大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 女興行師のお角親方は、一つには胆吹山入りをした道庵先生を待合わせる間、一つには三井寺参詣と八景遊覧のために、大津へ先着をして参りました。
 そうして、三井寺へも参詣をすませ、法界坊の鏡供養も見て、今日は舟を一ぱい買いきって、これから瀬田、石山方面の名所めぐりをしようという出鼻であります。
 お角さんのことだから、日頃あんまりケチケチするのは嫌いなんだが、ことに旅へ出てこういう素晴しい名所に出くわした上に、いよいよ京大阪も目と鼻の間ということになってみると、心がなんとなくはずんで、いでたちがけばけばしくなるのは、勢いやむを得ないことであります。
 見れば、お角さんの買い切った一ぱいの舟には幔幕(まんまく)が張り立てられ、毛氈(もうせん)がしかれて、そこへゾロゾロと芸子、舞子、たいこ末社様なものが繰込んで来るのです。
 そうして、舟宿がペコペコと頭を下げる中を、おともの若い者二人を具して、お角さんが大様(おおよう)に乗込んで来ました。
 そうすると、げい子や舞子、たいこ末社連がよく聞きとれない言葉で、ペチャクチャとお追従(ついしょう)を言って取巻いて、下へも置かずお角さんを舟の正座に安置する。
 左右へ、若い衆や庄公が着いて、舞子や、たいこ末社が居流れる。
 そしてまた舟の中へ、酒よ、肴(さかな)よ、会席よ、といったものが持運ばれて、出舟までの準備さえ相当の手間が取れるのです。
 お角さんの気象がおのずからはずんで、京大阪への手前、多少とも江戸ッ子は江戸ッ子らしく振舞ってみせなければ、後の外聞にもなるといったような、お角さん相当の負けない気で、この際、自分が江戸ッ子を代表してでもいるような気位になるのも是非がないでしょう。そこでこの八景めぐりが自然にお大尽風を吹かせるような景気になって、そこは、相当の要所要所へ金をきれいに使うことは心得ている。舞子や、たいこ末社まで取巻に連れ込んだのは、これは何か偶然の達引(たっぴき)か、そうでなければ、転んでも只は起きない例の筆法で、この一座のげい子、舞子、たいこ末社連のうちに、将来利用のききそうな玉があると見込んでいることかも知れません。
 とにかくこうしてお角さんの八景巡りは、仰山ないでたちでありました。道を通る人も、乗る舟を見かけて集まるほどの人も、みんなこの華々(はなばな)しい景気に打たれて、眼を奪われないものは無いのです。そうしてどこのお大尽の物見遊山かと、その主に眼をつけると、案外にも関東風の女親分といったような伝法が、しきりに舟の中で指図をしたり、叱り飛ばしたり、おだてたりしているものですから、舞子、芸子、たいこ末社の華々しさよりは、この女親分の威勢のほどに気を取られ、目を奪われないものはありません。
 こうして、お角さんの八景遊山舟が出立の用意に忙がしがり、岸に立つ者、もやっている舟の注視の的になって、その風流豪奢のほどを羨(うらや)んだり、羨ましがられたりしているところへ、群衆を押分けて、のそりのそりとお角さんの舟へ近づいた異形(いぎょう)のものが一つありました。
 頭はがっそうで、ぼうぼうとしている。身にはやれ衣をまとい、背中に紙幟(かみのぼり)を一本さし、小さな形の釣鐘を一つ左手に持って、撞木(しゅもく)でそれを叩きながら、お角さんの舟をめがけて何かしきりに唸(うな)り出しました。
 その姿を見ると、芝居でする法界坊の姿そのままですから、あほだら経でも唸り出したのかと見ればそうでもなく、謡(うたい)の調子――
