【日韓】 日本画家の聖徳太子の絵になぜ高句麗壁画が?〜近代日本美術に見る「高句麗趣味」[07/26] at NEWS4PLUS
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1:蚯蚓φ ★
07/07/26 21:33:45

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(ソウル=聨合ニュース)吉村忠夫(1898-1952)は東京美術学校日本画科出身で右派的性向が強い松岡映
丘(1881-1938)に学んだ画家だ。彼は1926年、日本帝国美術展覧会に橘大郎女(ダチバナノオオイラツ
メ)を出品して当選した。日本書紀などの古代日本文献によれば橘大郎女は聖徳太子の奥さんだ。吉村
のこの絵で高句麗古墳の壁画モチーフを大挙動員している。

日本の江戸時代美術史専攻である誠信女子大大学院キム・ヨンチョル教授は登場人物が着ている服と
背景は、高句麗古墳の壁画の中でそれぞれ雙楹塚(サンヨンチョン)壁画の中の女性たちの服と江西大
廟の朱雀の形象を参考にして製作したと分析した。具体的には人物のギャザースカートが雙楹塚壁画
の中の女性が着た服で、そして橘の奥さんの左側女性が持っている団扇の中の朱雀がモチーフを江西
大廟の朱雀から借用したというのだ。高句麗古墳の壁画モチーフをリサイクルしたこの絵は、当時の
画壇では突出していたろうか?

キム教授の研究の結果、近代日本美術は'高句麗趣味'だと呼べるほど、この時代に高句麗古墳の壁画
が手広く再発見されて活用された流れがあった、という事実が明らかにされた。吉村と活動時期は似
ているが、名声は彼をずっとしのぐ当時の日本画壇の大物小林古径(1883-1957)が残した限りない作品
の中でも清嬉(キヨヒメ)は彼の代表作に数えられる。この絵は、平安時代道成寺というお寺に絡んだ
伝説を素材にしている。(中略)キム教授の分析によれば躍動的な曲線を成した絵の中に滲むモチー
フは、高句麗古墳の壁画中の一つの江西中墓で発見された青竜に疑う余地が無い。このような'高句麗
趣味'は工芸分野でも多く感知される。工芸家浅川藤次は江西中墓の百虎形象を活用した作品を朝鮮美
術展に二回も出品したし、山本貞治や井手盛次のような作家もこんな流れと軌を一にしている。

こういう'高句麗文化現象'はどのような契機で形成されたのだろうか?そのきっかけを探す過程で日
本古建築学と美術史確立の鼻祖格である関野貞と模写専門家小場恒吉の二人の役割が気を引く。1910
年代以後、高句麗壁画古墳を見つけて調査した関老爺はその重要性を今更強調する必要がないが、キ
ム教授は小場に特に注目する。この小場という人物は、韓国考古学界や美術史学界では単純な壁画模
写が知られ程度だが、キム教授は彼の模写活動とその作品を'美術'の領域まで引き上げなければなら
ないと強調する。(中略)

1912年以後、小場によって活発に進行された高句麗古墳の壁画模写化は日本文化の起源を探す過程で
高句麗に注目した学問的な流れとかみ合いながら'高句麗趣味'と称えることができる文化現象が起き
るようになった、とキム教授は結論を下した。こんな研究成果をキム教授は韓国美術史学会機関紙で
ある'美術史学研究'254号に'近代日本人の高句麗古墳の壁画の調査及び模写、そして活用'という論文
に投稿した。

ソース:聨合ニュース(韓国語)<日本聖徳太子絵になぜ高句麗壁画?>
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