大菩薩峠
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著者名:中里介山 

「それはお前の話が少し違うようだ、わたしの記憶している昔話では、お内儀さんが訴えて出ると、その若い番頭が直ぐに捕えられてお処刑(しおき)にかかったが、お内儀さんの方は、最初からその気持でやらせたわけではなし、直接にも、間接にも、夫殺し、主殺しに、手を下したわけではないのだから、おかまいなしということになったけれども、お内儀さんは、なんにしても自分は夫と名のつくものを二人まで殺してしまったのだから申しわけがないと言って、子供はみな親類へ預け、自分は寺へ入って尼になって一生を送ったというではないか」
 そう言われると幸内は、
「それは、どちらが本当か、わたしはよく存じませんが、埋める穴を二つ掘らなければならない現状はごらんの通りなのでございます。そんなら、このお内儀さんは別の人なんでございましょう。私としては、事件の真相などは、どちらでもかまわないのでございますが、そうでした、頼まれた仕事だけはして上げないと兵作さんがかわいそうでございます。では、お嬢様、この辺で、私はお見送りを失礼いたしまして、これから立帰って穴入りを致しますから、これで御免くださいませ」
と言って、幸内は後ろを向いて以前の墓地の方へ取って返した時分には、お銀様の姿は再び松柏の森の中に隠れてしまいました。

         六十九

 それから、かなり深い松柏の森の中を抜けきって、こなたの裾野へ現われたお銀様は単身でありました。
 ところが愛すべき新月は、相も変らず前額にかかって、お銀様の姿を見守りながら下界を照らしているもののようです。

 裾野とはいうけれども、もうここへ来ると、限り知られぬ広野原の感じです。胆吹(いぶき)、比良、比叡(ひえい)、いずれにある。先に目通りに水平線を上げた琵琶の水も、ほとんど地平線と平行して、大野につづく大海を前にして歩いているような気分です。
 お銀様は月に乗じて、この平野の間を限りなく歩み歩んで行くと、野原の中に、一幹(ひともと)の花の木があって、白い花をつけて馥郁(ふくいく)たる香りを放っている。その木ぶりも、太きに過ぎず、細きに失せず、配置に意を用いて植えたようなたたずまいですから、お銀様はその木ぶりを愛して、その香りに心を酔わしめられました。
 ああこれは桂の花――と、お銀様の心がいよいよときめいて、その木の下に近づいて行くと、その幹の下に、木ぶり、花ぶりにふさわしいところの人が一人彳(たたず)んでいました。
「ああ、新月、何とよい月ではありませんか」
 花の木の下に彳(たたず)んでいた、木ぶりにふさわしい人が、先方からお銀様に呼びかけたのであります。
「よい月でございますね」
とお銀様が受けこたえつつ、その人を見ますと、木ぶりには、しっくり合っているけれども、服装は全く見慣れない人でした。最初は奈良朝のそれと思って見ましたけれども、冠もちがえば、色彩の感じもちがう、これは支那の唐代の服装だと見てとってしまいました。それはまさしく、支那の唐代の風流貴公子といった、仇英(きゅうえい)の絵なんぞによくある瀟洒(しょうしゃ)たる美少年なのでありましたが、
「あなたは、この新月がお好きだそうでございますね、さきほど『長安古意』の、繊々(せんせん)たる初月、鴉黄(あおう)に上る……を口ずさんでおいでのを承りましたよ」
「そうでしたか、よくまあ」
 お銀様は、この唐代の美少年の面(かお)を見直そうとしました。同時に、今宵はまたよくも、人の気を見る相手にばかり出くわすことだ。さいぜんの穴掘りも、こちらが何とも言わない先に、こちらの意のあるところを見抜いたように行動したが、今のこの美少年もまた同じような妖言を言う。なるほどちょっと先刻、新月の空を見て、胸の中に「繊々たる初月、鴉黄に上る」という一句を無意識に思い浮べて、その昔、疑問を晴らすべく書庫を漁(あさ)って、解決つけたことの記憶を呼び起したには起したが、なにもその句をひそかに口ずさんだわけでもなく、声高く吟じ出でたでもないのに、この美少年に、こんな小賢(こざか)しい言い方をされると、自分の腹の中まで探られるような気がして、小癪(こしゃく)にさわらないでもない。しかし、たった今の陰惨な人生の終焉地(しゅうえんち)から、思い出の決して快いものでない昔馴染(むかしなじみ)に送られて、罪と罰とのかたまりを見せつけられるような道づれよりは、ここに華やかな唐代の貴公子の誘惑を蒙(こうむ)ることが、さんざめかしいというような気分にもなりました。
 今は昔の初恋の人でないお銀様は、幸内の思い出なんぞにそう深い追懐を払ってやるがものはないといったふうに、かえってこの異国の風流貴公子の相手になって月を見てやる方が好もしい、という気分になったのでしょう。そうすると、先方も呼吸(いき)が合ったと見えて、
「あなたは、あの詩の一句を、最初は単なる叙景として覚えておいでのようでしたが、あとでお調べになって、叙景の句ではなくて、唐代美人の粉飾の形容だということをおさとりになったようですが、あれはやはり彼此(ひし)同様の意味にとるのがよいのです。美人の眉目の形容と兼ねて、日まさに暮れんとする長安の黄昏(たそがれ)を歌いました、語意相関にして着筆霊妙というところなのです」
「私には、あの詩が充分にわかってはおりません、どうか、御説明くださいませ」
「知っている限りはお聞かせ致しましょう。そうして、あなた様は、どちらへお越しなのでございますか」
「さあ、わたしとしたことが、館(やかた)を出る時には確かに目あてがあって出て来たのですが、今となっては、どこへ行きましょうか、どこへ行かねばならないのか、それもわからなくなってしまいました」
「城南に行かんとすれば南北を忘る――というところですね」
「いや、そうではありませんでした、月に乗じて、わたしは近江の湖畔まで行って見るつもりで出て参りましたのです」
「湖畔ですか、つまらないじゃありませんか、もう少し変ったところへ出て見たいとお考えにはなりませんか」
「さあ、変ったところと言いましてもね、あれから舟を湖中に浮べて湖上の月を見るとか、竹生島詣でをして島の月をながめるとかいった程度のものでございましょう」
「そういうことは誰もやっておりますし、誰にもやれないということのない風流なのです、あなたとしては、もう少し規模の変った風流を遊ぶ気にはなれませんか」
「とおっしゃっても、風流というものの程度も、種類も、大抵きまったものではありませんか、土地を換え、仕方を変えてみましたところで、新月が円く見えるわけのものでもなし、月の色が変って見えるというわけのものでもなし」
「さあ、天界と風土は、たいてい変らないものですけれど、人界のことは大変りです、もう少し変った人間社会のことに、風流を味わってみるお考えはございませんか」
「有りますとも。有るには有るけれども、人間社会のことと言ったって、そう非常な変り方というのは有るものじゃありませんね、要するにみんな型がきまっていて、音色が変っているだけのものなんで、そう見たいとは思いませんね」
「それは、そうとしましても、あなたはまだ、天子の都を御存じはないでしょう」
「京都ですか」
「京都と限ったわけはございません、帝王の都の風流をあなたは、まだ御存じがないようです、どうです、私と一緒に長安までおいでになりませんか」
「長安とは――」
「唐の都なのです、そこへ、あなたをひとつ御案内をしてみたい、そうして、帝王の都の風流というものが、あなたの反抗心といったようなものを、どんなふうに刺戟(しげき)するか、それをわたしは拝見したいのです」
「では、連れて行って下さい」
 お銀様は、一も二もなくこの唐代の美少年の誘惑に乗ってしまいました。

