大菩薩峠
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著者名:中里介山 

「どうしてどうして、なかなか隅には置けねえね。ところがそのお雪ちゃん同様の、道庵お得意先の別嬪さんが、ふと病にかかって、ぜひとも道庵先生に診(み)ていただきてえ――そう言われると、こっちも男の意地でいやとは言えねえ、相手が別嬪だからって、後へ引くようなことじゃ年甲斐(としげえ)もねえ――」
と言って、一力(ひとりき)み道庵が力みますと、お雪ちゃんがまた、
「ホ、ホ、ホ、ホ」
と笑いました。相手が別嬪だから、後へ引くようでは年甲斐もない――というのは、やっぱり理窟に合わないところがあるのです。それをお雪ちゃんが少し笑ったのでしょう。そういうふうにお雪ちゃんの調子がいいものですから、道庵もいよいよ附け上って、
「そこで、一通りそのお嬢さんの脈を診(み)て上げて帰りに、先生一杯なんて、よけいなことをその家の両親共がすすめるもんだから、ついいい気持になっちまって、それから牛込の改代町まで来ると、出逢頭に子供を一人、蹴飛ばしちまったんだね。ところが、その子供の親父(おやじ)が怒ること、怒ること、むきになって怒るから、こっちも相手が悪いと思って、平あやまりにあやまったが、先方がどうしてもきかねえ。わしも困っていると、いいあんばいに仲裁が出ました。その仲裁人が、子供の親父をなだめて言うことには、お父さん、足で蹴られたぐらいは辛抱しな、この人の手にかかってみたがよい、生きた者は一人もない――だってさ。そこでおやじも、おぞけをふるって逃げて行った姿がおかしかったよ」
「ホ、ホ、ホ、ホ」
 お雪ちゃんがまた笑いこけました。しかし、これもお雪ちゃんとしては、笑いこけるほどの新し味があったかも知れないが、実は古いものなので、安永版の初登りあたりにあるのを、道庵が、単にお雪ちゃんを一時(いっとき)喜ばしたいがために焼き直した形跡がありありです。本来、こういうつまらない技巧は、道庵先生のために取らないところなんだが、お雪ちゃんの御機嫌に供えるために、ちょっと取寄せてみたに過ぎないでしょう。
 素直なお雪ちゃんは、そういう焼直しや、お座なりをあてがわれても、道庵のために快く笑ってやりましたが、
「先生、あなたは御自分の棚卸しばかりしていらっしゃるけれども、本当の値うちは米友さんが保証しているから間違いっこはありません、それに、わたしが今こうして、こんなに元気にお話を伺っていられるのも、先生のお力ですから、これが活(い)きた証拠じゃありませんか。わたしは、先生のお手にかかって殺されやしません、現在こんなに元気に生き返らせていただきました、ですから、何をおっしゃっても、先生を御信用申し上げずにはおられません――そこで先生、わたくしは冗談(じょうだん)はさて置いて、真剣に、先生にお説を伺ってみたいと思うのでございます。それはつまり、あの最初に戻りまして、世間では、子供が生れますと、ただ目出度い目出度いとお祝いをいたしますけれども、本当にそれが母となる人のために、また子として生れた当人のために、目出度いことなんでございましょうか。なお押しつめて申しますと……」

         五十七

「生れない方が幸福であったり、産まないがかえってお慈悲じゃないかとさえ、わたしは思われてならないことがあるのですが……」
「なるほど」
「産んで苦労をさせるくらいなら、苦労をさせないうちに――いいえ、この世に産み落さないことにしたのが、結局いちばん幸福じゃないかと思われてならないこともあるのでございます」
「なるほど、そりゃあ――そりゃ話が元へ戻るが、元へ戻るほど根が太くなる!」
と道庵が言いました。元へ戻るほど根が太くなるという言葉だけは論理に合っているのですが、道庵が何のために突然、右様な論理を持ち出したのか、そのことははっきりしません。ただ、単純に樹木にしてからが、根元へ来るほど太くなるという現前の事実が平明に突発してみたのだか、或いはお雪ちゃんの提出した根本問題が、ようやく重大なるものに触れて行くことを怖れたのだか、その辺は相変らずハッキリしないものであるが、多少の狼狽気味は隠せないものがあるようです。実は前々お雪ちゃんから左様な、性と生との根本問題をかつぎ出されていちずに共鳴感奮してみたものの、この問題をあんまり深く追究されると、自分の焼刃が剥げることの怖れから、冗談に逃げていたのを、また引戻されて押据えられる苦しさに、道庵がうめき出したようにも聞きなされたが、道庵先生ほどのものが、たかが小娘のお雪ちゃんにあって、その鋭鋒を避けなければならんというような、卑怯未練な振舞はあるべきはずはないのです――果して、陣形を立て直して道庵先生が、しかつめらしく構え出してお雪ちゃんに答えました。
「そりゃ、人間、生れて来た方がいいのか、生れねえ方が勝ちか、そのことはわからねえね。そのことはわからねえけれど、生れ出て、こうしてピンピンしている以上、どうも仕方が無えじゃねえか――ここでまあ、仮りにわしが、お雪ちゃんを憎いと言ったところで、殺すわけにゃいかず、可愛ゆいと言うたところで、茹(ゆ)でて食うわけにゃいかず」
 また、おかしくなりました。可愛ゆいからといって、茹でて食わねばならぬ論理と実際とはないのです。要するに出鱈目(でたらめ)です。
「先生、そのことじゃありません、わたしたちがこうして生きているのを、どうのこうのというわけじゃありません、これから生きようとするもの、これから生かそうとするものに就いて先生の御意見が伺(うかが)いたいのでございます」
「なに、これから生きようとするもの、これから生かそうとするもの、そんなものがこの世にあるか知ら、この一枚看板の一張羅(いっちょうら)、生かそうと殺そうと、質屋の番頭の腕次第……」
 また妙な緞帳臭(どんちょうくさ)いセリフがはじまったが、お雪ちゃんは存外それに引きずられませんでした。
「つまり、なんでございますね、これからこの世の光を見せようという親の立場になり、これからこの世の苦労を味わわされようとする子というものの立場になってみてでございますね」
「ふん、なるほど、してみるてえと、母の胎内にある子のために、また、その胎内に子を持つ母のためにってなことになるのかね」
「まあ、そうでございますね、最初に申し上げたでしょう、子を産むことは必ず目出たいこととされていますけれども――そういう場合に、本当の意味では、生れるが目出たいか、産むのが目出たくないか――というような理窟になりますか知ら」
「じゃ、かりに目出たくないとするとどうだね」
「なら、いっそ、親として産まないのが善いことであり、子として生れないのが善いことじゃないでしょうか」
「はてな」
 道庵は仔細らしく小首を傾(かし)げて、
「はて、お雪ちゃん、お前さんの質問が、深刻なようで上辷(うわすべ)りがし、上辷りがしているようで存外深刻でもあり、ちょっと、迷わされるがね、早い話が、結局こういうことになるんじゃねえか、どうも、そうなりそうだよ、つまり、お雪ちゃんの今の質問は論じつめると、子供が母の胎内にあるうちに、卸しちまった方が、子供のためにも、母のためにも、幸福じゃないか――こういって質問されているようなことになるんじゃねえかね。わしゃ、どうも頭が悪い」
と言って道庵は、そのくわい頭を軽く二三べん振って見せました。
「いいえ、そういうわけじゃないのよ、先生」
「どういうわけなんだえ」
「母と子との幸福のためには、産むということが犠牲になってもかまわないじゃないですか、と、わたしは考えていたものですから」
「はて、母と子との幸福のためには……産むということが犠牲――そうだな、やっぱり、露骨に言ってしまってみると、子供を卸しちゃった方が安心幸福ということになるんじゃねえか、と質問されているような気がするんだが、さて、お雪ちゃん」
 さて、お雪ちゃん、と、ここで道庵がばかに大きな声をしたものですから、お雪ちゃんが思わず真赤になりました。
「さて、お雪ちゃん、お前さんの質問は、いやに廻りくどく、学者風になってつめかけて来るが、詮(せん)ずるところ、母の胎内から子を卸してしまうか、もちと露骨に医者の方で言ってしまうと、堕胎をしてもいいか、悪いか――なおいっそう現実的に言うと、間(ま)びいてもさしつかえねえかどうか、という質問のように、拙者には商売柄、そう受取れるが――そうなると外科だね」
 道庵はお手のものと言わぬばかりに、けろりと取澄まして、べらべらと次の如く語り出しました。

