大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 さすがの与次郎も、これにはびっくりして、やがて、じっとうつむいて、
「俺ン、今まで、鳥獣(とりけだもの)の命を、あんまり取ったその罰が、今日という今日は報いて来て、おしゅんの死骸まで無くンなっとうに違いない、俺アハイ、今日限り殺生(せっしょう)は止めにしる」
 そう言って与次郎は、鉄砲をへし折って近所の不動様へ納め、さて言うことに、
「俺アこれから六部(ろくぶ)になって、今までに命を取った鳥けだものや、おしゅんの後生(ごしょう)をとぶらいながら、日本国中を経めぐって来る」
 そう言うと与次郎は、直ぐに六部の装束をし、笈物(おいぶつ)をしょって、鉦(かね)をチャンチャン叩きながら、その日のうちにぶんだい(出参)た。
 さて、村の周囲(まわり)に聳える山々のうち、どれか一つ越えねばならぬが、それならば第一に親猿をうちとめた山へ登り、まずそのあとをとむらって行こうと、あの清水の湧く山さして登って行った。
 すると、あれほど勝手知ったる山でありながら、今日に限ってどう踏み迷ったか、行っても行っても清水のところへ出ないばかりか、ますます奥深く迷い込む様子なので、与次郎は困りきって道端の石に腰を下ろし、
「二十年も歩き慣れたこの山で、道に迷うなんて全くどうかしている、とにかく、少し気を落着けてみず」
と、じっと眼をつぶった。するとどこからともなく、かすかに猿の啼(な)き声が聞えて来る。耳を澄ますと、だんだんこちらへ近づいて来た様子なので、与次郎が驚いて眼をあけて見ると、向うから何十匹とも知れぬ猿が枝に伝わってやって来たが、それが皆、与次郎の前へ坐って一礼した。
 おまけにその猿共の一番前に、逃げた手白がいる。手白はふと立ち上り、与次郎の着物の裾を引いて、どこかへ連れて行く様子ゆえ、今は与次郎もどうするという当てもなし、怪しみながら、ただ手白のするがままになって続いて行った。
 山が次第に深くなって、もう大分来たと思われる頃、一つの広い岩屋に到着した。その中に枝葉がいっぱい敷いてあって、何百とも数知れぬ大猿小猿が並んでいるし、なおよく見ると洞穴の真中辺に、岩で囲んだ井戸のようなものがあって、湯気がポッポと立っている。
 与次郎は、びっくりして見ていると、手白がツカツカと進んで、その井戸のようなものの中へ飛び込み、直ぐ一人の赤児を抱いて出て来た。与次郎が驚いてよく見ると、その赤児は、疾(と)うに死んだはずのおしゅんであった。
 おしゅんは、やけどの傷も更に無く、前にも増して元気になっていたので、与次郎は夢かとばかり喜んで、手白の手を握って厚く礼を言うと、手白も与次郎の手を舐(な)めずって、さも嬉しそうな顔をする。与次郎は衣の端を裂き、それにおしゅんをクルんでヒトコへ入れて喜び勇んで山を下った。
 何百とも数知れぬ猿共は、手白を先頭に、麓(ふもと)の村が見える所まで与次郎を送って来てくれたが、いよいよ別れる時になると、さすがに手白も残り惜しそうに、後ろを振返り振返り山へ帰って行った。与次郎もまた笠を振りながら、やはり見えなくなるまで見返り見返り山を下った。
 家に帰ってこの話をすると、女房も飛び立つばかり喜んだが、与次郎は、
「俺ア、こうしてせっかく六部に行こうと思い立っとうだから、どうでも行って来る」
と、おしゅんや女房を伯父(おじ)に預けて、よく後々のことを頼み、そのまま六部になって行った。
 その後、なんぼ探しても、手白も、その不思議な猿の湯も、二度とは見つからなかった――

 土橋のおくら婆さんから、土地の言葉で、こういう話をして聞かせてもらうと、子供たちは皆、膝に手を置いて、感心しきって、しーんとして聞いていたが、その話が終ってしまうと、そこは子供のことで、忽(たちま)ちがやがやと陽気になり、一人立ち、二人立ち、やがて元気いっぱいになり、
医者どんの頭をステテコテン
医者どんの頭をステテコテン
と一方で合唱をすると、他の一方にかたまった連中が、
そんなこと言うもんの頭をステテコテン
そんなこと言うもんの頭をステテコテン
と、負けない気になって合唱をはじめる。そうすると前のやからが、ひときわ声を励まして、
医者どんの頭をステテコテン
医者どんの頭をステテコテン
と合唱する。それに対抗する一方は、またひときわ声を張り上げて、
そんなこと言うもんの頭をステテコテン
そんなこと言うもんの頭をステテコテン
 ステテコテンの対抗合唱で、天地も割れるほどの騒ぎとなったが、塾長先生は、別にそれを制しようともせず、叱ろうともせず、一席の講話を終って息を入れているところの、土橋講師のところへ行って、