         七十

 同じころおい、江戸の築地の異人館のホテルの食堂に、卓(テーブル)を前にして、椅子の上にふんぞり返っているところの神尾主膳を見ました。
 床をモザイク式に張った広間の向うの洋風のダムベル式のバルコンを通して、芝浦一帯が見える。それを、わざと背にして神尾主膳は椅子に腰かけて、ふんぞり返っている。大テーブルには洋式の器具調度が連ねてある。本来一卓子に八人乃至(ないし)十人も会食するようになっているのを、ここでは主膳が食いおわったわけではあるまいが、十人前の椅子のうち八つは空明きになって、その一つに神尾がふんぞり返っていると、それと向い合って、少し下手(しもて)に、下手といっても床の間があるわけではないが、向って左の方に六尺もある大きな四角なガラス鏡が据えてある、そこのところから二三枚下の方の椅子に腰を下ろして追従笑いをしているところのものがある。それは、おなじみの金公という野だいこ兼千三屋(せんみつや)の男である。そのほかには人がないから――
 海の方は、ずっと黄昏(たそがれ)の色が捨て難い風光を見せているけれども、神尾はそちらに面(かお)を向けて、新月がどうのこうのと気づかいをするでもなく、そうかといって、室内にはもはや高くランプが光り出して、その光を受けた六尺大の四角なガラス鏡が、まばゆく光り出したけれども、主膳はそれをのぞいて見るでもなく、むしろ、その反射をも避けるもののように、鏡面に自分のうつることを厭(いと)うかのように、避けて座席を構えている調子がよくわかるのです。
 しかし、この男、只今は、乱に到るほど酔ってはいない。酒気は充分に見えるけれども、乱に及ばない程度で食い留めているようにも見え、またところがら、容易に勃発せしめては不利益になるという人見知りの警戒心も多少加わって、なんとなく無気味な沈黙のうちに、こうして椅子にふんぞり返って、不平満々の体(てい)であるその前に、金助がお追従を並べているのです。
「殿様、拙(せつ)も近ごろ改名を致したいと、こう考えておりやすんでげすが、いかがなもんでげしょう、金助ってのは、少しイキがよすぎて、気がさすんでげす――河岸(かし)の若い者か、大部屋の兄いでげすと、金助ってのが生きて飛ぶんでげす、なにぶん今の拙の身では、少々イキが好過ぎて気がさすんでげすが、なんと、殿様、いかがでござんしょう、ちょっと拙の柄にはまった乙な名前はござんせんでしょうか、ひとつ、殿様の名附親で、改名披露ってなことに致したいもんでげすが……」
 相も変らず歯の浮くような調子で、こんなことを言って並べると、苦(にが)りきっている神尾主膳が、
「ナニ、金助でいけねえのか、金助という名が貴様には食過(しょくす)ぎるというのか。なるほど、近ごろは金の相場もグッと上ったからな、金という名は全く貴様らに過ぎている、どうだ、鐚助(びたすけ)と改名しては、びた公、びた助、その辺が柄相当だ」
「びた助でげすか。びた公、一杯飲め――なんて、あんまり有難くございませんな、いったいびたてえのは、どういう字を書くんでげすかね」
「金偏(かねへん)に悪という字を書くんだ」
「金偏に悪という字でげすか、ようござんせんな、びた銭一文なんて、全く有難くござんせんな、金偏に悪と書いて、びたと読ませるんでげすか、三馬(さんば)のこしらえた『小野の馬鹿むら嘘字(うそじ)づくし』というのを見ますると、金偏に母と書いてへそくりと読ましてございますな、金偏に良という字なんぞを一つ奢(おご)っていただくわけには参りますまいか」
「金偏に良なんていう字は無い、びた助にして置け、びた助、その辺が相当だ。これびた公、何か珍しいものを御馳走しろ、どのみち、毛唐(けとう)の食うものだから、人間並みのものを食わせろとは言わねえ、悪食(あくじき)を持って来て、うんと食わせろ」
と神尾は、これから持運ばれようとする食物の催促を試みると、金助改め鐚助が、心得顔に、
「殿様、とりあえず牛(ぎゅう)を召上れ、まず当節は牛に限りますな、ことに築地の異人館ホテルの牛の味と来ては、見ても聞いてもこたえられねえ高味(こうみ)でげす」
「ギュウというのは牛のことか」
「左様でげす――」
「一橋の中納言は豚を食って豚一と綽名(あだな)をつけられたくらいだから、牛を食っても罰(ばち)も当るめえ」
「罰が当るどころの沙汰ではございません、至極高味でげして、清潔無類な肉類でげす、ひとたびこの味を占めた上は、ぼたんや紅葉(もみじ)は食えたものじゃがあせん」
「そうか、牛というやつは清潔な肉かい」
「清潔でございますにもなんにも、こんな清潔なものを、なぜ日本人はこれまで喰わなかったのでげしょう、西洋では千六百二十三年前から、専(もっぱ)ら喰うようになりやした」
「くわしいな、千六百二十三年という年紀を何で調べた」
「福沢の書いたものでも読んでごらんあそばせ、あちらではその前は、牛や羊は、その国の王様か、全権といって家老のような人でなけりゃあ、平民の口へは入らなかったものでげす、それほどこの牛というやつは高味なものでげす、それを日本ではまだ野蛮の風が失せねえものでげすから、肉食をすりゃ神仏へ手が合わされねえの、ヤレ穢(けが)れるのと、わからねえ野暮(やぼ)を言うのは、究理学をわきまえねえからのことでげす」
「ふーん、日本は野蛮の風が失せねえから、それで肉食をいやがるのだと、これは笑い草だ、生き物の肉をむしゃむしゃ食う毛唐の奴の方が野蛮なんだ、勝手な理窟をつけやがる」
と神尾が冷笑しました。本来、びた公の言うことなぞは、冷笑にも、嘲笑にも価(あたい)しないのですが、こんなことをべらべら喋(しゃべ)るのは、何か相当の受売りなのである。文明めかす奴があって何か言い触らすものだから、こういったおっちょこちょいどもがいい気になって新しがる。それを金助の説として聞かないで、その当時の似非(えせ)文化者流の言葉として聞いて神尾が、冷笑悪罵となったのを、金公少々ムキになって、
「いや、神尾の殿様、お言葉ではげすが、毛唐が勝手な理窟をつけるとのおさげすみはいささか御了見(ごりょうけん)違えかとびた助は心得まする、第一、あっちは、すべて理で押して行く国柄でげして、理に合えば合点(がてん)を致しまする、理に合わないことは、とんと信用を致しませぬ、勝手な理窟を取らぬ国柄でげしてな。たとえば蒸気の船や、車のしかけなんぞをごらんあそばせ、恐れ入ったものじゃあげえせんか。現にごろうじろ、テレカラフの針の先で、新聞紙の銅版を彫ったり、風船で空から風を持って来る工夫なんぞは妙じゃあげえせんか」
「あれは魔法手品の出来そこないだ、正当の学問をする君子の取らざる曲芸なんだ」
と神尾がまた、さげすむと、びた公また躍起となって、
「どう致しまして、子曰(しのたまわ)くは、これからはもう流行(はや)りませぬな、すべて理詰めで行って大いに利用厚生の道を講ずる、あっちの究理学でなければ夜も日も明けぬ時代が、やがて到来いたしますでな。たとえば今の風船にしてごろうじろ、こういうワケでげす、この地球の国の中に暖帯と書いてありやす国がござりやすがね、あすこが赤道といって、日の照りの近い土地でげすから、暑いことは全く以てたまりませんや、そこでもって国の人がみんな日に焼けて黒ん坊サ、でげすから、その国の王様が、いろいろ工夫をして風船というやつを作って、大きな円い袋の中へ風を孕(はら)ませて空から卸すと、その袋の口を開きやすね、すると大きな袋へいっぱい孕ませて来た風でげすから、四方八方へひろがって国の中が涼しくなるという趣向でげす。まだ奇妙なことがありやす、オロシャなんていう極く寒い国へ参りますてえと、寒中はもとより、夏でも雪が降ったり、氷が張ったり致しやすので、往来ができやせん、そこであの蒸気車というものを工夫しやしたが、感心なものじゃあげえせんか。いってえ、蒸気車というものは地獄の火の車から考え出したのだそうでげすが、大勢を車へ載せて、車の下へ火筒をつけて、その中で石炭をどんどん焚きやすから、車の上に乗っている大勢は、寒気を忘れて遠路の旅行ができるという理窟でげす、なんと考えたものじゃあげえせんか。なにせ、このくれえな工夫は、あっちの手合は、ちゃぶちゃぶ前でげす、万事究理学で、理詰めで工夫して行くからかないやせん。これからの日本も、やっぱり究理の学でなければ夜も日も明けぬ時代が、やがて到来致します」
「キュウリの学問が流行(はや)り出したら、茄子(なす)の鴫焼(しぎやき)なんぞは食えなくなるだろう、そんなことは、どうでもいい、早く悪食(あくじき)を食わせろ、そのギュウという悪食をこれへ出せ、思うさま食ってみせる」
 そこへ支那人の服装をした料理方が、大きな皿を捧げて入り込んで来ました。
「さあ参りました、天下の高味(こうみ)、文明開化の食物――」
 のだいこまがいの金公は、下級戯作者(げさくしゃ)のたわごとを受売りするように安っぽい通(つう)がりで給仕を催促する。
 神尾主膳は不興満々でそれを見つめていましたが、ふと眼をそらすと、一方のその六尺もある大きな鏡です。その鏡へ、こちらを向いてベチャクチャとしゃべっている金助の後ろ姿がほとんど全部うつし出されて、本人が動けば、ちょんまげまでも動くのがありありとわかるのに、神尾主膳はちょっと興を催して、その鏡面をつくづく見ているうちに、自分のいずまいをちょっとくずすと、その鏡面へちらりと――自分の面(かお)が、三つ目のあるその面がちらりと映ったので、またグッと不快の念が萌(きざ)して、その面を引込めるなり、苦りきってしまいました。