         五十八

「そういう問題は、今更、お雪ちゃんから提出されるまでもなく、世間では、もう充分に、研究も翫味(がんみ)もしつくされていて、今は不言実行の時代に入っているんだよ――まあ早く言えば、いろいろの意味で子を産みたくないという奴が、世間にはうんといるのさ。そりゃ、子を産みたくって産みたくって、神仏まで祈り立てる奴もあれば、子を産みたくなくって、生れようとする奴を産ませまいとして、また産み並べた奴をもてあましてるのが、天下にうんとあるんだ――今更、お雪ちゃんのように、そんなに事新しく、婉曲(えんきょく)に、上品に持ち出すのが古いくらいなもんだが、この道ばかりは、古いが古いにならず、新しいが新しいにならず、やっぱり、人間生きとし生ける間は繰返されるんだ。だが、お雪ちゃんのように、そう学問的に婉曲に持ち出す間は、まだ花で、不言実行となると、みもふたもねえのさ」
「不言実行とは、どういうことなんでございますか」
「言わずして実地に行う、こいつがいちばん始末が悪いね――老子曰(いわ)く、言う者は知らず、知る者は言わずってね――こういう貧乏人にひっかかると、全く始末が悪い。今の問題で言うと、その不言実行、お産の方で、今の不言実行てやつが……」
「それが、どうなんでございます」
「言わずして行うというやつが、いちばん始末が悪いさ。宣伝屋や見栄坊なら、直ぐにそれと当りがつくが、不言実行というやつになると、どこでどうして、何をしているか、一向わからねえ、お産の方で言ってみるとだね、この不言実行てやつは……」
「それが、どうなんでございますか」
「つまり、闇から闇というやつでね――実行方法としては、今のその堕胎と、間(ま)びくというやつなんだ。お雪ちゃんが言論でもって、只今しきりに拙者に挑(いど)みかけている問題が、隠れて天下に堂々と実行されている、これがつまり、堕胎と、間びきということなんだ」
「どういうふうにして、その堕胎と間びきとやらが実行されていますか、それをお伺いすることはできませんでしょうか」
「おや」
「先生、そういうことを伺うのは失礼でございましょうか」
「失礼なこたあねえ、淑女の前でそういうことを口走る、こっちの方が失礼かも知れねえが、研究の心で、そういうことを先輩にたずねるのは失礼という話にはならねえ。まして医者に向って、そういうことをたずねるのは、餅屋へ餅を買いに行くのと同様、極めて自然にして穏当なことなんだから、遠慮なくお尋ねなさるがよい」
「ですけれど、先生、たった今、おや! とおっしゃって、ちょっと怖い目をなさったじゃありませんか」
「は、は、は、あれは、ちょっと眼を□(みは)ったというだけなんだ、お雪ちゃんという子が、存外、真剣に、その不言実行の実行方法まで立入ってたずねて来たから、それにちょっと、面くらっただけのものなんだ――なあに研究的に聞いて置く分にゃ、何でもないさ、つまり性の教育なんだからね。ところで……」
「ええ、わたしも、そのつもりで、大胆におたずねしているのですから、あつかましい奴とおさげすみなさらずに教えていただきとうございます。世間では、今おっしゃる通り、闇から闇ということを罪悪のようにも教えていますし――また、わたしたちの疑問からして見ますと、その闇から闇というのが、いっそ辛(つら)い日の目を見せて生かすよりは、大きなお慈悲ではないかという問題に出会っているのでございますから、その実行――つまり、先生のおっしゃる不言実行だって、そういちずに罪悪呼ばわりをするのはどうかと思われるじゃありますまいか」
「なるほど――理窟はとにかくとして、その子を卸すこと、つまり堕胎なんだね、その堕胎も、間びきも、滔々(とうとう)として不言実行されていることは事実なんで……また考えようによると、こうしてまあ徳川の天下が三百年も、ともかく無事で来ているというのも、見ようによれば、その不言実行が……」