「大へんにためになるお話を聞かせていただいて、わしらも貰い泣きをしたでがす」
と言って、頭を下げて挨拶をしました。

         七十七

 お銀様の父伊太夫は、その日は書斎にたれこめて、帳面を見たり、物を考えたりしていました。
 伊太夫に大きな悩みのあることは、すでにわかっていることです。身上(しんしょう)が大きいだけに、悩みもまた大きいということもしかるべき道理でありますが、老境に入った今日この頃では、ほとほとその悩みに堪えきれないほどの重荷を成しているのも事実です。
 伊太夫のその悩みを一語で言ってみると、「持てる者の悩み」ということに帰するでしょう。
「持てる者の悩み」というような現代的の言葉を以て、自分ながら表現することはできないが、悩みの根原はまさしくそこにあるのでありまして、「持たぬ者の悩み」と対比して、その悩みを悩む人の数こそ少ないが、その性質に至っては、持たぬ者の悩みより遥(はる)かに深刻なものがないとは言えない。持たぬ者の悩みは、お仲間が最大多数であって、同情の分量もまたそれに比例して大きいが、持てる者の悩みは、その共鳴者が少ないだけ、理解者も、同情者も、少ないと言わなければならないのです。
 伊太夫は、陰密の間に、その悩みに虐(しいた)げられて来ましたが、それと共に、この悩みは悩みではない、自分は持てるが故(ゆえ)に長者であり、他の羨望(せんぼう)の的となっている強味の点ばかりが自分を刺戟していて、未(いま)だ曾(かつ)て自らその持てる物のために悩まされているのだとも、虐げられているのだとも信じたくはないのですが、事実上、自分の持てるものが、自分とその家族に、解放も与えず、愉悦も恵まず、平和も安心も来たさないで、かえってその重荷が年毎に加わって行く、その圧力だけは感じないわけにゆきません。
 それが偶然、与八という男を見ると、全く別な世界の人を見出さないわけにはゆきませんでした。無一物の旅から旅の中に、なお安心があり、平和があり、受くるよりも与うることに幸福を感ずる天然自然の悠々たる余裕がある――ああいう生活方法もあり得る、現にあり得ているという驚異を、持たせられざるを得ませんでした。
 早く隠居してしまいたい――と、漫然としてこういう歎息と、その実現を望んだことは、今にはじまったことではなかったのですが、隠居してさてどうなる、ということを、ついその実行者として引取って考えてみると、自分には隠居ができないということを、すぐに悟らざるを得ないのです。
 あととりがないということです――今や天地間に自分の家を譲るべき血統の人としては、お銀様のほかにはないのです。そうして、その唯一の継承者たるべき人は、また唯一の反逆者でした。
 後妻の子は、後妻と共に非業(ひごう)に生涯を終っている。養子をする――ということになると、果してこの家を譲り、自分をして安心して眼を瞑せしむるほどの養子がどこにいる。どこを探したら出て来る。親類――それに頼みになる奴があれば今日のことはないのだ。この甲州第一等の祖先伝来の身上(しんしょう)を、今どうするか。
 伊太夫は、どうかすると、昔の仏説などにある長者物語のようなのを身に引当てて考えて、いっそ、持てるもののすべてを世に喜捨報謝してしまったら、とさえ、考えるだけは考えてみたことも再々でした。
 だが、喜捨報謝してみたところが、これだけの身上を受けきれる人がどこにあるのか。へたに投げ出してみたならば、それこそ群がる餓狼のために、肉の倉庫を開放したようなもので、徒(いたず)らに貪婪(どんらん)と争闘との餌食を供するに過ぎないのだ。
 どうしても自分が守り通して行かなければならない、そうしてまた、自分の志をついでこの社稷(しゃしょく)を守り通す人を見出して、このまま後を嗣(つ)がせなければならないという、世間普通の財産世襲の観念が最後の結論でありました。その陰密の間(かん)に加わる、持てる者の悩みの圧迫から、とつおいつした最後の果ては、いつでも、同じような平凡な結論に終るのを繰返し繰返しするのが、伊太夫の頭の、このごろの日課のようなものであります。
 ついに、養子問題を、与八とその携えて来た少年の身の上に投げかけてみるように至ったのも、その思案のあまりの一つでありました。

 今日も、それを繰返して考えたり、帳合(ちょうあい)をしたり、帳合をしてはそれを繰返して考えてみたりしているところへ、老番頭の太平がやって来ました。
「旦那様、お邪魔いたしてよろしうございますか」
と言って、何か特に改まった用件でも出来たかのような語勢でもありましたから、伊太夫も眼鏡をとって、