「秋も半ばの遊山舟、八景巡りもうらやまし、これはこのあたりに住む法界坊というやくざ者にて候、さざなみや志賀の浦曲(うらわ)の、花も、もみじも、月も、雪も、隅々まで心得て候、あわれ一杯の般若湯(はんにゃとう)と、五十文がほどの鳥目(ちょうもく)をめぐみ賜(たま)わり候わば、名所名蹟、故事因縁の来歴まで、くわしく案内(あない)を致そうずるにて候、あわれ、一杯の般若湯と、五十文の鳥目とをたびて給(た)べ候え、なあむ十方到来の旦那様方……」
 こんなことを謡の文句で呼びかけるものだから、どうしても舟の連中の耳障(みみざわ)りにならないわけにはゆきません。しかし、誰も進んで、出ないとも出るとも言わないで、舟の装いに忙がしがっているものですから、右のまがいものの法界坊はしつっこく、
「あらおもしろの八景や、まず三井寺の鐘の声、石山寺の秋の月、瀬田唐崎の夕景色、さては花よりおぼろなる、唐崎浜の松をはじめ、凡(およ)そ八景の名所名所の隅々まで、案内はもとより故事来歴までも、一切心得て候、あわれ福徳円満諸願成就の旦那衆、一杯の般若湯と、五十文の鳥目をたびて給べ候え、御案内を致そうずるにて候」
 それを聞いて、たまり兼ねた若い者の庄公が、
「何だい、何だい、何をおめえさん、そこでブツブツ言ってるんだい」
「あわれ一杯の般若湯と、五十文が鳥目とをたびて給べ候え、八景の名所名所、洩(も)れなく御案内を致そうずるにて候」
「何か七(しち)むずかしいことを言っているが、何かい、酒を一杯飲ませてくれて、五十貰えば八景の名所案内をしてくれるとでもいうのかい」
「さん候(ぞうろう)、何(いず)れもの旦那衆にさように勧進(かんじん)を申し上げて御用をつとめまいらせ候、今法界坊とは、やつがれのことに御座あり候」
「うるせえな、親方――」
と、お角の方を庄公が向き直って、
「親方、お聞きなさる通り、へんてこな奴がやって来ました、あの法界坊の出来損ねえみたいな奴が、一杯お酒を御馳走になって、五十貰えば名所案内をしてくれるって言いますが、追払っちまいましょうか」
 お角がそれを聞いて、
「まあ、いいから呼んでおやりよ、わたしはあんまり故事来歴なんぞ知らないから、聞かしてもらえば学問になるよ、こっちへ呼んでおあげ」
と言いましたから、庄公はまた今法界坊の方へ向き直って、
「おい、法界坊さん、じゃあ案内をおたのみ申すことになるんだそうだから、こっちへお入り」
「これは、忝(かたじ)けのう存ずるにて候」
と言って、のこのこと今法界坊は舟の中へ入って来て、一隅にちょこなんと座を構えました。
 そうしているうちに、舟はようやく纜(ともづな)を解いて乗り出す。天気も好いし、景気もいいものですから、お角さんもいい気になって今法界坊を手許(てもと)に差招き、
「和尚さん、さあ、一つあがり。わたしゃ、こちらの方へは今日はじめてで、いっこう何も知りませんから、一杯やりながらいろいろこの土地の世間話をして下さいな。名所案内ばかりじゃありません、何でもいいから、この土地にありきたりの話をして聞かせて下さいな。さあ、遠慮なくおやり。舞子さん、あの和尚さんにお酌(しゃく)をしてあげてちょうだい」
と言って、今法界坊にお角はまず酒と肴(さかな)を振舞うと、法界坊、いたく恐悦して盃を押戴き、一口しめして、肴をつまみ、
「ああら珍しや酒は伊丹(いたみ)の上酒、肴は鮒(ふな)のあま煮、こなたなるはぎぎの味噌汁、こなたなるは瀬田のしじみ汁、まった、これなるは源五郎鮒のこつきなます、あれなるはひがいもろこの素焼の二杯酢、これなるは小香魚(こあゆ)のせごし、香魚の飴(あめ)だき、いさざの豆煮と見たはひがめか、かく取揃えし山海の珍味、百味の飲食(おんじき)、これをたらふく鼻の下、くうでんの建立(こんりゅう)に納め奉れば、やがて渋いところで政所(まんどころ)のお茶を一服いただき、お茶うけには甘いところで磨針峠(すりはりとうげ)のあん餅、多賀の糸切餅、草津の姥(うば)ヶ餅(もち)、これらをばお茶うけとしてよばれ候上は右と左の分け使い、もし食べ過ぎて腹痛みなど仕らば、鳥井本の神教丸……」