         五十九

 そこで、道庵先生は自分の体験からして説き出しました、
「わしは、今でもこういうロクでなしだから、そもそもこの世に生れ落ちる最初から、このロクでなしの運命を持って生れて来たもので、わしの母親というやつが道庵を産むくらいのやつだから、どぶろくを飲むと夢みて孕(はら)んだわけでもあるまいが、こいつの生れるのを厄介がって、なんでもあとで懺悔話に聞くと、こんど生れやがったら、ひねってくれると言って待構えているところへ産みつけられたのがこの道庵だ。母親が、つまりおっかアが、この野郎と言って自分の胎内から出たところを自分の手でとっつかまえて、もろにひねり殺そうとしたんだが、そこは、道庵を子に持つくらいの母親のことだから、やっぱり、今いった鬼心仏手というやつで、心ではこの餓鬼をおっぴねくってくれようと待構えていたんだが、手が言うことを聞かねえで、とうとう、あったらことに、道庵の一命を助けてこの世に送り出したばっかりに、天下の不祥を引起して、今日この通り人生(ひとい)かしを稼(かせ)がせるようになったのでげす。つまり道庵のおっかアが、このロクでなしを間びきそこねてこの世に送り出したわけなんだが、この間びくというやつに、目口を抑えるやつもあれば、灰を持って来て口の中へ頬ばらせるやつもある、鶏をつぶすように手っ取り早く、首根っ子をおっぴねくってしまうやつもある。道庵なんぞは、その手っ取り早いやつで、すんでのことにやらかされようとしたのを助かって、今日この通りの太平楽という廻り合わせなんだ、何が幸いになるか知れたもんじゃあねえ」
 こういうことを、聞かれもしないのにべらべらと喋(しゃべ)って、曝(さら)さないでもいいおふくろと自分の恥を曝してしまったのも、酒のせいでもあり、相手が相手だから、無難だとも見たからでもあると思われます。
 本来、道庵先生、道庵先生で通っているが、未(いま)だに誰も、その出所来歴を知った者はなく、自分も江戸ッ子だと言って啖呵(たんか)は切るけれど、いったい江戸のどこで生れたんだか、その本姓も、本名も、年齢も、知った者はない。大菩薩峠発表以来三十年にもなんなんとするけれど、未だ曾(かつ)て、道庵先生の身寄りだと言って、訪ねて来た人も一人も無いでしょう。
 それほど、出所来歴の不明な道庵先生が、このままにして置けば、出所来歴の不明そのものが、やがて神秘的に衣をかけられて、勿体(もったい)もつけば箔(はく)も附くべきものを、よしないところで、言わでものことに口を辷(すべ)らせ、曝さでもの恥を曝すことになったのも浅ましい次第ですが、しかし、この告白もかなり割引をして聞かないと、前の落し話同様、思わぬところで種がばれ、底が割れないという限りはありません。
 お雪ちゃんも、もう数刻の談話で、その辺の呼吸が少し呑込めたと見え、さして人見知りをしないようになりました。
 その辺で、また道庵先生が一転して、堕胎や間(ま)びきの悪い風儀を罵(ののし)りながら、その口の下から、徳川幕府がこうして三百年も日本の国を鎖(とざ)していながら、人間がこの国に溢(あふ)れ返りもせず、人口過剰のために、乱民が出来たり、食糧不足が生じたりすることが、部分部分には多少なかったとは言えないけれども、大体に於ては、無事に三百年を経過して来たというものは、蔭にこの堕胎や、間びくことの不言実行が行われていて、そうして、おのずから人口調節になったのだという人の説と、これもまた一理あって、人間は鼠をつかまえて、鼠算だのなんのと愚弄(ぐろう)嘲笑するけれども、人間それ自身の殖え方が鼠には負けないこと、殖えるままに殖やし、生れるままに産ませて置けば、三百年どころではない、三十年、五十年で、二倍にも三倍にもなって、忽(たちま)ちこの島国は人間で蒸れ返ってしまう――そこで徳川三百年の間、たいして人口に増減がなく調節されて来たのは、この闇から闇の不言実行が、到るところに行われていた結果だという説と、それから、今まではそれでよかったが、これから開国ということになってみると、日本人も、どしどし外国へ行かなけりゃあならないのだから、人間をうんと産み殖やせということになるだろう、そうなると、これからの時勢は、右の不言実行の法度(はっと)が厳しくなる!
 というようなことまで、発展だか、脱線だか知らないけれども、道庵がお雪ちゃんのために語って聞かせました。
 しかし、お雪ちゃんは、どうもそういう政策問題には触れて行きたがらないで、ややともすれば、元へ元へと話を引戻したがっている気色(けしき)は明らかです。
「先生のおっしゃるところを伺っておりますと、子をおろすとか、間びくとかいったような行いが、たいそう悪いことのようにも聞えますし、また、そうでもないことのようにも聞えますが、いったい、どちらなんですか」
「お雪ちゃん、お前さん、またなんで、それが善いことか悪いことか、そんなに気にかけなさるんだい――どっちだって、お雪ちゃんなんかの知ったことじゃない」
「でも、先生は、そういうことを心得て置くがいいと教えて、ここまで、わたしを教え導いて下さったのじゃありませんか」
「心得て置くがいいったって、お前、程度というものがあらあな、この辺でいいよ、この辺で打切っちまおうよ、面倒臭いから」
「いけません、先生、すでにお話し下さらないなら格別、もう、ここまでお話し下さって、ここでやめてしまっては、本当の教育にはなりませんね、かえって、人に煮えきらない疑問を持たせて毒になりますから、わたしは承知いたしませんよ、わたしが承知しましても、わたしの研究心が満足しませんから」
「こいつはむつかしいことになった、お雪ちゃんの逆襲だ、こいつはたまらねえ」
「わたしは、心ゆくばかり伺ってしまわなければ満足しない病があるんでございます、こんな機会に、またとない先生から伺って置かなければ、生涯の大事な学問をしそこなってしまいます」
「驚いたね、こうまで逆にとっちめられようとは思わなかった、こうなると、道庵も、もう後ろは見せられねえ、何でも聞きな、あけすけに――矢でも鉄砲でも持って来い」
 急に力(りき)み出して、啖呵(たんか)を切ったものですから、お雪ちゃんがまた笑い出して、それでもこの機を外さないように、抜け目なく問題を持ちかけてしまいました――
「では伺いますが、先生、お江戸には中条(ちゅうじょう)ってお医者があるそうじゃございませんか」
「なにチュウジョウ――そんな医者は知らねえ、そりゃたくさんの藪(やぶ)の中には、そんな筍(たけのこ)もあるかも知れねえが、いちいち姓名は覚えちゃいられねえ。チュウジョウ――おいらの近づきにゃ、そんな……待ちな、ああそうか、チュウジョウじゃねえ、ナカジョウだろう、中条と書いてナカジョウと読んでもれえてえ、あれだろう、字は同じなんだが」
「そんならナカジョウですか、あれは何をするお医者なんでございますか」
「驚いたね――中条というお医者は何をするお医者さんだと、年頃の娘さんから赤い面(かお)もしないで……反問されようとは予期していなかった」
と道庵は、眼をギョロギョロさせて、気味の悪いほど、しげしげとお雪ちゃんの面をながめましたから、その時に、はじめてお雪ちゃんが少々恥かしい気になりました。
「お雪ちゃん」
 道庵はとぼけたような、とぼけないような面をして、とろりと――お雪ちゃんの面をながめながら、
「お雪ちゃん――お前さんは」
「先生、そんなに、わたしの面ばっかりごらんになってはきまりが悪うございます」
「いいんや、こっちがかえって面負けなんだ。だが、お雪ちゃん、しっかりしなくちゃいけねえぜ」
「何をでございます、先生」
「何をったって、お前さん、見かけによらねえ白無垢鉄火(しろむくてっか)だ」
「何でございますか、それは」
「お前は、今まで、鎌をかけかけ、この道庵から絞り出そうとたくむ敵は本能寺にあることがよくわかった、全く小娘と小袋は油断ができねえ――」
「いいえ、なにもわたしは、たくんで先生から物事を承ろうとも致しません」
「致さないことがあるものか、お雪ちゃん、お前は、さいぜんから、この酔っぱらいを、舌の先で遠廻しに操(あやつ)って、この道庵の慈姑頭(くわいあたま)から絞り出そうという知恵は、つまり子をおろす方法と、それから子種を流すにいい薬でもあったら、それをたぐり出そうとこういう策略なんだ、わかった、全く油断ができねえ、お雪ちゃん、お前という女は雪のように白い女だか、もう泥のように真黒くなっているんだか、そこんところを、これから拙者が見届けて、それからの挨拶だ、人間というやつは、うっかり信用すると一杯食わせられる」
「まあ、ひどい――先生は何というヒドイ邪推をなさるお方でしょう。御自分で、わたしを教育して下さるとおっしゃりながら、そうして聞くは一時(いっとき)の恥、聞かぬは末代の恥だから、何でも先輩に向って、先輩を困らせるほど質問をしなければ、学問は進歩しないなんぞとおっしゃりながら、わたしが順々に質問を進めて参りますと、もう、そんな乱暴なことをおっしゃる――」
「うむ――わからねえ、わからねえ、お雪ちゃんという子もわからねえ子だ、こっちが降参したくなっちゃった、ムニャ、ムニャ、ムニャ」
 道庵は早蕨(さわらび)のような手つきをして、盃を高くさし上げた姿を見ると、身ぶり、こわ色でごまかそうとするもののようにも見えるので、
「先生は、卑怯なんでございますね、もし、その上わたしが、では子を堕(おろ)す仕方はどう、またそのいい薬があったら教えて頂戴と、本当に切り出したらどうなさいます。それから、間(ま)びくというのは、どんなことか、その仕方や実例なんぞを挙げて教えて下さいと伺ったら、どうなさいます。ごまかしたっていけません、わたしはこれでもすべて物事に徹底しないと、やめられない学問の癖があるのでございますから、途中でおやめになっては罪です、わたしが許しません、先生らしくもない」
 お雪ちゃんにこう浴びせかけられると、道庵がまたムキになって力(りき)み出し、
「何だと。生意気なことを言いなさんな。こっちが降参したというのは、相手が処女だと見たから、処女性を尊重する意味に於て、しばし旗を巻いただけのものなんだ、それを逆襲して来るなんて、見かけによらねえ図々しい奴だ。それならば、こっちも天下の道庵だ、胆吹山の根っこで、乳臭い娘に、とっちめられて音を上げてしまったと言われちゃあ、末代までの名にかからあ。さあ、こうなれば女であろうと容赦はしねえ、矢でも鉄砲でも持って来な、月(つき)やくを流す薬が幾通りあって、子を堕(おろ)す手段が何箇条あるか、子を産んで間びく方法が幾通りあって、どういうふうに、どういう階級で行われてるか、洗いざらいみんな話してやる、さあ持って来な、矢でも鉄砲でも持って来な。だが、只じゃ答えねえぜ、こう見えても、こっちも商売だからな、只で秘伝を打明けるということは商売冥利(みょうり)の上からできねえ――代を払いな、代を払いなよ、十八文じゃいけねえよ、その代価というのは、まずお前(めえ)、こっちの質問に答えることだよ。いいかい、お前がたずねるほどのことを、これから道庵が一切残らず答えて上げることの代りに、お前がまず、道庵が訊問するほどのことを、まず一ぺん答えてからでなけりゃあ、術譲りをするわけにいかねえよ。その人にあらず、その器(うつわ)にあらざるものに、大法を伝えるというわけにゃいかねえが、どうだ」
「ええ、よろしうございますとも、何でも試験をしていただきましょう、先生のお出し下さる試験問題に及第するか、しないか、そのことは別個と致しまして、知っている限りの御返事だけは、ちっとも御辞退なしに申し上げてしまいますわ」
「よし来た、じゃあ、聞くがな、お雪ちゃん、お前は孕(はら)んだことがあるかい、ないかい」
「えッ」
 この剥(む)き出しな試験問題には、充分覚悟をきめていたお雪ちゃんが、慄(ふる)えあがって、二の句がつげませんでした。そうして面(かお)の色がみるみる変り、唇の色までが変って、わななかされている体(てい)は、見るも気の毒なものでした。