「何ぞ用かい」
と言いますと、
「お嬢様から、急飛脚でございまして」
「なに、銀から……」
 反逆者として遠島をさせてしまったような気分でいても、そこは肉親の親子の情合いと見えて、旅先の娘から急飛脚ということを言われて、思わず身体(からだ)が乗出したのです。
「はい、わたくし宛に、お手紙が参りましたのですが、わたくしだけでは計らい兼ねますによって、旦那様の思召(おぼしめ)しを伺いに参りました」
「ふーん、あれはもう見放した女だ、何を言って来ようとも、わしがところへは持ち込むなと申してあるのに」
「それは承知いたしておりますが、今度のお手紙の要件は、どうしても、わたくし一個では計らい兼ねます、ぜひとも、旦那様のお耳にお入れ申した上でございませんと」
「生死(いきしに)のほかには言ってもらわないがよい、あれはあれだけのことになって、身上も分離してお前にあずけてある、お前の方で取計らいきれないということはあるまいが」
「それがでございます――万事は、わたくしがお計らい申して参りましたが、今度のお手紙の要件ばっかりは、どうしても計らいきれませぬ、と申しますのは、このお嬢様のお手紙でございますが、一応お目通しごらんくださいませ」
「見ないでもいいよ、ではとにかく、その要領だけを聞いてみましょう」
「では、このお手紙の要領をお話し申し上げますと……」
 太平は、伊太夫に近く少しにじり寄って、ふし目になって手紙を見つめながら、次のように語り出しました。
「あのお嬢様のこのお手紙の要領と申しますのは、自分は今度、近江の国の胆吹山の麓へ地所を買ってそこへ屋敷を営むことになったから、その費用を送ってもらいたい、それも少々ずつでは、おたがいにめんどうだから、この際、わけていただいてあるお嬢様の分の財産をそっくりもらいたい、不動産の方は追って金に換えて欲しいが、貯えてある金銀だけは一文も残さずに、そっくり近江の胆吹山の麓のこれこれへ送り届けてくれと、こうおっしゃってなのでございます」
「ナニ、あれの分の財産を、そっくり残さず送れと――うむ……」
 伊太夫も、さすがに腹へ深く息を飲みこんでしまいました。

         七十八

 なるほどこれは、番頭一人の頭で取計らいきれぬというのも無理がないと思ったのでしょう。
 正式に勘当したというわけではないが、かりそめにも、親でない、子と思うな、と言い合って別れてから、父子の間には、わたることのできないほどの溝が掘られてあるのでありました。
 そうして、決定した伊太夫は、それでもこの我儘娘(わがままむすめ)の将来のためにとて、財産のうちを分割して、あれの物として頒(わか)ち置いて、その保管を番頭に托し、必要ある毎には、大体に於てあれの申し出通り送ってやれ、ことに旅などへ出ては、入費に糸目をつけないでよろしい、といったような暗示も常々与えてあるのですから、今まで、主人にはいちいち通告せずに、老番頭一人で取計らって、請求がありさえすれば、少しも猶予せずその請求額だけを、どしどし払い渡してやっていたのですが、今やここで、その全部をよこせ――と提言をして来たのですから、無論、老番頭一存では計らいきれず、それを聞かされた伊太夫さえも、一時(いっとき)うなってしまって、ついに何とも判断の下せない形になったのも無理がありますまい。
 伊太夫の身上は、これをかりに見つもっても、何千何万になるかは容易に計上し難いのであります。容易というよりは、全く金銭に換算しては計上し難いと見るのが至当でしょう。そのうちから、お銀様とても、株券をいくら、債券をいくらと分譲されたわけではないのですから、現金のほかは、山林であり、田畑であり、或いは家屋敷倉庫の一部分、衣類や書画骨董(こっとう)といったようなものなのですから、それを残らず金に見積ることは、やっぱり不可能と言ってよいのですが、いちばん可能性のある金銀だけに就いて言ってみても、果してどのくらいの額に上るでしょうか。大正昭和の頃の、甲州第一の富豪といわれる某氏の財産を、かりに八千万円と見て、それを伊太夫の財産額として、そのうちの八分の一を譲られた計算にしてみてからが、ほぼ一千万円程度のものを、直ちに引渡せという交渉には、親子の間とはいえ、全く自由処分に任せるつもりの金であるとはいえ、一言で裁断を下せないのはあたりまえでした。
 そこで伊太夫が唸(うな)りました。しかし、やや暫く唸りを長く引いているだけで、一言の下に「馬鹿!」と言って蹴飛ばさないところを以て見ると、相当考慮の余地は存して置いているものらしい。といって、「いいから、おやんなさい」と容易(たやす)く肯定に入ろうとも思われないから、老番頭も覚悟して、主人と共に、その返答の挨拶の文案を練りにかかろうとする身構えです。