         七十一

 ところが、ここにはたった二人だけれども、支那人のよそおいをした給仕が、次へ次へと持ち運ぶ皿の数は、ちょうど椅子の数と同じことなのです。そうして、椅子の排列通りに卓子(テーブル)の上へ、それからそれと並べて行ってしまうのを変だと見ていると、また一人の給仕は、ぴかぴか光る銀ずくめの箸(はし)だの、杓子(しゃくし)だの、耳かきの大きいようなものを持って来て、次から次へと皿のわきへ並べる。その有様を見ていると、今は二人の客だけれども、これからなお我々と椅子を並べて、他に八人の者が同時にここで食事をするような仕組みになっているらしい。といって神尾は誰も人を招いた覚えはない。だが、それを聞きただして咎(とが)め立てをすべき理由もないので、例の苦りきって見ていると、そのとき金助は、席を主膳の直ぐ隣りへ移して、給仕の持って来た銀製のおしゃもじのようなものや、耳かきの大きいようなのを、ちょいちょいあしらいながら、主膳の耳もとへ低い声で、
「殿様、これから洋式のお食事がはじまります、あちらではこうして、他人同士がみんな並んで食べるのが礼式なんでげす。食事の召上り方、このお玉杓子の小ぶりなやつ、これをこうあしらって口中へ運ぶのでげすが、そこは拙(せつ)が一通り心得ていやすから、失礼ながら殿様には、拙の為(な)すところを見よう見真似(みまね)に遊ばしませ。食事を為す時に音を立てないのが礼儀でございます。只今これなる椅子へそれぞれ客人が着席を致しまする、その客人のうちには眼色毛色の変ったのばかりではなく、日本人でもずいぶん鼻持ちのならぬ奴が現われるかも知れませんが、そこは見学のことでございますから御辛抱あそばせ。そうして着席いたしますとな、まずここへスップというやつが現われます、食事でございますよ、本邦で申しますとお吸物なんでげすな、そのお吸物が現われました時、このお玉杓子の大ぶりなやつで、こういうふうに召上ります、お玉杓子の大ぶりなのを、こちらからこう向うの方へすくうようにして、音をたてずに戴きますんでな」
 金公が小さな声で洋食の食べ方を伝授している時、一方の扉があいて、ドヤドヤと異種異様な人間がこの室へ入り込んで来ました。本来、他人の食事をしている部屋へ、挨拶なしにどやどやと入り込むということが礼に欠けていると思うのに、ドヤドヤと入り込んだ奴は先客の神尾主従に一言のあいさつも無く、それぞれ椅子へ腰かけて、いい気ですまし込んでいる。
 そこで神尾は、この食堂が自分一人をもてなすための食堂でなく、また自分一人で買い切ったものでないということをよく知りました。
 そうなってみると、またそういう心持ともなり、同時にまた、ここへ入り込んだ者共の何者であるか、こういうところへわざわざ食事に来る奴の面(つら)を見てやりたいという気にもなって、改めて列座の者共を睥睨(へいげい)する意気組みで、次から次への面調べにかかると、全くこのいずれも、日本流の茶屋小屋では見られない風采と面(かお)ぶれとです。神尾は自分の三ツ目の面を曝(さら)すことの不快を全く忘れ去るほどの興味で、一座の奴を見渡しているのです。介添役には金助改め鐚助(びたすけ)がついている。
 やがて、今度は支那服でない白い被(おお)いのついた筒っぽを着た数名の給仕が現われて、またまた白い中皿に湯気の立つやつを、いちいちその客の前に並べて廻りました。無論、主膳の前にもその一枚が並べられてある。
「これが西洋のお吸物、スップでげす」
 びた公は小声で言って、自身まず匙(さじ)を取り上げて、主膳にもこうして召上れという暗示を試みたのです。
 鐚公のするようにしてスップを吸い終った主膳は、そのまま手を束(つか)ねていると、給仕が来てその皿を持って行ってしまう。その隙(すき)にまた主膳は、一座の奴等を白い眼でじろりと一通り見渡しました。同席の自分とびた公以外の同席に七人の客がいるが、そのうちの四人が日本人で、二人が赤髯(あかひげ)で、他の一人は目玉の碧(あお)い女でした。そうして右の四人の日本人の中には、相当高級の士分らしいのもいれば、相当大商人のようなものもいる。果していかなる種類と階級に属し、何の目的あって、こんなところへ食事にやって来たのか、その辺の吟味は追々するとして、これでこの椅子が全部満員になったものと見ていると、ただ一つ自分の左の椅子だけがまだ空いていて、今スップのお吸物が済んでもまだ誰もやって来ない。その席、ここにも相当の据膳がしてある。それによって見ると、前約束が出来ていて、多少の遅刻することを見込んで椅子が買い切ってあるものらしい。誰が来やがるのか、あんな赤髯の臭い奴に来られた日にはたまるまいと、神尾は何か汚ならしいものにでも触れられるような気持がしたが、何もまあ見学だ、一通り見ておいてやる分には、かえって臭い奴に来られてみるのも一興かも知れないという気分になっているうちに、また次なる皿が運ばれました。その次の中は今度はお吸物ではない、何か肉をちぎって、こてこてと盛り上げたもので、あんかけのようになって湯気を立てている。
「これは、こうして小柄(こづか)で切って食べるのでげす」
 鐚公が小声で説明して、仕方をして見せる通りに神尾がする。そこへ給仕が飲物を持って来て、鐚公と神尾の前の小さな盃(さかずき)についで行きました。
 その肉をナイフで切って口へ運び、そのあいの手に飲物をちょっとやってみると酒だ。一種異様の刺戟がある。それを飲み且つ食いながら神尾は、白い眼で列席の奴等をまたおもむろに検討にとりかかる。
 その時、自分の向う側にいた大商人らしいのが、傍らなる相当高級の士分らしいのに向って話しかけるのを聞きました。