         六十

 これより先、今宵のこの二人の水入らずの会話と討論会が酣(たけな)わなる時分から、この館(やかた)の例の松の大木の根方に彳(たたず)んで、ひそかにそれを立聞きしていた者がありました。
 それは最初から立聞きに来た目的ではなく、ここを訪れようとして偶然、内では水入らずの会話と討論とが酣わであることに気がつくと、つい無遠慮にもおとない兼ね、そうかといって、引返すのも残念なように見えて、ついつい松の根方に彳んでしまったものとして受取れる。自然、そうしている以上は立聞くつもりでなくっても、おのずから内なる人の会話と討論とは、手にとるように聞き取れるのです。
 内なる水入らずの二人も、会話と討論の気合がよく合うものですから、我を忘れて昂奮もすれば、躍起ともなり、また笑い溶かしたり、笑いくずしたりして、たいそうたあいない会話と討論ぶりが、いよいよ酣わになるばかりでありました。
 この水入らずの酣(たけな)わなる会談が、もし相手次第では、ずいぶん聞捨てにならないほど、人の嫉妬(しっと)に似た心理作用を捲き起すかも知れないが、この話題の二人の人格に格段の異色があるところから、誰が聞いていても、その熱心ぶりにこそ興を催せ、これに嫉妬だの、艶羨(えんせん)だのというに似た感情を起させることは、万無いのでありました。
 そこで、立聞きをしていた人も、存外いらいらした気分も見せないで、おとなしく会話と討論の酣わなるを聞き流していたが、その会話と討論は、いよいよ酣わになるばっかりで、いつ果てるとも見えないものですから、その点に於て辛抱なり難いものの如く、松の根方から、また静かに身を動かして、南庭から西の軒場へ歩み去る姿を見ると、それは覆面の姿であります。
 覆面をしたからといって、辻斬りの本尊様ではなくて、女の姿であることによって、直(ただ)ちにそれと受取れる、それはお銀様の微行姿(しのびすがた)であります。
 お銀様は、たしかにこの屋を訪れて、お雪ちゃんにでも何か用向きがあって来たものか、或いは何か他に目的があって来たのか、とにかく、尋常にこれへ訪ねて来て、この酣わなる会話と討論のために、その用向きを遠慮して、静かにこのところを去るのであります。
 そこで、この女の人の姿が、館の後ろの叢(くさむら)の中に隠れてしまいましたが、暫くたつと、西へ離れて広々とした裾野の中に裾を引いて、西に向って歩み行く同じ人の姿を認めることができました。
 こうして、ゆっくりと、西へ向って裾野に裾を引いて行くが、この道を西へ向って行く限り、昨晩のあのセント・エルモス・ファイアーに送られた異形(いぎょう)の人と同様の道に出でないということはありません。
 かくてお銀様は一人、宵の胆吹の裾野を西に向って行く。西の空に新月が現われるのを認めます。琵琶湖の対岸の山々、雪は白し比良ヶ岳の一角から、法燈の明るい比叡の山あたりの連脈と見ておけばよろしい、その上の空へ繊々(せんせん)たる新月がかかりました。西へ向って行く限り、眼が明らかである限り、前途の山川草木の大観をすべて犠牲にしても、この新月一つを見ないで進むというわけにはゆきはすまい。お銀様は当然、新月の光をその額に受けつつ、西へ向って、そぞろに歩み行くのであります。
 およそ月を愛する人で、新月を愛さないものはありますまい。名は新月というけれども、実は新月ではないのです。月の齢(よわい)を数える場合には、満月を処女として、それから逆算して、いわゆる「新月」をたけたりとしなければなりません。女で言えば、満月にむしろ娘としての花やかさがあって、新月に凄い年増(としま)の美がある。さればこそ里の子供らも満月を見ると思わずそれに呼びかけて、
お月様いくつ
十三七つ
まだ年は若いな――
と、満腔(まんこう)の若やかな親しみを寄せるけれども、新月を見て、そういう親しみを持ち得る子供はない。新月を見ることを愛するものは、やはり年増の味を愛することを知る人でなければならない。
 そこで、「新月」の名はどうしても逆で、満月が新月で、それからだんだんにかけて行って新月になるというのが感情の上からは順当であるけれども、そうかといって、かけるほど、細くなるほど、老いたりとするのは当らない。いかにかけても、細くなっても、新月はやっぱり新月なのであります。満月が老い、朽ち、衰えて新月となるのではなく、満月が研(と)がれ、磨(みが)かれ、洗われ、練られ、鍛えられつくして、その精髄があの新月の繊々(せんせん)たる色と形とをとって現われるのであります。
 ですから、四日月よりも三日月がよく、三日月よりも二日月に至って、まさに月というもののあらゆる粋(いき)と美とが発揮されてくるのです。そこで人は、彼に「新」という名を与えずには置かない。他の物象にあっては、老いということは衰を意味するけれども、月にあってのみは、老いが即ち粋となり、凄(せい)となり、新となる。
 お銀様もまた、昔から、この「新月」が好きなのでありました。特に今まで、お銀様が「新月」が好きだという記録はこの作中には書いてなかったが、それは書く場所を見出さなかったから現われなかったまでのことで、かつて武州小仏の峠から、上野原方面へ迷い入った時に、たしかこの月影を西の空にうちながめたことがあったはずです。「新月」を好くお銀様は当然、「満月」というものを好かないのです。好くとか好かないとかいう純美淡泊なる感情も、この人に宿る時は、好きは溺愛となり、好かぬは憎悪(ぞうお)とまで進んで行き易(やす)いことは、当然の行き方でありました。
 そこで、お銀様が新月が好きだという時は、全心をつくして好きになり、満月が好かない! という漠然たる感情が、満月は嫌いだ! という憎悪となり、やがて、満月の高慢が好かない、人が月見の何のともてはやすことが憎い――ということにまで進んで、そうして、その反動が新月を好きになることに加わって行くのです。
 お銀様は今、新月の宵を、ひとり歩んで行くことの満足と快感とを感ずると共に、誇りに似たものをさえ思い浮べてきました。そうして、いつもこういう時に、念頭に上って来るのは、唐詩の
繊々初月上鴉黄
という句なのであります。これは、あながちお銀様に限ったというわけのものではなく、誰しも唐詩を知るほどのものにして、新月を見た最初の感情として、まずこの句を思い浮べないものはないでしょう。
繊々たる初月(しょげつ)、鴉黄(あおう)に上(のぼ)る
 初月は即ち新月であって、その文字の選び方に於て、少しも原意を損ずることはないのみならず、繊々たるという畳語(じょうご)のほかに、初月そのものを形容する漢字はないといってもよいくらいです。
 だが、お銀様にとっては、この「繊々初月上鴉黄」という一句が、また、なかなかに恨みの余音(よいん)を残している一句でありました。