「あれの分が現金で、今どのくらいありますか」
 暫くあって、伊太夫の老番頭に対する質問がそれでした。
「左様でございます――手許にありまする分と、貸附の分とを、ちょっと取調べてみますると、十四万八千両ばかりござりまするで……これをごらんくださいませ」
と老番頭は、帳面を持って来ているのを、ここで主人の前にひろげたのです。
「ははあ」
と言って、じろりとその帳面に伊太夫は眼をくれたけれども、取り上げて仔細に見ようとするのではありません。しばらく、また眼をつぶっていましたが、やがて、軽く眼を開いて言いました、
「送っておやりなさい」
「えッ」
と、老番頭が少なからず動揺したようです。
「送っておやりなさい、貸金の方を今すぐ取立てて送るというわけにもいくまいから、現金の方はあるだけ、そっくり送っておやりなさい」
「え、承知いたしました」
と老番頭は、主人の命令が絶対的であることをよく心得ています。汗の如しとたとえることは畏(おそ)れ多いが、この家の代々の慣例では、ぜひ善悪ともに、主人の言葉は絶対でした。そこで老番頭は、非常な狼狽(ろうばい)をつくろいながら、委細かしこまってしまって、
「では、現金額と致しまして、取りまぜ五万七千三十両ござりまするが、それをそっくり……」
「そっくり送っておやりなさい、為替に組むなり、馬につけて送るなり、いいようにして届けておやりなさい」
「はっ、承知仕りました」
 こうして老番頭は、帳面を抱え直して、また主人の前をすべり出でたのです。
 老番頭の命令服従も無条件でありましたが、五万両からの金を、我儘娘(わがままむすめ)のために支出させる伊太夫の命令も無条件でありました。何のために、どうして使用するのだ、その使用が経済の法にかなうか、かなわないか、その使用法が倫理の道に合するか、合しないか、またその金を送ったがために、当人の身が幸福になるか、不幸になるか、そんなことは一切頓着しなかったのです。すでに分配して授けてしまったものを、授かった者が持ち去るのは当然である。多く持って行ってはいけない、少なく所有するがよろしいというような条件があっては、人に物を与えたということにはならない。
 与えた以上は、自分の物ではなく、人の物である――という水のように淡い応対で済ましてしまった伊太夫は、また暫く何か思案に暮れていたようだが、急に思い出したもののように、立ち上って下駄をつっかけましたが、どこへ行くかと思うと、いつも、与八の塾をたずねる時に行くと同じ橋の多い小路に隠れたところを見ると、やっぱり、あの悪女塚のなきあとをたずねて見る気になったものかと思われます。

         七十九

 伊太夫は果して、与八塾をたずねて来ました。
 その時、与八塾の生徒はもう放課後で、郁太郎のほかには誰もおりません。
 与八は、一室で一刀三礼(いっとうさんらい)をやっておりました。
 そこへ伊太夫がたずねて来たものですから、与八も一刀三礼のことを休んで、そうして、
「旦那様、おいでなさいまし」
と言って、伊太夫を招じて炉辺へ来ました。伊太夫の調子によって、何かそれは、自分に相談事があって、懇(ねんご)ろに話をしたいために来られたのだということが、直ぐにわかったものですから、座を立ったのです。
 そこで、炉辺で茶を煎(せん)じながら、伊太夫の話し出すのを聞いていると、
「与八さん、わしは少し急に思い立って、旅をして来たいと思うのだが、その間、お前さんに頼みたいのは、本家の方へ来て留守番をしてもらいたいのだが」
「おや、そうでございますか、旅にお出かけなさるんでございますか、お江戸の方へでもおいでなさるんでございますか」
と与八が念を押しました。旅と切出す以上は、一晩泊りや二晩泊りの意味でないことはわかっているが、せいぜい江戸出府、ほぼ四十里ばかり――と与八の頭に来たものですから、そのつもりで念を押したのですが、伊太夫は頭を振って、
「いや、そうではない、もう少々遠方へ行ってみたいのだ。実は、娘がな、あの持余し者が上方見物に出かけている、そのあとを追いかけるわけではないが、わしも一度、西国を廻って来たいとは心がけていたのだが、ついどうしても出かけられないでこれまで来ている。ではいつ出かけられるかというと、それを待っていたんでは、生涯その暇は作れないにきまっているから、今日、たった今思いついたのを吉日として、早速出かけようと決心をしたのだよ」