 くだらないことをのべつに喋(しゃべ)り立てながら、酒を飲み、肴を数えたてる。お角さんもそれを興あることに思い、それから、
「さあ、舞子さんたち、陽気に一つ踊って下さい」
 芸子、舞子が、やがて三味線、太鼓にとりかかると、今法界坊が、
「さらば愚僧が一差(ひとさし)舞うてごらんに供えようずるにて候」
 いちいち謡曲まがいのせりふで、がっそう頭に鉢巻をすると、いまにも浮かれて踊り足を踏み出そうとする気構え、こいつも相当に茶人だと一座も興に入りました。
 そうして舟は湖面を辷(すべ)り出して、瀬田、石山の方へと進み行くのであります。

         五十三

 こうしてお角の遊山舟が、さんざめかして湖上遥かに乗り出した時分に、あわただしくその舟着へ押しかけた一団の者がありました。
 その連中を見ると、野侍(のざむらい)のようなものもあり、安直な長脇差もあれば、三下のぶしょく渡世もあり――相撲上(すもうあが)りもあり、三ぴんもあり、いずれも血眼(ちまなこ)になってここへなだれ込んで、そうして、
「どうした、お角という阿魔はどこへうせた!」
「や、一足遅かった! あれだ、あの遊山舟で乗り出したあれがお角に違えねえ!」
「もう一足早かりせば」
「あんたはん、どないに致しやしょう、相手はお尻(いど)に帆かけて逃げやんした、どないに致しやんしょう、ちゃあ」
 彼等はとりあえず、岸に立って、遥かに乗り出して行くお角の遊山舟を見渡しながら、土佐の卜伝(ぼくでん)に置きざりを食った剣術高慢のさむらいのように、地団駄を踏んで歯噛みをする事の体(てい)が尋常ではありません。
 しかし、どうやら見たような面(かお)ぶれでもある。
 あ、なるほど、
古川の英次
下駄っかけの時次郎
下(しも)っ沢(さわ)の勘公
雪の下の粂公(くめこう)
里芋のトン勝
さっさもさの房公
相撲取、松の風
よたとん(四谷っとんびの略称)
安直兄い
木口勘兵衛尉源丁馬
 どうしてこの連中が今ここへ、こんなにまでして血眼になって駈けつけたか、その仔細を聞いてみると――
 この連中は、恨み重なる垢道庵を胆吹山へ追い込んで、このたびこそは有無の勝負を決せんと、春照高番まで取りつめてみたが、味方に多少手創(てきず)を負うたものがありとはいえ、もうこうなってみればこっちのもの――胆吹へ追い込んで、遠巻きにじりじりと攻め立てれば、道庵も早や袋の鼠――石田、小西の運命明日に窮(きわま)ったりと、一同心おごりしたために、その夜、春照高番の宿で、前祝いのバクチをやったのが運の尽きでありました。
 そこへ、不意にお手入れがあって、右の面々が一網打尽(いちもうだじん)に引上げられ、厳重なお取調べを受けた上に、人相書まで取られたり、爪印を強(し)いられたり、お陣屋へお留置(とめおき)を食った上に、ようやくのことで釈放されたという次第で、これがために、道庵征伐の戦略も一時めちゃめちゃになってしまいました。
 しかし、この不意のお手入れには――どうも指した奴がある。密告をした奴がある。味方に裏切りをした奴か、そうでなければ、道庵方の伏勢のために乗ぜられたのではないか、という疑心が増長してみると、
「そうだ、道庵の相棒にお角という食えない奴がいる、あいつが大津の方へ向けて先発していた! それを忘れていたのが我等の抜かり――道庵の尻抜けは怖るるに足らず、お角の腕は凄(すご)い。こりゃてっきりお角が指したのだ、お角の方寸で我々をその筋へ密告したのに違えあるめえ――そうだ、道庵は袋の鼠、お角こそ大伴(おおとも)の黒主(くろぬし)、あいつが万事糸をひいている」