         七十二

 大商人らしいのが、身分ありげな士分の者に向って話しかけたのは、まずここから江戸湾の上に見渡すところの、お台場のことから始まったようです。
 あのお台場の建築を公然とは言わないが、冷嘲の語を以て話し合っていることはたしかです。今時、あんなものに、あんなに大金と労力とをかけて築造して、いったい何になるのだろうというようなこと、要するに水戸の老公の御機嫌に供えるためさ――といったような調子も出て来る。
 この二人は、徳川幕末政府が、苦心惨憺した国防政策の一つとしての、品川砲台を冷笑するだけの見識を持っている二人であることはたしかなのですが、この品川砲台を冷笑する見識を持っているというものが、必ずしもこの二人に限ったものではない、相当に届く眼識を以ている者にとっては、あれは失笑の材料でないということはなかったのですから、神尾もあながち、それを憎みはしなかったが、この二人の者の正体にいたっては、ちょっと見当がつき兼ねたのであります。商人の方は浜を市場とする太っ腹の当世男とは見えるが、身分あるらしい侍は、旗本御家人という風俗でもなし、まず相当大諸侯のお留守居といったようなところだろうか、当時のお留守居の粋(いき)なところは相当見えないでもないが、その惰弱(だじゃく)に換えるのに一種の威風を以てしているところを見れば、或いは某々の藩を代表する家老格の程度であるかも知れない。いったい、陪臣を以て人間とは見ない当時の江戸の旗本、ましてその驕慢(きょうまん)そのものに生きていると言ってよろしいほどの神尾主膳の眼から見ても、心憎いところのすまし方だ。
 それを神尾は多少心憎いと思いながら、聞くとはなしにその会話が、ちょうど、すぐ卓を隔てて自分の対岸にいるものですから、聞きとらざるを得ませんでした。
 或いは低く、或いは通常音で、たまには豪笑を交えたりなんぞして語る二人は、傍若無人のようですけれども、その点はあまり、聞いていても悪感を持たしめない品格があるにはあるのです。そのうちに商人の方がこういうことを言い出したので、今までとは話題の変った会話に花が咲きました。
「実は、ここに秘密な大金があるのでございます、その大金はまずわたくしだけが存じているといった性質の金でございますが、この辺でその秘密をブチまけても、もう祟(たた)りはございますまいと存じます――寝かして置くのも惜しいものですが、そうかといって、使用者にその人を得なければ容易ならぬ災禍(わざわい)の元となりますが、失礼ながらあなた様が、あれをお使い下さると、金も生きて参ります、もしまた何か行違いが生じました時は、わたくしが、あなた様のために立派に責任を負ってしまってよろしいと存じております」
と、大商人がまずこう言いました。事がらそのものはなるほど秘密に属するもののようだが、尋常会話の体(てい)で語り出したところに、秘密の時効があり、はらの見せどころがあるのではないかと思われます。そうすると一方の身分ありげな士分の人が、
「ほほう、今時、そういう都合のいい金があるとは耳よりだな、いったい、いくらあるのだ」
「七万両ございますな」
「七万両――それはなかなか大金だ、その方の一存でそれが無条件に使用ができるのか」
「左様でございます、わたくしのほかに、まだ一人だけその所在を知ったものがございますが、そのほかには絶対に……そうして、そのわたくしのほかのもう一人と申しますのも、わたくしが処分いたしますと、口出しをしたくもできないようになっているのでございますから、結局、わたくしの一存で、自由になる金なのでございます」
「ははあ、してみると、その方の所有金も同様じゃ」
「いかがでございます、それを、あなた様が御使用あそばすならば、わたくしが責任を以て御用立てを申し上げますが」
「それは有難いな――この際、無条件で七万両の金の運用ができれば、一藩を救うのみならず、一代の風潮を寝かし起しもできようというものだ」
「御遠慮なくお使い下さいませ、まかり間違えば、わたくしが腹を切ります」
「そうか、では、そいつを貸してもらうかな。ところで……」
 この相当の身分ある士は、七万両を咽喉(のど)へつかえもせずに、もう腹の中へ飲み込んで納めてしまったような度胸が、神尾は羨(うらや)ましくもあり、いよいよ憎いとも思いました。
 おれは今まで金を欲しがっていた。相当、金を使った覚えもないではないし、身のつまる時はずいぶん無理をして金工面をし、ひそかにその腕を誇ったこともないではなかったが、こうして相手から無条件、無雑作(むぞうさ)に七万両の金の使用方を提供されながら、別段に有難い面もせずに腹へ落してしまう奴が面憎い。今のおれの目の前に七万両はおろか、七千両でも、七百両でも、七十両でも、無条件に投げ出す奴があったら、おれは恥かしながら眼の色を変えるかも知れない。然(しか)るにこいつは、七万両をおうように飲み落して、腹がくちいような面もしやがらない。憎い奴共が、憎い話しぶりだと、思わず聞き耳を立てるような気でいるところ、また例の白い上衣をつけた給仕が、何かホヤホヤと烟(けむり)の立つ肉類を皿に載せて持って来て目の前に置きました。銀の小さなお玉杓子を取り上げて、これをつつきながら、前席の会話を聞きました。