「まあ、上方見物から西国廻(めぐ)りでございますか――ほんにまあ、急なお思い立ちでございますなあ」
「そういうわけで、家事向きのことは一切あの老番頭の太平が心得ているから心配はない、ただ不在中を、お前さんに本家の方へ来ていてもらいたいのだ、こっちの留守番は、いくらも人をよこして上げる」
「そうでござんしたか、本当のことは、わたしが方で、旦那様にお願いして、旅に出ようと思っていたところでございましたが、あべこべに旦那様がお出かけになるたあ、思いの外でございました」
「いや、それで、一時はお前にいっしょに行ってもらいたい、つまりお前さんといっしょに西国めぐりをしようかという気になったのだが、また考え直してみると、ともは相当のを選んでつれて行けるが、留守の方に、頼みになる人を置かなけりゃならぬ、そこで事務の方は太平に任せて置けば心配はなし、お前さんは、ただ本家の方へ来て、すわっていてもらいさえすればよい」
 これが洒落者(しゃれもの)ならば、なるほど、与八ならば据わりがいい――と交ぜっ返したくなるような頼みなのですが、頼む方も、頼まれる方も、最もしんみりしたものなのです。与八は一途(いちず)には引受けるとは言いませんでした。
「旦那様が、今、旅にお出かけになることが、いいことだか、悪いことだか――わしらが留守を頼まれる方は、なんでもないことなんでございますが」
と言いました。
「まあ、誰彼に言い触らすと、留める者も出て来るし、また有野の伊太夫が上方見物に出かけるなんぞと近辺に取沙汰が起ると、事が大きくなって面倒だし、それに今時は物騒な世の中だから、道中、どんな悪者や、胡麻(ごま)の蠅が聞きつけて、附き纏(まと)わないとも限らないから、わしは隠れて行くのだ、これから一人か二人、ともを選んで誰にも気取(けど)られないようにして出かける」
「旦那様が、そこまで御決心をなすったんじゃあ、わしらがお留め申したって、おとどまりなさるはずもござんすめえから、お留守のところはお引受け致しました。では、御無事に行っていらっしゃいまし」
 与八も、こう答えるよりほかには、頓(とみ)に返答のしようがなかったのです。自分が引留める権能もなし、引留めたからとて引留められるはずもなし、女子供とかいう人ならば、一応忠告も試みようというものだが、堂々たる大家の主人の行動に、自分なんぞが口出しをすべき抜かりのあるはずはないのだから、やはり、言われた通りに従順に受け、頼まれた通りに頼まれるのが一番だと、与八の頭にうつりました。それに、突然とは言いながら、持余し者ではあるが一粒種のお嬢様というものが、あちらへ出かけていらっしゃるのだから、親としてそれをみとりがてら、旅をなさろうというのは、お奨(すす)め申せばとて拒(こば)む理由はない、と信じたからであります。
 与八の快き承諾ぶりで、伊太夫は最も安心して本家へ引きとると共に、内密に、迅速に、旅の用意をととのえてしまいました。今の伊太夫の家では、この旅を、無用なり、危険なりとして諫諍(かんそう)するほどのものはありません。よし、あったとしたところで、与八と同様の考えで、むしろお奨め申せばとて拒む理由はないのですから、ただこの上は、主人が旅に出かけるということを誰にも知らせないように、旅の用意を整えるだけのものでありました。
 お銀様のために、その要求した五万両の金を、どうして、どのように送るかということの宰領は、一に老番頭の考慮のうちにあるのですから、伊太夫はかまいません。自分は、ちょっとした村の名主が、小前二三人をつれて伊勢詣りにでも出かけるくらいのいでたちで、屋敷のうちの者を選んでともとして、その翌々日、この屋敷を立ち出でたのです。
 東海道を行こうか、木曾街道をとろうかと、最初は考えましたが、思いきって木曾路をとることにしました。
 屋敷を出たのは夜でした。与八と太平は、村境を出ると釜無土手の尽きるところまで、提灯(ちょうちん)をつけてお送りして帰って来ました。その帰り途で、太平老人から聞くところによると、旦那様はあれで、今でこそ出不精(でぶしょう)でいらっしゃるが、若いうちはずいぶん旅をなされたもので、度胸もおありになるし、剣術や、槍や、柔術までも相当に御稽古を積んでいらっしゃる――それにおともの若いものも、みんな気も利(き)いているし、相当に引けを取らないだけの腕も出来ているから、旅先でも少しも心配になることはない――ということを聞かされて、与八が安心を加えました。
