未来(みらい)は現在より時間経過的に先で、まだ記録が書かれておらず予想でしか推し量ることの出来ない時、およびその空間における事象を指す。
しかし、予想でしか推し量ることの出来ない所であり、またカオス理論(不確定性原理、バタフライ効果など)の発見に伴い「未来の正確な予想は、誰にも不可能である」ということが導かれたことから、予想による未来は現実の時間となった時(現在、過去になった時)に全てフィクションとなる事が判明している。
本項目では、その「フィクション化した未来」について取り扱う。 ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「未来」の項目を執筆しています。
目次
1 概要
2 予言系の未来
3 SF作品などによる未来
3.1 現在とほとんど変化ない未来
3.2 自分の国がやたらに繁栄する
3.3 中二病な未来
4 関連項目
概要
1980年代、現在のようなパソコンとインターネットを用いた様々な商業形態(ネットオークションやAmazonなど)、コミュニティ手段(電子メール、2ちゃんねる、ミクシィなど)、データベース(はてな、ウィキペディア、アンサイクロペディアなど)を予想したものが誰もいなかった事、それに1981年にビル・ゲイツが「将来もパソコンのメモリは640KBあれば十分だろう」と発言したこと、1991年になっても「将来、米ソ間の第3次世界大戦が起こる」と主張する本が出たことなどが示すように、未来予測というのは極めて困難なことである。
まさに「風が吹けば桶屋が儲かる」かのごとく、一見小さい出来事にしか見えないことが、将来を大きく動かす要素になることが、世の中には多々あることをこれらは示している。
しかし、未来予想が不可能である事が実証されているにもかかわらず、それに挑もうと考えてしまう人は後を絶たない。その背景には様々な事情があるのだが、結果として「フィクション化した未来」がたくさん生まれてしまうことになる。それを分別すると、以下のようになる。
予言系の未来
最もフィクション化したことが多い未来は、「予言」・「預言」系の未来である。『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』(百詩篇集)で記された「1999年に天から来る恐怖の大王」、「蘇らされるアンゴルモアの大王」の解釈をめぐり、1973年ごろから五島勉を始めとする数十?数百人規模の人たちが、「この世の終わり」だの「戦争勃発」だの「火山噴火」などと珍説を繰り広げ、1999年8・9月にバラエティ番組等で物笑いの種になったことは特に有名である。
しかし今なお、未来を占い、オカルトや(自称)科学等で研究するなどして、「予言」をしたがる人間は多い。細木数子や美輪明宏のように個人に対してそれを行うもの、2012年におけるフォトンベルト突入の危機を描いた本の著者のように社会全般に対して行うものなど、その予測規模には幅があるが、的中率を見てみると5割を上回るものすらほとんどいなかったりする。
それでも未来予想を信じたがる人が後を立たないため、こういう「予言師」・「占い師」等が失職する日は訪れようとはしていない。
心理的安心感を得たいという人間の欲求がその背景にはあるのだが、「未来は予想されたものであり、変える事が不可能である」(ラプラスの魔、アカシックレコードなど)という考え方は、「将来に対する努力は全くの無価値である」という意味になり、人間が今後取り組まなければならない問題(環境、治安、教育、食料など)に対しての思考停止を招き、本当の「未来」に対する悪弊となる可能性がある。このことは、もっと留意されてしかるべきであろう。
SF作品などによる未来
SF小説・漫画・アニメ・映画などはもとからフィクションなのだから、ここに入るのはおかしいと見る向きがあるかもしれない。
未来を舞台にした作品を描く作家の方は、当時の時勢による将来予想を元に人類や地球の未来を描いているため、数十年経つと不自然性が目立ってしまうことは多々ある(「銀河鉄道999」や「鉄腕アトム」など)。これは作家の力ではどうにもならないことであるため、非難するのは間違いである。
しかし、「十年一昔」という言葉の意味を忘れた人がSFやファンタジー作品等で「未来」を扱った作品を描いたときには、時にとんでもなく非常識的な作品が現れてしまうことがある。度が過ぎるとギャグ作品と間違えられてしまう。ここでは、それについて取り上げる。
現在とほとんど変化ない未来
西暦3000年の王政国家を舞台にしたにもかかわらず、地名が21世紀初頭の日本と同じで東海道新幹線やちゃぶ台がある世界になっていた「リアル鬼ごっこ」が代表的存在である。西暦1000年頃は、ヨーロッパではヴァイキングが猛威をふるっていて、日本では平安時代であったことさえ忘れてしまったために起こった現象であるといえる。