         七十三

 ところで、前の会話の二人も同じように、新たに運ばれたホヤホヤと烟の立つ肉をつつきながら、例の士分の方のが言いました、
「いったい、その金はどういう性質の金なのだ」
と駄目を押すと、大商人らしいのが、
「それは、御説明申し上げないでも、御安心してお使い下すっておさしつかえございませんが、ここで申し上げても、土佐までは聞えまいと存じますから」
と答えました。秘密ではあるが、ここで言ったことが土佐までは聞えまい、土佐という地名を神尾が危うく聞き留めて、ははあ、しからばこの二人は土佐にゆかりがあるのだ、土佐は山内(やまのうち)だ、山内の当主は容堂といって、なかなかどうらく大名だそうだが、なあに、大名であろうと何であろうと、田舎者(いなかもの)は田舎者だ、遊び方が泥臭い――というような冷嘲気分が、この場合の神尾の腹の中で頭をもたげたのですが、何しても今の使用御勝手の七万両のいきさつだけは聞洩らしができない。なにも自分の懐ろをあたためる金でないことはわかりきっているが、自分のふところが冷えているからといって、温かい話が毒になるというわけではない。そうすると大商人が、その金の所在の内容をすらすらと打明けにかかりました。
「御承知でもございましょう、それは土佐の坂本先生が、紀州家から受取った伊州丸の償金なんでございます」
「なるほど――そういうことがあったな」
「あれが坂本先生の腕でございましたよ、なかなか凄い腕でございます」
「うんうん、坂本が自分の方から舟をぶっつけて沈ませて、紀州へ難題を持ちかけ、首尾よくせしめたということは聞いていたが、それをその方が預かっていたのか」
「わたくしが現在お預かり申しているというわけではございませんが、わたくしが融通を致しましても故障の出所のないことになっております。しかし、無条件でどなたを嫌わず、おおっぴらに融通のできるという性質のお金でもございません。先刻も申し上げます通り、その人を得ませんでは……その人と申しますと失礼ながら、あなた様なぞは、たしかにそれを生かしてお遣(つか)い下さるお方と存じまして、ついこんな秘密を申し上げてしまいました」
「それは本来、金銀というものは国家経済のために流通すべきものなので、死蔵して置くということは一種の罪悪だ、それに今は幕府をはじめ、諸侯という諸侯、みな経済的に疲弊していないのは一つもない、よいことを聞かせてくれた、ここで、その方から右の七万両をこっちへ廻してもらって、それからこちらはこちらで、日頃の経綸策にとりかかる、さし当り、それをどういうふうに処分し、使用するか、まあ拙者の腹を聞いての上で、その財政方を遠慮なく批評してみてくれないか」
「承りましょう」
「まず、こちらの考えでは、その金を八朱の利子附きで、百姓町人に貸出すのじゃ」
「金利をお取上げになりますか」
「いや、金利を取るのが目的ではない、それを八朱の利で百姓町人に貸付けて、物産総会所というものをこしらえさせようと思うのじゃ。そうして大いに物産をおこさせる」
「それは結構なお考えでございますが、そうして仮りに大きに御領内に物産が出来まして後に、それを、どうなされます」
「そこだ、盛んに物産を作らせたところが、買い手が無ければどうにもなるまい」
「御意(ぎょい)にござります――国内で盛んに製造が出来ましょうとも、はけ口がございませんでは、背負い込みでございますな、それに今時のこの不景気な時代でございましては……」
「そこなのだ、もちろん国内で作って国内の消費を待つだけでは、製造超過で手も足も出なくなるのは見え透いている、そこで買い手を日本全国に求めるのだ、日本全国だけではない、異国を相手にしようというのだ。世界は広い、品物を背負い込む心配の更にないことを、こっちは見届けている――」
 神尾はそれを聞いているうちに、ははあ、妙な風向きになったわい、藩のために金を融通する以上は、今時、鉄砲を買い込むとか、軍艦製造費に廻そうとか、そんなような話だと思いの外――早くいえば商売の資本(もとで)にして大いに儲(もう)けようというのだ、一方ばかりが商人と思っていたら、こっちの方が商売気にかけて一枚も二枚も上らしい。
 今時の国ざむらい、全く以て油断がならぬ、と神尾が意外に打たれながら、なお心にもなく耳を傾けさせられました。

         七十四

 大商人がそれを受答えて言いました、
「お目の高いことには、いつもながら敬服の至りでございますが、日本全国はおろか、異国までも相手に物産をお売捌(さば)きになるとおっしゃる、そのおもくろみは至極結構でございますが、さて、それを買わされる方になってみますると、何をこしらえて、どこへ売り出すのがよろしいか、むやみに物産をこしらえて他国へ送り込みましたところで、買う人が無ければなんにもなりませぬ。よしんば一時、珍しがって買い込む者が出ましても、あとが続かなければ資本も倒れ、仕事をする者の腕も腐ってしまいまする。その辺についての御意見を伺(うかが)いたいものでございますが……」
「それは尤(もっと)もだ、そこらを考えて置かぬことにはこの問題は持ち出せないはずだ。ところで、こちらはその辺を多少研究している、長崎までも出張して、いろいろと調べてみたが、外国を相手とするとなると、何かといううちに最も利益のあるのは生糸だ、絹だと見込みをつけてしまったのだがどうか」
「なるほど」
「シルクだな――蚕(かいこ)を飼って、糸をとって、その糸をまとめて売る、外国ではそれを独特の技術で精製してシルクにするのだ。あれならば最も西洋人の嗜好にもかない、かつ、西洋に於ては婦人の服装はもとより、家内の装飾用その他、無限に需要がある。それからまた、東洋の生糸は確かに性質(たち)がいいそうだ、それからまた蚕を飼う技術というものが日本では優れているし、蚕の食物とする桑の木の発育も極めてよろしい。それからまた一定の工場や、多分の機械を備えずとも、いかなる寒村僻地(へきち)でも、家々でその有合わす手だけで充分に生産ができる、日本でこしらえて、異国を相手に商売のできる第一のものはあれだと、こっちは見込みをつけてしまったがどうだ」
「なるほど――そのお見込みは至極御尤もでございます、また、こちらに無限の製産力がありまして、先方にも無限の需要がある点は御同感でございますが、失礼ながら値段の点はいかがでございますか、いかに取引が活溌に参りましょうとも――手数をかけ、口銭をとり、そのうえ外国まで船づみを致しまして、それで採算の儀が、どんなものでございますか、その辺の御意見は――」
「それは心配いたすな、眼前に一つの例がある、越前家ではこの最も有利なる実例を示して、大儲けに儲けているが、表向きには発表していない、なにしろ加賀で銭五の先例もあって、小面倒と遠慮をしているのではないかと思うが、こちは、ちゃんと委細を聞いている」
「ははあ、越前様が、その生糸で大儲けをおやりになりましたか」
「うむうむ、今こちが言ったところと同じような目のつけどころが、財政が豊かなだけに早く実行の緒についたのだ。あの国では早くから領内に養蚕の奨励を致してな、生糸御用係という役をこしらえて領内の諸方に出張させ、夏場になると、役所の部屋も、座敷も、みんな蚕室になってしまうのじゃ。竹刀(しない)だこのある手で桑の葉を刻み、巻藁(まきわら)をほぐして、まぶしを作ろうという騒ぎだ。それで首尾よく繭(まゆ)が取れ上ると、それを藩の手でとりまとめて宰領し、長崎へ持って行って和蘭(オランダ)商館へ二十五万ドルで何の苦もなく取引を済まして帰って来たという豪勢さだ」
「なるほど――越前様のお倉元は大へんに宜しいと承りましたが、左様な抜け目のないお取引がおありでしたかな」
「あっちの金で二十五万ドルだから、こっちの両にすると一ドルが四両、都合百万両ばかり一夏に儲けてしまった。そうしてな、その百万両を、すっかり一分金に両替をして国もとまで運ぶという段になったのだが、それがまた一仕事でな、長崎奉行に届け出て、お金荷物の先触れを頼み、一駄に千両箱を二つずつ積んで、五百駄近くの大した行列が、長崎から越前まで乗込んだものだ」
「いや、恐れ入りました、銭五もはだしでございます、越前様には、すばらしいお目ききがいらっしゃいますな」
「左様、肥後の熊本から来た横井小楠(よこいしょうなん)という奴が、頭もあり、はらもある、なかなかの奴でな。その弟子の由利という奴にまた腕がある。これは越前一国のことじゃない、応用すれば日本全国にひろがる利用厚生の道なのだ。我々とても資金さえあれば、そのくらいのことはなし兼ねないが、何をいうにも越前ほど自由が利(き)かなかったのが、幸い今度はひとつ……」
 こういう会話を神尾が聞いていると、またムラムラと癇癪が起りました。武士のくせに町人の向うを張って、毛唐を相手に何百万両もうけたとて何になる!
 だが、おれは天下の直参(じきさん)であるのに、いつもピーピーで、三両五両の小遣(こづかい)にも困らされがちなのに、七万両だの、二十五万ドルだの、百万両だのと、金銀を土瓦のように舌頭であしらっている。癪にさわる奴等だ。もうそんな話は聞いてやらねえぞ!
 神尾がこうむつかり出して、ひとりじりじりしている時、自分の席の左の方から、軽く風が起って、さっと自分の身体に触れるものがありましたので、思わずそちらを振向くと、神尾が、全く別な感じで、呆(あき)れ返り、且つ、驚き入らざるを得ないものがありました。