         六十一

 お銀様はその好きな新月を、よく故郷の空に於て見たものですが、その都度、やはり無意識に、「繊々初月上鴉黄」という一句を、まず念頭に思い浮ばしめられてくるのが習いとなっていましたが、最初のうちはただ何となしに、その一句が頭にうつり、それを無意識に口ずさんでみる程度のものでしたが、そのうちに、いつということなく一つの疑問に襲われたのは、「繊々たる初月」ということには何の異議もないが、「鴉黄に上る」というあとの半句が解しきれなかったのです。
 鴉黄というのは何だろう。鴉という字はカラスという字だから、鴉(からす)がねぐらに帰り、空の色がたそがれで黄色くなる時分に、新月が上り出したという意味ではないかと、最初のうちは漠然と、そんなふうにのみ解釈していましたが、そのうちに、お銀様の研究癖が、単にそんな当て推量では承知しなくなりました。
 そこで、書物庫へ入って古書を引出して取調べをはじめたことです。調べがすんでみると、全く予想だもしなかった意義と歴史とを発見することができました。鴉黄というのは、鴉のことでもなければ、黄昏(たそがれ)のことでもない。それには、想い及ばなかったところの濃厚な意味が含まれていると共に、お銀様の反抗心を、また物狂わしいものにしたところの、歴史上の重大なる描写と諷刺とのあることを、あの詩全体から発見するに至りました。
 あれは申すまでもなく、盧照鄰(ろしょうりん)の「長安古意」の長詩の中の一句でありますが、何の意味となく誦していたところのものと、新たに取調べたことによって、お銀様はとりあえず、「鴉黄」というのは、唐の時代に於て、支那の風流婦女子によって盛んに行われたお化粧のうちの一つで、額の上に黄色い粉を塗って飾りとしたその習わしであることを知ってみると、「繊々たる初月」というのも自然の夕空の新月のことではなくして、その黄粉を粧うた美人の額の上に描かれた眉の形容であることを知るに及んで、漫然たる最初の想像が全く覆(くつがえ)されたのです。
 ちょっとしたことでも、物は調べてみなければならない、学問上のことについては、独断であってはならないという自覚を、お銀様がその時に呼び起されてみると、同時に、ただあの詩の中の右の一句だけでなく、あの長詩全体に亘(わた)っての意味を味わわなければならないと、自家蔵本の渉猟にとりかかりました。
 その結果が、お銀様を「長安古意」のたんのう者としたのみでなく、その作者であるところの盧照鄰という古(いにし)えの薄倖なる詩人に対して、同情と哀悼(あいとう)の心をさえ起さしめたのであります。
 お銀様の頭には、今、この「長安古意」が蒸し返されて、あのとき受けた強い印象が、つい目の前に蘇(よみがえ)り迫って来るもののようです。
 お銀様は、ただもう、その古詩を思い出すことによって、感情が昂(たか)ぶってきましたが、足許は焦(あせ)らずに、胆吹の裾野の夕暮を、じっくりと歩んでいるのです。
 その時、不意に右手の松林の間から、叱々(しっしっ)と声がして、のそりと、一つの動物が現われ出しました。見ればそれは巨大なる一頭の牛が、後ろから童子に追われて、ここへ悠然と姿を現わしたものですが、牛は牛に違いないが、その皮の色が真青であることが、いとど驚惑の感を与えずには置きません。
 それが行手に、のそりと現われたものですから、お銀様も少しくたじろぎました。しかし相手は牛のことであり、不意に現われたとはいえ、牛飼がちゃんと附いて、この温厚な動物を御(ぎょ)しているのだから、寸毫(すんごう)といえども恐怖の感などを人に与えるものではありませんでした。
「奥様、こんにちは」
 牛飼の少年は、質朴に、そうしてさかしげにお銀様に向って頭を下げて通り過ぎようとしました。
「奥様」といったのは故意か偶然か知らないけれども、昨今ではあるが、みんな自分の周囲の出入りの者、見知り越しの土地の人などが自分を呼ぶのに、この「奥様」という語を以てすることをお銀様が納得している。お銀様はむしろ令嬢として扱われるよりは、奥様と呼びかけられることを本望としているらしくも見える。
 してみれば、この牛飼の少年も、多分、お銀様の新植民地の建前工作にあずかっている人数のうちの、家族の一人であることが推察されないでもない。ただ、不審といえば不審というべきは、こんな少年を、あの工事中のいずれに於てもまだ見かけなかったこと! この少年が鄙(ひな)に似合わず、目鼻立ちの清らかなということにありました。
「ちょっとお待ち」
 やり過ごして置いてから、お銀様が、何のつもりか、後ろからその少年を呼びとめたものです。
 しかしながら、その子供は見向きもしないで、さっさと行ってしまいます。多分、お銀様から呼ばれた言葉が聞えなかったのでしょう。しかし、お銀様は強(し)いて、声を高くして再びそれを呼び返そうとはしませんでした。