 こういうわけですから、有野村の大尽(だいじん)が京大阪へ向けて旅立ちをなされたという評判は、どこからも立ちませんでした。屋敷のうちの家の子には、日頃から、旦那様がどこにいらっしゃるのか知らない者も多いくらいですから、たまにその気色(けしき)を見かけたものにしてからが、甲府へでもおいでなさるか、遠くてお江戸――いつもの通りせいぜい六日一日もすればお帰りになるものだと信じていたのです。ですから、今度の旅は、無事に行っても、どのみち一月や二月はかかるのだということの暗示を受けたものさえありません。
 与八が本家の方へ、当座の留守居に据わり直したということも、日頃の信任から見ても無理のないことですから、主人が出て行っても、そのあとにはいっこう変った空気が漂うことはありませんでした。

         八十

 近江と美濃の境なる寝物語の里で、いい気でうだっていたお蘭どのの寝込みを、思いがけない奴が不意に襲って来ました。
 遊魂は、別な方向に向ってさまよい出でてしまい、その身代りとして現われた奴は、全く似ても似つかない、いけ好かない野郎でありました。
 しかし、こうなっては、お蘭どのももう遅いのです。いけ好いても、いけ好かなくても、こいつに見込まれた以上は、女に下地がある限り、のがれっこはなし――一時は野暮(やぼ)に叫びを立てようとしたが、どっこい、その口を塞がれてしまってみると、有無(うむ)を言わされようはずはないのに、お蘭どのという女が、本来あんまり有無を言わない女なんだから、口をこじあけて、大福餅を抛(ほう)りこんで無理矢理に食べさせられてしまってみると、今度は、もう一つ食いたいと口をあく奴なんだから、事がそこに及んだ後はたあいないものです。
「どうです、お蘭さん、男はケチな野郎でも、こうなってみると、まんざら憎くもござんすめえ。ことにお蘭さん、お前さんを見そめたのも、昨日や今日のことじゃありませんぜ、飛騨の高山では、命を的に大奥まで乗込みの、あぶない綱渡りも致しましたのを、よもお忘れじゃあござんすめえ」
 がんりきの百からこう脂下(やにさが)られて、お蘭どのが今更のように、
「おや、お前さんという人は、高山のことまで知っているの?」
「知らなくってどうなるもんですか。あのいつぞやの晩でげした、新お代官の奴は新お代官で、どこからか手入らずの新しいのをつれ込んで、たんまりはんべらせようとなさるし、お前さんはお前さんで、前髪立ちの若い男かなにかに持ちかけるというのを、見たり聞かされたりした、こっちもだまっちゃいられませんね、名代(なだい)の新お代官のしろもの、お蘭さんてえこってり者に一目お目にかかって置きてえ、それ、あの晩忍び込んだはいいが、いやはや、飛んでもない戸惑い、人違え、当ての外れた相手がそれに思いの外の腕利きで、すんでのことに危ねえところ――それほどまでに思いこんだ、がんりきの百てえ野郎が、わっちなんでげす。心意気を聞いてみりゃあ、なおさら憎くもござんすめえ」
とがんりきに脂下(やにさが)られ、お蘭どの、眼尻が上ったり下ったりして、
「あの時の悪者はお前さんだったのかえ――それとは知らなかったよ」
「悪者じゃございませんよ、この通り、がんりきの百といって、ちっとは鳴らしたいい男の兄さんでげすよ」
「いやな奴」
「いやな奴で、大きにお気の毒さま。でもまあ、口でけなして、心のうちでは、こっちの親切がちゃんとわかっていただいてるんだから、悪くねえのさ。ところで、このケチな野郎がどのくらいお前さんに実意を持っていたかという証拠を、もう一つここで生(しょう)のままごらんに入れる段取りになるべきなんだが、風をくらって、つい、そいつを一つ取落したのが不覚の至り。というのはお蘭さん、お前さんも迂闊(うかつ)ですねえ、これほどの御念の入った道行をなさろうてえのに、命から二番目の路用を忘れておいでなさるなんぞは取らねえ。お手元金をね、ふだんあれほど御用心なすって、枕もとのお手文庫へ、いざという時お手がかかるように備え置きの金子(きんす)ざっと三百両、あれをいったいどうなすったんですね」
「それなんですよ、それを今、歯噛みをしながら口惜(くや)しがってるんですが、もう追っつかない、当座のお小遣だけは何とか工面して来たけれども、これから先を考えると心配でたまらないのよ」
「そこでだ、そういうことには憚(はばか)りながら、色と慾との両てんびんをかけて抜かりのねえがんりきの百なんですから、あのきわどい場合に、ちょっとちょろまかしの芸当なんぞは、お手のものと思召(おぼしめ)せ」
「何を言ってるんだか、よく、わからないが、ではお前さんが、その時にあれをちょろまかして持出しでもしたの、持出したとすれば、ここまで持って来て下すったの? まあ有難い、ほんとうに色男の御親切が今度ばかりは身に沁(し)みてよ。そんならそうと、早くおっしゃって下さればいいに、焦(じら)さないで早くそれをここへ出して頂戴な」