         七十五

 神尾が驚き呆れたのは、自分の左の方だけが最初から椅子が一つ空いていた。他のすべては満員になったけれども、ここだけ特に自分のためにあけて置いてあったかと思われるように残されていたそのところへ、今になって不意に人が現われて、無雑作に席に就こうとしたから、それで驚き呆れたのではなく、その人の全く思いもかけない風采(ふうさい)の人であったから度胆をぬかれたのです。神尾ほどの人だから、たいていの人間が現われたからといって面負けをするはずはないのですが、この時ばかりは呆気にとられました。
 というのは、その現われた人の風采が、全く想像も及ばなかったからのことです。つまり、そこへ今ごろ現われたのは、盛装した一個の西洋婦人でありました。
 その西洋婦人が単に西洋婦人でありさえすれば、神尾としても、これほどまでに面負けがして狼狽(ろうばい)するはずはなかったのです。西洋ホテルの食堂へ西洋婦人が現われるのは、茶室の中へ茶人が出入りするのと同じことなんです。それに現に眼の前にも、髪の赤いのと、目玉の碧(あお)いのとの一対がいるのですから、そう顛倒するには当らなかったのですが、いま現われた西洋婦人が、極めて滑(なめ)らかな日本語を使って、
「殿様、お待たせ申しました」
 これに驚かされたのです。なお、くどく言えば、その流暢(りゅうちょう)な日本語の技倆に驚かされたのではない、その言葉を操る口元と、面(かお)を見て、あっと動揺したのです。
「お絹ではないか、貴様は……」
 あの化け物めが、すっかり髪を洋式の束髪に結ってリボンをかけ、服装は上をつめて下を孔雀(くじゃく)のようにひろげた、このごろ新板(しんぱん)の錦絵に見るそのままのいでたちで、澄まし返って「殿様、お待たせ申しました」がよく出来た! こいつが! と主膳は躍起となったが、まさかなぐりつけるわけにもゆかない。するようにさしていると、その椅子へ納まり返って、洋皿や匙(さじ)を使う手つきが、もはや相当に堂に入っている。
 この新客が席につくと、今まで会話に酣(たけな)わであった士分と、商人と、それから洋人男女と、その他の者が一時みな、お絹の洋装の方に目をつけました。ところがこの女は、一向わるびれないのみか、むしろ場慣れのした愛嬌をふりまいて会釈をすると――
「マダム・シルク、ヨク似合ウコトアリマス」
 大商人の隣席にいた赤髯(あかひげ)が、片言(かたこと)の日本語でほめました。
「有難うございます、手妻使いのようには見えませんか」
「イヤ、ソウデナイデス、立派ナ西洋貴婦人アリマス」
 こういう問答で、一座がにわかに春めいてきたが、主膳の苦々しさったらない。
 うんとお絹の横顔を睨(にら)みつけると、例の乳白色の少し萎(な)えてはいるが、魅力のある白い頬に、白粉をこってりとつけている。
「マダム・シルク、アナタ日本ノ宝デアリマス、日本ノ富デアリマス」
 赤髯が主膳の苦りきるのとは打って変って、お絹が現われてからにわかに陽気になりました。
 シルク、シルクと頻(しき)りに言うが、シルクという言葉は、さいぜん、あの士分と商人との二人の口からも出たようだ。
 シルク、シルクと、シルクが今日の座持のような売れ方だ、いったいシルクというのは何のことだ、おもシルクも無え! と神尾はいよいよ不機嫌で、隣りの金助改めびた公に呼びかけました、
「びた、シルク、シルクというが、いったいシルクとは何のことだ」
 その時、びた公が得たり賢しというような表情をして、フォークを左にさし置き、
「でげすな、シルクてえのは、只今それお話の、お白様(しらさま)の口からお出ましになって、願わくは軽羅(けいら)となって細腰(さいよう)につかん、とおいでなさるあの一件なんでげす」
「何だ、それは」
「あの蚕の口から出まする糸、それを座繰(ざぐり)にかけて繰り出しましてから、島田に結わせて、世間様へお目見得(めみえ)を致させまする、あれは通常、生糸と申しましてな」
「生糸のことを聞いてるんじゃない、シルクとは何だと聞いているのだ」
「それなんでげす、話の順序でげしてな、その生糸をすっかり繰り上げましたのが、それがすなわち絹糸なんでございます」
「そんなことは、貴様に聞かなくても大よそ心得ている」
「まあ落着いておしまいまでお聞きあそばせ、その絹糸のことを洋語で申しまするてえと、すなわちシルクてなことになるんでございます」
「なるほど、シルクとは絹の洋語か」
「左様でございます、この繰り上げた絹糸の肌ざわりというものが、とんとたまらぬそうでげして、洋人という洋人が、これに参らぬのはござんせんそうで、ことにイタラの国の絹よりも、支那出来の絹よりも、日本の絹が、世界のどこの国にも増して光輝があり、肌ざわりがよろしく、西洋人は、日本のシルクというと目が無えんでございます、日本のシルクでなければ夜も日も明けぬ、いくら高金を出しても日本のシルクを買いたい、という御執心なんでげすから、有難いもんじゃあげえせんか」
「ふーん、日本の絹がそんなにあいつらには有難(ありがて)えのか」
「有難えのなんのって、全く眼が無えんでございますが、蚕の口から出たシルクでさえ、そのくれえでげす、まして生きたシルクと来ちゃ、命もいらねえということになるのは理の当然じゃあがあせんか」
「何だそれは。生きたシルクというのがあるのか」
「有る段じゃあがあせん、つい、その目の前に……」
「何だ、目の前に生きたシルク、わからねえ、目の前に絹糸なんぞはありゃしねえ」
「殿様も頭(おつむ)が悪くていらっしゃる、それ、目の前に生きたシルクが装いをこらして、控えていらっしゃるじゃあがあせんか」
「何だ、どこに……」
「いやもう、悪い合点でございますな、神尾の殿様、つい目の前に、生きたシルクが、つまりお絹様が……」
「なあに、絹が、お絹の奴が……なるほど、絹は絹に違いない」
「ところがこっちの絹が、当時、本物のシルクより洋人の間に大持てなんでげしてな、マダム・シルクでホテルの中が、日も夜も明けない始末でげす……」
「馬鹿!」
 神尾主膳は場所柄をもわきまえず、金助あらためびた公をなぐりつけようとして、危なく手元を食いとめました。その時に、左の方からお絹が口を出して、
「殿様、お食事が済みましたらば、マネージャのタウンさんに御紹介を致しますから、お会いくださいませね。それから、望楼に参って遠眼鏡をごらんくださいましね。亜米利加(アメリカ)の先まで見透しというのは嘘でございますけれど、上総房州あたりまでは、ほんとに蟻の這(は)うまで見えようというものでございます――それから、今晩はぜひ一晩、ここにお泊りなすっていらっしゃい」
「いやだ」
「そんなことをおっしゃらずに、何も見学の一つじゃございませんか、西洋のホテルの泊り心地はまた格別なものでございますよ」
「お前は、その経験があるのか」
「いやですよ、殿様、そんな大きな声をなすって……」
 そのうちに食事は済んで、食堂が閉されることになって、ぞろぞろ引上げる。神尾もそれにつづいてその席を立たなければならない段取りになりました。