         六十二

 そうしているうちに、お銀様の身は、いつか大きな松林の中へ隠れてしまいましたが、また暫くあって、その松林の一方から姿を現わしたところは、不祥ながら、それは一つの卵塔場(らんとうば)でありました。つまり、人間の生命(いのち)のぬけがらを納めた墓地という安楽所の一角へ、思わずお銀様は足を踏み入れてしまったのです。
 しかし、これは、ああ不吉! と言って引返すお銀様ではありません。これを突っ切ることが目的地に達するに近路だと考えれば、必ずその通りに進んで行くに相違ない。果して、お銀様はその荒涼たる墓地の中の細道を分けて進んで行くと、墓地の中に人の声がしました。いや、人の声よりも先に鍬(くわ)の音がしたのです。鍬を使う人があって、それがカチリカチリと小石に当って土をほごす音が、一層その場の情景を陰惨なものにしましたけれど、情景そのものよりもお銀様は、鍬の音と、その音をさせる主との何者であるかに眼を放ちました。
 薄暗い墓地の中ほどに、一人の男が半身を土に没して、しきりに大地を掘っている。大袈裟(おおげさ)に言えば、地球の一部分を破壊しているのです。それが当然、墓地の領土の中である以上は、無意味に大地を破壊しているわけでもなし、また耕作のために開墾しているわけでもありません。穴を掘っているのだということが一目でわかります。
 穴を掘るとは言うけれども、土のどの部分をでも穿(うが)ちさえすれば必ず穴にはなるのですけれども、ここの場合に於ては特にそれが違う。ここで穴を掘るのは、掘るその約束がある。つまりここで穴を掘ることは、人間の生命を埋むべきために掘るので、人間の生命を埋むるために大地を破壊することが公然と許されるのは、単にこういう地点だけに限ったものなのです。
 しかし、普通ならばこの際、お銀様も、わざわざ特にそういう人が不吉な作業をしている特種地の一角まで足を枉(ま)げて見ることはしなかったでしょうが、どうも、分けて行くこの細道が、その「穴掘り」作業の傍らを通らないことには、これを突切ることは不可能の道筋になっていましたから、そこで、やむなく右の「穴掘り」人足の鍬を持っている方へと近づいて、ついその眼と鼻の先まで来ると、先方が早くも鍬を休めて、そうして頬かむりをとって、恭(うやうや)しく、そちらから挨拶をしたものです――
「これは奥様――おいでなさいまし」
 はて、この男はよそ目もふらず鍬を使っているとばかり信じていたら、いつか早や、自分のここへ来たことを知っていた。いつのまに、どうして気がついたろうと、お銀様が不思議がって、その頬かむりを取った面(かお)を見ると、これはこの頃中、よく自分の方の建築工事に手伝いに来ている兵作という朴訥(ぼくとつ)な男でありました。
「兵作さんでしたね」
「はいはい」
「何ですか、おとむらいですか」
「はい、どうも、よんどころなく、この方を頼まれたものでございますから」
「村の方ですか」
「いいえ、はい、その……」
 兵作の返事が、しどろもどろになるのは、何か特別に意味がありそうです。
「どうしたのです」
 お銀様もしつこくそれをたずねてみる気になりました。
「どうも、誰も頼まれて上げるものがございませんから、つい……わっしにおっかぶせられてしまいました」
「それは、どうして」
 お銀様は、不承不承な兵作の態度を、合点(がてん)のゆかないものだと思いました。

         六十三

 なぜならば、誰も好んで墓場の「穴掘り」をやりたがるものはなかろうけれど、それを職業とする者のない田舎(いなか)では、当然村人が代り番にそのおつとめをすることになっている。当番に当れば免れ難いことになっているのを例とする。そこで、これは自治体としても、隣人同士としても、必然の義務になっているのだから、特に志願したり、強制したりする必要のない如く、当番がめぐり来(きた)れば、甘んじて奉仕しなければならないはずになっているのです。
 それをこの兵作は、自分に限って無理押しつけにでも押しつけられたもののように、不本意たっぷりの言い分ですから、お銀様は、そこにまた相当の事情がなければならないと思い、
「お前さん、亡くなった人を葬るために働くのは村の人のつとめの一つであり、またそのために精出して働くことが、亡くなった人の供養にもなるじゃありませんか、後生(ごしょう)の心持でおやりなさい」
 お銀様はこう言って、たしなめるような、励ますようなことを言いますと、兵作が、
「ところが奥様、今度の穴掘りに限って、村の人がみんないやがるんでございます。イヤがるだけじゃございません、たれも穴を掘ってやり手がねえんでございます――といって、犬に食わせるわけにもいきませんから、兵作お前やってくれと言って、名主からわしに名指しで頼まれたんでございますがね、名主様のおっしゃることなら、兵作貴様これをやれ、と御命令でもやらなけりゃならねえですが、名主様から頼むように、わっしの名指しでおっしゃられてみると、どうにもこうにも、お引受けしねえわけにゃいきませんからなあ、で、まあ、私がこうやって一人で掘りはじめてみると、いいあんばいに一人、手助けが出来ましてね」
「そうなのですか、そんなにまで村の人から嫌われているお墓の主は、どういう人なのですか」
「つまり、人間の仲間外(はず)れですねえ、悪いことをした酬(むく)いなんだから、どうにも、やむを得ねえでございます」
「何をそんなに悪いことをしたのです、たいていの罪があっても、死ねば帳消しになるじゃないの」
「左様でございます、死んでしまえば、てえげえの罪は帳消しになるんでございますが、今度のはただ眼をつむったということだけで帳消しになるには、あんまり重過ぎました」
「いったい、何の罪なのです」
「第一、姦通(まおとこ)でございます」
「姦通――」
「はい、それから、横領でございます」
「横領――」
「それからもう一つ、人殺し」
「まあ――」
「人殺しといっても、只の人殺しじゃございません」
「どういう人殺しですか」
「主人殺しでございます」
「え――」
「それから、夫殺しでございます」
「え――」
「そういう重い罪人でございますから、磔刑(はりつけ)にかけられましたが、その死骸を引取り手もございませんし、まして、葬ってやろうなんぞという人は一人もございませんので……」
「まあ、一人でそんなに重い罪を幾つも犯したのですか」
「いいえ、一人じゃございません、二人でやりました、姦通同士の男女(ふたり)がやりました。ごらんなさいまし、あの通り、もう一つの穴を、わっしの手助けに来た人がああして、せっせとあすこで掘っています」
「おおおお」
 その人は、もうかなり深く穴を掘り下げているものですから、ほとんど今まで、お銀様の感覚に触れないほどの物静かさでありましたが、そう言われて見ると、なるほど――全身は早や穴の中に隠れながら、もくもくと土だけを上へほうり上げている動作がよくわかります。
「わしは、その男の奴の方をこうして掘っていますだが、手助けの人は、ああして女の奴の方を掘っているんでございますが、男の方よりも、女の方のが、ずんと罪が深いのでございますよ」