「ところがだね、そこは憚りながらがんりきの知恵で、抜かりなく、あのお手元金三百両を持出したことは確かに持出したんだが――ここまで持来(もちこ)して、お前さんを喜ばせる運びまで行き兼ねたのが残念千万なんだ」
「なあんだ、途中で落しでもしたのかい、そのくらいなら、そんなお話を聞かせてくれない方がかえってよかった」
「ところがね、まだあきらめるには早いんでしてね、あの場合、大金を持って逃げちゃあ危ねえと思うから、ちょっと預けて出たんだ、ちょっと知合いへね」
「その預け先はわかっているの」
「それはわかっているさ、行けば、いつでも、ちゃあんと渡してくれることになっている」
「どこなの――」
「高山の町よ――」
「高山じゃ、つまらない、欲しくったって、二度とあすこへ行けますか」
「ところが、ここで気を抜いたら、わっしが、ちょっと行って受取って参りますから、御安心ください」
「ちょっと行くったって、お前、ここはもう近江の国じゃないか、これから美濃の国を通り過して、それからまた飛騨の高山まで、ちょっくらちょっとの道のりじゃありませんよ。それにお前さん、それを取りにでも行こうものなら、待ってましたと、隠密(おんみつ)の手で引上げられてしまうにきまっていますよ。飛んで火に入る夏の虫とは本当にこのこと、三百両は惜しいけれども、銭金のことは、またどこでどうして稼(かせ)ぎ出せないとも限らない、命は二つとありませんからね、せっかくだが、あきらめちまいましょうよ」
「ところがねえ、お蘭さん、その辺に抜かりのあるがんりきじゃあございません、その預け先というのが、決して、どう間違っても、ばれたり、足のついたりする相手じゃあねえのですから、豪気なものです。それに、憚りながら、この兄さんは足が少々達者でしてね、飛騨の高山であろうと、越中の富山であろうと、ほんの少々の馬力で、御用をつとめますから、その方もまあ御安心くださいまし」
「いったい、高山のどこへ預けて来たんですよ」
「こうなっちゃ、すっかり白状してしまいますが、あの宮川通りの芸妓屋(げいしゃや)、和泉屋の福松という女のところへ、確かに三百両預けて参りました」
「あの福松に――憎らしい」
 お蘭どのは、どうした勘違いか、がんりきの膝をいやッというほどつねり上げたから、
「あ痛! 何をしやがる」
と、百の野郎が飛び上ったのは当然です。そこでお蘭どのがまた、御機嫌斜めで、
「嘘つき、あんな芸妓にわたしの金を預けるなんて――預けたんじゃない、やってしまったんだろう」
「御冗談、あんな田舎芸妓に、三百両を捲上げられるような、がんりきとはがんりきが違いますよ、見そこなっちゃあいけねえ」
「本当ならお前、それを取って来て、わたしの眼の前に並べてごらん」
「言われるまでもねえことさ、これからひとっ走り行って持帰って来てごらんに入れると、さっきから、あれほど言ってるじゃねえか」
「じゃあ、そこでお前さんの本当の腕と、実意を見て上げようじゃないか、早く取戻して来て頂戴」
「合点(がってん)だ――こうと、三日を限ってひとつ約束して上げようじゃねえか、明日の朝から三日だよ、いいかい、その間、お前は、ここに永く泊っているのもなんだろうから、これから、ずっと近江路へのして待っていな――近江路はそうさねえ、草津か、大津か――いま道中記を見て、しかるべき宿屋へ当りをつけて置いてやるから、そこで、ゆっくり待っていな――」
 がんりきの百は包みを解いて道中記を出し、宿屋調べをしていると、お蘭どのが、
「でも、なんだか、お金は欲しいには欲しいけれども、危ないようでねえ――お金は戻っても戻らなくてもいいからねえ、三日目には帰って頂戴よ、大津あたりに宿をきめて待っているから、手ぶらでもかまわないから、三日目には帰って頂戴よう」
と、かなり淋(さび)しそうな表情で、しなだれかかりました。
「まあ、そんなに気を揉(も)みなさんなよ、色男、金と力は無かりけりてのは昔のこと、今時の色男は、金も力もあるというところをお目にかけてやりてえんだよ」
と、がんりきが甘ったるい返事――
 そのうち二人は、道中記を調べて、お蘭どのが先へ行って、待合わすべき宿屋をきめて置いて、万一の時は、その旅宿も目じるしをつけて置いて先発し、がんりきの百は、これからまた飛騨の高山へ逆戻りして、和泉屋の福松のところへ預けて置いた三百両を取戻して、お蘭どのに見せてやるべく、その翌日早朝に、寝物語の宿を立ち出でてしまったのです。美濃路へ後戻りをしながら、がんりきの百は思出し笑いを、したたか鼻の先にぶらさげて、