 そこで、この一まきは、釈放されるや否や、血眼で大津方面へ飛んで返り、お角の根拠をついたが、そのお角は一足先に遊山舟であの通り、湖面遥かに浮んでしまった。そこでこちらは岸に立って足ずり――という段取りであったことがあとでわかりました。
 しかし、この連中、一度は足ずりをして残念がったけれども、やがて談合が調(ととの)うと、二はいの船を買い切って船装いをすると共に、これに分乗して、あわただしく湖中へ向けて乗り出したのは、果してお角の船を追いかけるつもりか、或いはなお身辺の危険を慮(おもんぱか)って避難するつもりか、その挙動だけを以てしては、真意のほどはわかりませんでした。

         五十四

 胆吹の上平館(かみひらやかた)の出丸では、道庵先生と、お雪ちゃんとが、たちまち打ちとけてしまいました。
 道庵は、お雪ちゃんを前にして炉辺に坐り込むと、忽(たちま)ち左の手を口のあたりへ持って行って、妙な手つきをして、とりあえず一杯やりたいのだが代物(しろもの)はないか、という意志表示をしました。
 自分の身体(からだ)から、この方の気が切れると、陸(おか)へ上ってお皿の水をこぼした河童同様になって、自滅するほかはないという説明をも附け加えると、お雪ちゃんが心得て、本館の方へ行って、不破の関守氏から一樽を頒(わか)ちもらって来て道庵に授けたものですから、そのよろこびといっては容易のものではありません。
 すぐさまそれを燗(かん)にしてもらってちびりちびり試むると、その酒の芳醇(ほうじゅん)なこと、こんなところへ来て、こんないい酒を恵まれようとは全く予想外のことでしたから、道庵の魂が頂天に飛びました。
 それから、お雪ちゃんという子のこの好意が、ばかに身にしみて嬉しくなると共に、話をすると、頭がよくて理解があり、それに知識慾もあって、相当の受けこたえができる。それに人のもてなしに愛想があって、親切を極めるものですから、道庵が重ねて嬉しくなって、この娘さんのためには、また自分の好意を傾けて、相手になってやらなければならないと考えつつ、しきりに盃と会話とを進めています。
 お雪ちゃんの方もまた、この先生が飄逸(ひょういつ)で、ざっかけで、直(ちょく)で、気が置けない人柄である上に、お医者の方にかけては、江戸でも鳴らしている大家であるというような信頼もあるし、当然その脱線も脱線とは受けとれず、その道の当代有数の大家が、自分のようなものにも調子を合わせて相手になってくれることだと有難く思って、二人は炉辺で、それからそれと話がはずみました。
 そのうちに、どうした話の風向きか、道庵の話がお雪ちゃんを前にして、性の問題に触れ出してきました。
「お雪ちゃん、お前さんも将来はその責任があるのだから、ようく聞いて置きなさいよ、わしはエロで話すわけじゃないんだ、お前さんの親切心に酬(むく)ゆるために、女にとってこれより上の大事はない、つまり男で言えば、戦場に臨むと同様なのが、それお産のことだあね。こればっかりは男にはできねえ。わしゃいったい、どうも身贔屓(みびいき)をするわけではないが、女の方が男に比べて脳味噌が少し足りねえと思うね。そりゃ女だって、多数のうちには男に勝(まさ)る豪傑――女の豪傑というも変なものだが、男のやくざ野郎よりは数十段すぐれた女もあるにはある、男だって女の腐ったよりも悪い奴がウンといるにはいる、が、平均して見てだね、女の方が少し脳味噌が劣る――と言っちゃ怒られるかね。