         七十六

 ああして、与八の私塾はようやく盛んになって行きます。
 塾長たる与八は、自家の彫刻もやり、子弟の教育もやり、医術をも施したが、今度は偶像としてあがめらるるに立至りました。
 与八の私塾には、塾長先生の講話のほかに、近村の古老を迎えての課外講話がありました。近村の古老篤行家を迎えて、次第次第に殖えてゆく子供たちのために、無邪気なる古伝説や、或いは実験の物語などをしてもらって、衆を教育すると共に、自分も教えられるところが多くありました。無雑作な昔話にしても、土地に居つきの人そのままから、土地の音声を以て話してもらうと、古朴の味わい津々(しんしん)たるものがあって、人をよろこばせること多大なものがあるのです。
 今日の課外講師というのは、一色村の土橋くらさんというお婆さんでありました。この春、七十七のお祝いをしたという達者なお婆さんに、お孫さんの里木さんというがついて来て、与八さんの塾の子供たちに昔話をしてくれました。その話は――
 昔、相吾(さまご)の与次郎という法外鉄砲をブツことの上手なかりうどがあった。
 その近所に大猿が現われ、畑を荒したり、鶏をさらったり、ひどいワルサをして困った。
 それから村中総出で、近辺の山の中を残らず狩り出したが、猿のさの字も見えず、ただ山奥でチラリと見たという者は二三人あったが、その誰も彼も、その猿の手は真白だったと言うので、いつとはなしにその猿を「手白猿(てじろざる)」と呼ぶようになった。
 手白猿のワルサは日に増し劇(はげ)しくなって行くばかりなので、領主の殿様も大へん腹を立て、
「あれしきのものが撃ち取れぬとあっては俺の恥だ、ぜひとも捕まえて来(こ)う」
と、家来を呼んで厳しく言いつけた。
 家来たちは困り果てて、いろいろの評議の末、御領内を方々探したところ、与次郎の話を聞いて、
「これこれの法外上手な狩人(かりうど)があるから、猿はこれに撃たしたらようございましょう」
と殿様に申し上げた。すると殿様も、
「それじゃあ早速、その者を呼び出せ」
ということで、与次郎は殿様の前へ呼ばれた。殿様は、
「これ与次郎、手白猿はどうでも貴公が撃ち取ってくりょ、そうしれば褒美(ほうび)はなにほどでもやる」
と言った。与次郎は、
「けんど殿様、あんないの大猿は、とてもわしにも撃てるかどうだかわからん」
と言って辞退したが、たってのお望みとあって是非もなく、
「そんじゃア」
と言って引きうけて帰った。
 そして鉄砲を磨き、弾丸(たま)をしらべ、幾日もの食い物をむすびにして腰につるし、
「もし撃ち取れねえば、生きちゃ帰るまい」
と覚悟し、氏神様へお参りをして、ある日、朝早くから山へ登って行った。
 そして幾日も幾日もの間、とてもごっちょう(苦労)して、山という山は残るところなく、ほかの鳥獣(とりけもの)には目もくれず、ただ手白猿ばっか探し廻ったが、その行方(ゆくえ)はかいもくわからなかった。これまで、ほかの鳥獣なら、これと狙(ねら)った以上は必ず取りぞくないのない与次郎も、手白猿ばかりはまるで手はつかなんだ。
「いよいよ今日中にめっからねえば、その時こそは死ぐばっかだ」
と考えながら行く。お天道様の具合で、ちょうど昼時となったので、与次郎は谷間に湧く清水の岩角に腰を下ろして昼食を始めたけんど、がっかりしている今は食べ物も咽喉(のど)を通らない。
「はい、これからは持っていたところで仕方もなし、残りのむすびもこの辺へうちゃアらず(捨てよう)」
と前の谷を覗(のぞ)き込むと、その拍子に与次郎はハッと驚いた。今まで見たことのない手白猿をはじめて見た。
 それは、全く手首から先の真白い大猿で、すぐ下の岩の上からじっと与次郎を見つめていた。なんぼたっても逃げようともしないので、与次郎は不思議に思ったが、
「こりゃ天の助けずら」
と喜んで、その後ろへ手を廻し、鉄砲を取り直すが早いか、しっかりと狙いを定めた。けれども猿はまだ逃げない。与次郎はますます喜んで、いまにも鉄砲をぶっぱなそうとした。すると何思ったか与次郎は、むしょうに鉄砲をガラリと投げ出した。猿は動かなかったはずで、赤ん坊を片手で抱いて、片手では一生懸命に与次郎を拝んでいたのだった。
 生れて間もない赤ん坊が、しきりと母親の胸に頭をすりつけ乳房を探している様を見ると、与次郎はかわいそうでならなかったが、
「せっかく、こんないにして、めっけとうに、今ここで逃(のが)いては――」
と気を取り直し、また鉄砲を肩につけた。猿はじっとこっちを向いて、なおも一生懸命に拝んでいる。与次郎はたまらなくなって、また鉄砲を投げ出した。
 ちょうど与次郎の家にも、生れて間もない赤ん坊があった。与次郎は自分が家を出かける時、その赤児と別れるのが、なんぼ辛(つら)かったか知れなんだのを思い出し、人に物を言うように、
「なア猿、かわいそうどうけんど、ぜひおれに命をくりょ、殿様のたってのお望みで仕方ンない、ちょうどわしにもお前ぐれえの赤児がある、無理もないこんどう、お前の子供はおらがのおしゅんといっしょに、おしゅんのアンマ(乳)をくれてきっと立派に育ててやる、そんだから、な、頼むからわしに命をくりょ」
 こう言うと与次郎は、三度目の鉄砲を取り、心を鬼に取り直してグッとひき金を引いた。
 猿は見事に喉をぶちぬかれてバッタリと倒れた。与次郎は自分も貰い泣きをしながら、泣き叫ぶ赤児をようやく親猿から引離してヒトコ(懐ろ)へ入れ、親猿をショって山を下った。そうしてその猿を殿様に差上げると、殿様からはたくさんの褒美(ほうび)を下された。
 これから与次郎は子猿を家に連れて帰り、女房にも、この猿はこれこれこういうわけで連れて来とうだから、大事に育てろとよく言いつけた。
 猿の子もはじめのイトは、乳を欲しがって泣いて困ったが、そのたびに与次郎の女房がおしゅんの乳を分けてくれ、だんだん馴れてイカくなった。おしゅんとヒトツトシだが、おしゅんがまだ人の見さかいもつかぬうちに、猿の子はもう木にも上れば、しまいにはおしゅんの子守までするようになった。そうしてその子猿も、やはり手首から先が白かったので、与次郎夫婦は、名も母親と同じに「手白、手白」と呼んで可愛がった。
 三つにもなると、手白は全くおしゅんの子守をよくしてくれるので、おしゅんの母親は、手白におしゅんを預けると、いつも安心していろいろの仕事ができた。