         六十四

 それを聞くとお銀様が、その場を動けなくなりました。何ということなしに立ちつくしてしまいました。前路の目的も忘れてしまい、後顧の考えもなくなって、墓穴の中を見込んで、じっと突立ったままでした。
「穴掘り」の兵作は、これでお銀様への御挨拶は済んだという気持で、再び穴の中へ下りて頬かむりを仕直すと共に、カチカチと鍬の音を立てはじめました。
 お銀様は、じっと立って、その穴を見つめたままです。多少の時がうつります。日中ならば時のうつり方も緩慢に見えますけれども、黄昏時(たそがれどき)であっては、急速の移り方で、みるみる暗いもやがいっぱいに立てこめて、暮の領域はみるみる夜の色に征服されて行くのが烈しいのです。
 四方(あたり)が全く暮れてしまったと言ってもよいのですが、お銀様はまだその地点を動きません。穴掘りも、ようやく深く掘り下げて行くほどに、姿は陥没して行くけれども、鍬(くわ)の音だけは相変らずカチリカチリ、陰惨なうちにも迫らない動作を伝えていますが、この方はこれでよいとして、今し掘られつつある墓穴は、この一つだけではありませんでした。
 それよりもなおいっそう罪深き一方を葬るためと言われた他の一つも、同様以上に掘下げ工作が進捗(しんちょく)しているはずなのですが、この方は最初から、うんだともつぶれたともお銀様に向って挨拶は無く、お銀様もまた、最初から、とんとこの方はおかまいなしの体(てい)でしたが、ややあって、静かに歩みを移して、その閑却せられた一方の墓穴の方へと近づいて来ますと、さいぜんの穴の中から兵作の声で、
「おーい、若衆(わかいしゅ)さん、今お嬢様がお前の方へいらっしゃるから、よくお話をして上げてくんな」
 そうするとこちらの穴の中から、若いやさ男の声として、
「はーい、承知しました」
と返事をするのです。はて、おかしいな、こっちの穴の中の兵作は、穴の中を深く掘り下げていながら、自分がおもむろに歩みをうつして一方の穴へ近づいて行こうとするのを、どうして認め得たろう。そうして、やはり穴の中から一方の相手に向って、頼まれもしない先ぶれを試みている。お銀様は面妖(めんよう)な相手共だと心に感じながら、その一方の穴へ近づいて、ほとんど中を覗(のぞ)きこむばかりにして見ると、
「お嬢様でございますか」
 穴の下から、若いやさしい男の声なのです。こっちも、自分が来たのを、穴の中に見ず聞かずにいながら心得ているらしい。しかも、最初は兵作にしてからが「奥様」呼ばわりであったのが、ここへ来ると、もう「お嬢様」に変化してしまっている。しかし、もう、のっぴきならないからお銀様が、
「わたしです、そういうお前は誰ですか」
 こう言って返事をすると、穴から噴(ふ)き出しでもしたように、若いやさ形の男が現われて、いきなり前の兵作がしたように、頬かむりをとって、その面(かお)を突き出して莞爾(にっこり)と笑ったところを見ると、
「あら、お前は幸内(こうない)じゃないの」
 この時はお銀様が狼狽(ろうばい)して、驚愕の声を上げました。
 本来ならば、たとえ頬かむりを取ってみたところで、この宵闇では、知った面であろうとも、なかろうとも、急にそれとは気のつくはずはないのですが、打てば響くようにお銀様が、はっきりと音(ね)を上げました。
「お嬢様、お久しぶりでございました」
「まあ、幸内――」
「お嬢様、ほんとにお久しぶりでございましたねえ」
「お前、どうして、こんなところに、何をしているの」
「はい、さきほど、兵作さんからお聞きの通りでございまして、誰もかまい手がないものでございますから、つい、おてつだいをして上げる気になりました」
「お前のその痩腕(やせうで)で、そんなことにまで頼まれなければいいに」
「でもお嬢様――わたしのようなものが頼まれて上げなければ、誰も頼まれてやる人はありませんもの」
「でも、もういいから、おやめ――お前の代りに、誰か人を雇って来て上げるから」
「有難うございます、では、そういうことに願いまして、わたしは、これからお嬢様のおともを致しましょう」
「そうしておくれ」
「それでは、あの井戸の傍へ行って手を洗って参りますから」
「わたしが洗って上げるからおいで」
「有難うございます」
 そこで、お銀様は夢うつつのようになって、幸内を導いて行くと、墓地の中ほどに車井戸がある。
「わたしが水を汲んで上げるから、手をお出し」
「済みません――」
「なかなか深い井戸だね」
「なかなか深うございます、御用心なさいませ」
「さあ、もっと汲んで上げるから、面(かお)も、足も、洗ったらいいでしょう」
「まことに恐れ入ります」
「幸内」
「はい」
「こうして車井戸の水を汲み上げていると、あの昔の、躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の古屋敷の時のことを思い出さない?」
「思い出さないどころではございません、もうここへ参ります時から、頭の中がその時のことでいっぱいでございます」
「神尾主膳という奴は悪い奴ね」
「悪い、悪い、極悪人でございます」
「かわいそうね、お前は」
「お嬢様、もう、それをおっしゃって下さいますな、おっしゃらなくても、幸内の魂は、それでおびやかされ通しでございます」
「わたしが悪かったねえ、堪忍(かんにん)しておくれ」
「いいえ、お嬢様がお悪いのじゃございません、伯耆(ほうき)の安綱が悪かったのでございます」
「もう、それも言うまい。さあ、面と手をお洗いなら、これでお拭き」
「いいえ、手拭を持っておりますから」
 幸内は、最初頬かむりをしていたところの手拭を取り出して、手と、面と、足とをよく拭って、そこに置き並べた草履(ぞうり)をつっかけて、はしょっていた尻をおろしました。その途端にお銀様が井戸の流しの一方を見て、
「幸内、あれは何?」
「あれが、その、今お話の、二人の亡骸(なきがら)でございます」
「え」
 お銀様は目をみはりました。

