諸氏はそんなことやったらダメだよ。
観音出現と浅草寺建立 ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「浅草寺」の項目を執筆しています。

さて東京最古の寺といえば浅草寺だが、寺伝によると創建の経緯は次の通りである。

「推古天皇36年(628年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網にかかった仏像があった。これが浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像である。この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも、この人物の氏名には諸説あり)は出家し、屋敷を寺に改めて供養した。これが浅草寺の始まりという」。

この仏像こそ、欽明天皇13年(552年)に排仏派物部尾輿が政敵である崇仏派蘇我稲目を押さえ込み、難波の堀江に流した日本最古の仏像が黒潮に乗って、浅草に漂着したという説がある。しかしこの説だと76年近く仏像が一体だけ海をぷかぷか浮かんでいることになり、かなり不自然である。観音に防水加工がしてあったとも言われる一方で、フジツボなどがびっしりくっついたという説もあるが推測の域を出ない。

おそらくこの76年間の間に日本でも仏師による大量の造仏がされるようになり、海に厄を洗い流すための「流し雛」ならぬ「流し仏像」の行事によって、海に数多の仏像がうじゃうじゃ浮かぶこととなったことと関係しているようである。そうした仏像の一つがアサクサノリに引っ掛かり、キンキラキンの仏像を漁師の檜前ブラザーズが、面白半分に拾ってきたというのが事実だと思われる。


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出典: へつぽこ實驗ヰキ『アンサイクロペディア(Uncyclopedia)
担当:Mamenoki