「ふーん、甘えものさ。だがまた、こいつは格別だよ、素人(しろうと)じゃあねえが、くろうとでもなし、飛騨の高山の田舎娘上りとは言い条、どうして、味はこってりと本場物に出来てやがらあ、口前のうめえところは女郎はだしなんだが、あれで、気前と心意気にはうぶなところがまる残りなんだから掘出し物さ、いわば、生娘(きむすめ)と、お部屋様と、お女郎と、間男(まおとこ)とを、ひっくるめたような相手なんだから、近ごろ気の悪くなる代物(しろもの)だあ。なあに、がんりきほどの者が、たった三百両が残り惜しくって、飛騨の高山まで逆戻りの危ねえ綱を渡るでもねえ、三百両が欲しけりゃ、どこかもう少し安全な方面へ当りをつけたって、つかねえ限りもあるめえものだが、あいつにあの手文庫のままのやつを持って来て見せてやりてえ――まあ、お前さん、本当に持って来て下すったねえ、何という凄(すご)い腕でしょう、わたしゃ、お前さんのその片腕にほんとうに惚(ほ)れちまったよ――なあんて、あいつを心から参らせてみるのも悪い気がしねえテ」
 百の野郎は、いや味たらしい思出し笑いをした上に、
「さてまた、福松の阿魔だがなア、あいつがまた、こちとらの面(かお)を見せるとただは帰(けえ)すめえがの――色男てやつは、どっちへ廻っても楽はできねえ」

         八十一

 こういった意気組みで、がんりきの百の野郎が、高山へ向けて自慢の迅足(はやあし)で飛んで行って、あの警戒の厳しい中を、首尾よく宮川通りの目的地まで、忍んで行ったには行ったけれども、御神燈の明りが入っていないことで、まず胆を冷し、叩いてみると、おとといあき家になっていたということで、ベソを掻(か)いてしまったのはいいザマです。
 尋常にお暇乞いをして北国の方へ出かけたということだから、夜逃げというわけでもあるまいが、あんな田舎芸妓(いなかげいしゃ)に出しぬかれたのはがんりき生涯の不覚と、苦笑いがとまらないが、しかし、こんなけんのんな場所がらに、寸時も足を留めていることはできないから、すぐその足で、がんりきはまた飛んで帰りました。
 帰りの途中、がんりきは、思い出しては、自分ながら腹も立たないほどばかばかしくって、お話にもなんにもならないと、やけ半分でむやみに歩いたが、それはそれでやむを得ないとして、さあ、三日目と約束したあのじだらくお蘭に、何と言って面(かお)を合わせたものか。
 どうも仕方がねえ、お代りを工面(くめん)して行って、それでどうやら御機嫌を取結んで、こっちの男を立てるまでだ。お代りといったところで、ちょっと大枚の三百両だ、そこいらにそうザラにはころがっていねえ、これはこそこそや巾着切りじゃあ間に合わねえ、相当の荒仕事をしなければならねえが、さてどうしたものだろう。
 がんりきはこのことを考えて、美濃路をついに垂井(たるい)の宿まで来てしまったのが、三日目のもう夕刻です。今晩中の約束だから、夜明けまでには何とかして、お蘭どのの鼻先へ突きつけて見せなければ、がんりきの男が廃(すた)る三百両の金。
 関ヶ原あたりに転がっていまいものかと、あたり近所を物色しながら歩いて行くうちに、様子ありげな数人づれの旅の者と行違いになりました。行違いになったといったところが、向うから来たのと、こちらから行ったのと、袖摺(そです)り合ったというのではなく、先方は尋常に歩いているが、こっちは天然自然に足が早いものだから、追い抜いてしまって、その途端に見返ると、がんりきの頭へピンと来たものがあります。
 この一行の旅人は、普通の旅人ではない。見たところ、村の庄屋どんが、小前の者でもつれて旅をしているように見えるが、それにしては、万事ががっちりし過ぎている。この中の主人公というものが、田舎(いなか)の旦那らしい風(なり)はしているが、どうして――
 がんりきの第六感で、
「これは大物だわい」
と受取ってしまいました。三井とか、鴻池(こうのいけ)という大家が旅をする時に、よくこんなふうにやつして旅をするといったやつ――こいつは只物でねえ――と見破ったがんりきは、この点に於て、さすがに商売がらでありました。
 これぞ――西国へ行くと言って、急に甲州有野村を旅立ちをしたお銀様の父伊太夫と、その一行でありました。
 そこで、がんりきは、速足をごまかして、わざと一行のあとを後(おく)れがちに慕うことになる。
 伊太夫の一行は、悪い奴につけられたということを知らないで、西へ向って急ぐ。
 新月は淡く、関ヶ原のあなたにかかっている。




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