         六十五

「あれが、さきほど兵作さんがお話しになりました、罪の男女の亡骸なんでございます」
 二人が目を合わせて注視したその井戸側の一方に、薦(こも)をかぶせて、犬か猫なんぞのように置き捨てられた二つの物。
「ごらんになりますか」
と言って幸内は、そろそろ歩みよって、まずその一方の薦を、ちょっと刎(は)ねのけて見ると、刑余の死人のその男の方と覚しいのがまず現われました。お銀様は、やや長いことそれに目をつけていたが、
「おや、この男はお前によく似ている」
「お嬢様、こちらの方もごらんになりますか」
と言って幸内は、男の方のにしずかに薦をかぶせて、他の一方の薦をしずかに払って見ると水々しい女。しかも、前の若いのとは年齢に於ても、だいぶ隔たりのありそうな大年増。それもなかなかかっぷくもよく、品格もある相当大家の奥様といっても恥かしくないほどの女房ぶりでした。
 前の男の方のを見ては、これはお前によく似ていると幸内に向って言ったお銀様も、この女の方を見ては、義理にも、わたしに似ているとは言えないほどの隔たりがあるのであります。
「でも、どこかで見たような人だ」
 お銀様はこう言ったけれども、さりとて、どこの誰だということが、はっきり頭にうつって言ったのではありません。
 そのうちに幸内は、また薦(こも)を卸してしまって、
「では、お嬢様、これからおともを致しましょう」
「行きましょう」
 ここで、お銀様は幸内を召しつれて、ようやくこの墓地を通り抜けにかかりました。
 幸内はおともをすると言ったけれども、どこへ向ってということに駄目も押さず、お銀様も幸内を召しつれたけれども、これからどこへと目的地を示すでもありません。しかし、まもなくこの陰惨不祥なる「墓穴」の地だけは完全に脱出すると、こんどはまた胆吹の裾野が瞭々として、秋の花野が広々として、琵琶湖が一面に水平線を立てました。その中を、お銀様の後ろに従いながら、幸内は、
「お嬢様、あれがあぶくの仇討なんでございます、わたしが、お嬢様のお小さい時にして上げた話でございますが、多分お嬢様はお忘れになったことと存じますから、また改めてお話し申しましょうか」
「あぶくの仇討――そんなこと、聞いたようにもあるけれども、全く思い出せない、お前またくわしく話して聞かせてちょうだい」
「はい、承知いたしました」
 この時のお銀様の頭の中は、もう胆吹の新領土の女王でもなく、あたりに展開する薬草の多いという花野もなく、前に水平線を上げている琵琶の大湖もなく、故郷の有野村の邸内の原野を歩む女としての、やんちゃとしての、驕慢にして、しかも多分の無邪気を持った処女として現われました。昔はこういう時に幸内を召しつれて、よく幸内の口から世間話や、昔話を聞かせられたものでした。唯一の愛人としての幸内は、またお銀様にとって唯一の話し相手でもあれば、また唯一の知識の供給者でもあったのです。幸内と火桶を囲んで夜更くるまで話していたこともあれば、野原をむやみに散歩して、幸内をむやみに叱ったり、困らせたりして、やがてまた自分が済まない気になって、泣いて幸内にお詫(わ)びをしてみたりなんぞしたことも絶えずあったのです。
 もう、今も、昔も、ありし人も、亡き人も、ごっちゃになってしまったお銀様の頭では、何はさて置き、幸内の口から再び、或いは現実的であり、或いはお伽噺(とぎばなし)の国の話である物語を聞くことの、うれしさ、床(ゆか)しさに満たされてしまいました。

         六十六

 そうして、今、幸内が語り出すところの「泡(あわ)んぶくの仇討物語」というのを、幼な馴染(なじみ)に聞いた昔語りの気分と、すっかり同じ心持になって、時々まじる甲州言葉までが、時とところを超越したお伽噺の世界に自分を誘うように聞きなされるが、そうかといって語り出すところの物語であり、お伽噺であるところの話の本質は結局、甚(はなは)だめでたいものではないのでありました――
 昔、あるところに旅の商人がありました。
 いつも、若い番頭を一人つれて太物(ふともの)の旅商いに歩き、家には本来相当な財産がある上に、勤勉家でもあり、商売上手でもありなかなか繁昌したものです。
 ところが、留守を預かるそのお内儀(かみ)さんの心の中が穏かでありませんでした。
「うちの主人は、ああして、商売上手に諸国へ出張して儲(もう)けて来るが、あんな若い番頭を連れて歩いたのでは、いつ番頭に誘惑されて色里へでも引込まれ、または旅先で、あだし女をこしらえてはまり込み、売上げも、元も子もないようにされてしまう場合がないとは限らない」
というような思い過ごしと、女の浅はかな心から、これは早くこちらから先手を打って置く方がたしかだと、思案を凝(こ)らしたその思案というのが、やっぱり、女の浅はかに過ぎませんでした。
 これは何しても、あの番頭をこっちのものにして手なずけて置くに限る、そうすれば、旅先で、旦那の目附役にもなり、家へ帰っては自分の味方となる――それに越したことはないと考えて、夫との間に二人の子供まであるのに、その若い番頭に色気を見せて、手なずけにとりかかりました。色気を見せたといううちに、まだ不義を許したわけでもなんでもないが、落ちるような風情(ふぜい)を見せて、番頭に気を持たせながら、引っかけて行ったものに違いありません。
「ねえ、わたしも、旦那がああして商売に精出して下さるから有難いことは有難いが、どうも商売にばかり凝(こ)って、家のことを心配して下さいません、わたしというものも、子供というものも、あってないようなものなのです。本来、情というものが乏しい人なんだから、わたしもそれを思うと心細い。そうして、ああいうように、絶えず旅から旅を廻っているうちに、もしかして、よその女にでも情をうつすようなことになっては、わたしたちの身の上はどうなるかわかったものではありません。それを思うと全く、わたしは二人の子供をかかえて路頭に迷わなければならないようになるにきまっています。親類も、身よりも、たよりになるものはなし、そうなると、味方としてはお前を頼むよりほかはないから、後生(ごしょう)だからお前はよく旦那様のお守役をするといっしょに、わたしの力にもなって頂戴、もし旦那様に万一のことがあるときは、わたしはお前ばっかりが頼りなのだから……」
 二人の子供がありとはいえ、まだ水々しい年増(としま)の主人のお内儀(かみ)さんから、こう持ちかけられると、若い番頭の胸は躍(おど)らないわけにはゆきません。何か知らん甘い、そうして空怖ろしい戦慄が全身に起りました。
「お内儀さん、御安心なさいませ、わたしが附いて行く限り、決して旦那様を悪い方へお導くようなことは致しません、それに旦那様も、全く旅でお固いのですから、どう間違ってもお内儀さんの御心配になるような事態が引起されるはずはないのでございます、それは、わたくしが固く保証を致しますから、御安心下さいませ」
「だが、お前、人の心というものは、いつどう変るかわかったものではありません、固いといった人が道楽を覚えると、かえって遊びをした人よりも深くはまり込むこともあるのです――そうでなくても、もし旦那様が旅で御病気になるとか、盗賊追剥にでも害されるようなことがあったとしてみると、それからのわたしは、どうしましょう」
「それはお内儀さんの思い過ごしでございます、旦那様に限っては、旅先で悪所通いをなすったり、よからぬ女にはまり込んだりなさるような心配は決してございませんし、わたしがお附き申していて、決してそんなことはおさせ申しませんが、万一、旅先で御病気になるとか、盗人追剥などのために、まあ、御災難を思いやっていては際限がございませんけれど、もし、そんな場合があったと致しまして、わたしが残っているような場合がありましたならば、わたくしがどこまでもお内儀(かみ)さんの力になって、旦那の御商売をついで、御一家をお立て申して上げますから、御安心下さい」
「何というお前の頼もしい言葉でしょう、それでは、もしや旦那がない後も、お前は、いつまでもこの家にいて、わたしたちのために力になってくれますね」

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