 ある日のこと与次郎が、いつものように山へ行った後、母親はおしゅんに湯でも浴びさせようと、釜で湯を沸かし、半槽(はんぞう)(盥(たらい))にその湯を汲んでおしゅんを入れ、自分は子の傍で洗濯をしていたが、
「手白、また番をしてくりょな」
と言い置き、ちょっとの間だからと思って、近所の川へ洗い物をユスぎに出かけた。
 その後で、手白は早速母親のするのを真似(まね)て、柄杓(ひしゃく)で釜からチンチン煮えている湯を汲んで来て、おしゅんの頭からザーッと二度も三度もかけてやったからたまらない、おしゅんはキッキッと泣いて、そのまま赤くただれて焼け死んでしまった。
 川から帰って来た母親は、あまりの驚きに泣くにも泣かれず、
「手白、汝(われ)ぁ困りもんのことをしてくれたなあ、いまにお父(とっ)さんが帰って来(こ)らば、どんないによまアれる(叱られる)か知れんから、さアちゃっと山へ逃げろ」
と、急いで子猿を山へ逃がしてやった。
 やがて与次郎が山から帰って来たので、女房が、
「今日は本当に申しわけァないことをしとう、手白の奴ン飛んだことをしでかいてしまって」
と言ってありのままを話すと、与次郎はカッと怒って、
「猿はドコへ行っとる、あいつをも生かいちゃアおけん」
と言う。女房が、
「猿ウは山へ逃がいとう」
と答えると、与次郎は、
「ほんじゃア直(じ)きに行って俺(おれ)ンめっけて来る」
と言って、直ぐ山へ駈け登り、方々を探したが、なんぼめっけても手白がいはしんので、仕方なく家に帰り、
「まず、おしゅんのおトブラいでもしず」
と言って、見ると、そこに寝かして置いたはずのおしゅんの死骸がない。
「はて、変なこともあればあるもんだ」
と、そこいら中を探してみたが、どこにもめっかさらん。
 さすがの与次郎も、これにはびっくりして、やがて、じっとうつむいて、
「俺ン、今まで、鳥獣(とりけだもの)の命を、あんまり取ったその罰が、今日という今日は報いて来て、おしゅんの死骸まで無くンなっとうに違いない、俺アハイ、今日限り殺生(せっしょう)は止めにしる」
 そう言って与次郎は、鉄砲をへし折って近所の不動様へ納め、さて言うことに、
「俺アこれから六部(ろくぶ)になって、今までに命を取った鳥けだものや、おしゅんの後生(ごしょう)をとぶらいながら、日本国中を経めぐって来る」
 そう言うと与次郎は、直ぐに六部の装束をし、笈物(おいぶつ)をしょって、鉦(かね)をチャンチャン叩きながら、その日のうちにぶんだい(出参)た。
 さて、村の周囲(まわり)に聳える山々のうち、どれか一つ越えねばならぬが、それならば第一に親猿をうちとめた山へ登り、まずそのあとをとむらって行こうと、あの清水の湧く山さして登って行った。
 すると、あれほど勝手知ったる山でありながら、今日に限ってどう踏み迷ったか、行っても行っても清水のところへ出ないばかりか、ますます奥深く迷い込む様子なので、与次郎は困りきって道端の石に腰を下ろし、
「二十年も歩き慣れたこの山で、道に迷うなんて全くどうかしている、とにかく、少し気を落着けてみず」
と、じっと眼をつぶった。するとどこからともなく、かすかに猿の啼(な)き声が聞えて来る。耳を澄ますと、だんだんこちらへ近づいて来た様子なので、与次郎が驚いて眼をあけて見ると、向うから何十匹とも知れぬ猿が枝に伝わってやって来たが、それが皆、与次郎の前へ坐って一礼した。
 おまけにその猿共の一番前に、逃げた手白がいる。手白はふと立ち上り、与次郎の着物の裾を引いて、どこかへ連れて行く様子ゆえ、今は与次郎もどうするという当てもなし、怪しみながら、ただ手白のするがままになって続いて行った。
 山が次第に深くなって、もう大分来たと思われる頃、一つの広い岩屋に到着した。その中に枝葉がいっぱい敷いてあって、何百とも数知れぬ大猿小猿が並んでいるし、なおよく見ると洞穴の真中辺に、岩で囲んだ井戸のようなものがあって、湯気がポッポと立っている。
 与次郎は、びっくりして見ていると、手白がツカツカと進んで、その井戸のようなものの中へ飛び込み、直ぐ一人の赤児を抱いて出て来た。与次郎が驚いてよく見ると、その赤児は、疾(と)うに死んだはずのおしゅんであった。
 おしゅんは、やけどの傷も更に無く、前にも増して元気になっていたので、与次郎は夢かとばかり喜んで、手白の手を握って厚く礼を言うと、手白も与次郎の手を舐(な)めずって、さも嬉しそうな顔をする。与次郎は衣の端を裂き、それにおしゅんをクルんでヒトコへ入れて喜び勇んで山を下った。
 何百とも数知れぬ猿共は、手白を先頭に、麓(ふもと)の村が見える所まで与次郎を送って来てくれたが、いよいよ別れる時になると、さすがに手白も残り惜しそうに、後ろを振返り振返り山へ帰って行った。与次郎もまた笠を振りながら、やはり見えなくなるまで見返り見返り山を下った。
 家に帰ってこの話をすると、女房も飛び立つばかり喜んだが、与次郎は、
「俺ア、こうしてせっかく六部に行こうと思い立っとうだから、どうでも行って来る」
と、おしゅんや女房を伯父(おじ)に預けて、よく後々のことを頼み、そのまま六部になって行った。
 その後、なんぼ探しても、手白も、その不思議な猿の湯も、二度とは見つからなかった――

 土橋のおくら婆さんから、土地の言葉で、こういう話をして聞かせてもらうと、子供たちは皆、膝に手を置いて、感心しきって、しーんとして聞いていたが、その話が終ってしまうと、そこは子供のことで、忽(たちま)ちがやがやと陽気になり、一人立ち、二人立ち、やがて元気いっぱいになり、
医者どんの頭をステテコテン
医者どんの頭をステテコテン
と一方で合唱をすると、他の一方にかたまった連中が、
そんなこと言うもんの頭をステテコテン
そんなこと言うもんの頭をステテコテン
と、負けない気になって合唱をはじめる。そうすると前のやからが、ひときわ声を励まして、
医者どんの頭をステテコテン
医者どんの頭をステテコテン
と合唱する。それに対抗する一方は、またひときわ声を張り上げて、
そんなこと言うもんの頭をステテコテン
そんなこと言うもんの頭をステテコテン

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