だから女というやつは、男にたよらなければ何一つできない、女のするほどのことは男がみんなするが、男のするほどのことを女がやりきれるというわけにはいかねえ。ただ一つ、女にできて男にどうしてもできねえことが、しゃっちょこ立ちをしても男がかなわねえことが、たった一つだけある、それは何かと言えばお産をすることだ。こればっかりは女の専売で、男がたとい逆立ちをしてもできねえ。尤(もっと)も孝経には、父ヤ我ヲ産ミ、母ヤ我ヲ育ツ、とあるから、孔子の時分には男が子を産んだのかも知れねえが、今日、男が子を産んだという例は無い。だから子を産むことだけは女の専売で、この点では男が絶対的に女の前に頭が上らねえんだが、女さん、増長していい気になっちゃいけませんよ、その子を産むというたった一つの女の絶対的専売でさえ、男の助太刀(すけだち)が無けりゃできねえんだから……」
「ホ、ホ、ホ、ホ」
と、お雪ちゃんが笑いこけるのを、道庵はいよいよすまし込んで、
「まあ、それは、どっちでもいいが、お産だけは今いう通り、男子の戦陣に臨むのと同様に、女子生涯の一大事なんだ。お雪ちゃん、お前なんぞは、まだその戦陣に臨んだことはあるめえが――嫁入前にそういうことはねえのがあたりまえなんだが、今時の小娘と小袋とは油断がならねえから、或いはお雪ちゃんに於ても、もう或いは時機に於て、すでに処女を離れているかどうか、そのことはわからねえんだが……」
「先生、いやでございます、そんなことをおっしゃっては」
「は、は、は、どうも淑女の前でそういうことを言うのは、本来ならば礼儀に欠けているんだが、こっちは医者ですからな、職業的、科学的に言うんだから、遠慮なくお聞きなさいよ、処女が母となる将来のためを思って言って聞かせてあげるんだから、はにかまずに聞いてお置きなさいよ――」
 道庵は、冷静に釈明をして置いて、それからまた盃(さかずき)を挙げ、
「お産を安くしようとするには、まずともかく、身体を冷えないようにすることだね。身体の冷える、冷えないにも、それぞれ体質があり、拠(よ)るところもあるのだが、人間の身体はどうしても冷えてはいけねえ、清盛様みたいに火水の病も困るが、人間が冷えてつめたくなると、やがてお陀仏になる。そこで、身体の冷えを救って、よき子を産む方法がある、膝のうしろのところへ、三つお灸(きゅう)を据えるんだね――その灸点の場所は、ちょっと秘伝なんだ、お望みなら据えてあげましょう。幸いここは胆吹山で、艾(もぐさ)に事は欠かない、お望みなら、それをひとつお雪ちゃん、あなたにこの場で据えて進ぜましょう――利(き)きますぜ、道庵が師匠からの直伝(じきでん)の秘法なんですから、効き目はてきめんでげす。現に、これまでどうしても子供を欲しがって与えられなかった母体に、道庵が秘法を授けてから、ひょいひょいと三人も五人も産み出しました、女ほど貴きものは世にもなし、釈迦も、達磨も、ひょいひょいと産むと言いましてな」
「ホ、ホ、ホ、ホ」
 お雪ちゃんがまた笑うと、道庵はいっそう真顔になって、
「その灸点は、もと水戸から出たんだ、水戸の光圀公(みつくにこう)が発明だなんていうが、そのことはどうだか、とにかく、てきめん利くよ、現金効能が顕(あら)われる。そいつをひとつ今日、道庵がお雪ちゃんのために施して進ぜましょう、そうして、釈迦でも、孔子でも、どしどし産み並べてもらいてえ」
「いけません、そういうことをおっしゃるのは、処女の神聖を侮辱するものでございますわ」
「違(ちげ)えねえ、こいつは一本参った」
 道庵は仰山に右の掌で額を叩いてから、
「将来のために言って聞かせてあげることが、現在に混線しちゃったんだ、これというもみんなためを思って言うことだから、悪くとらずに聞いておくんなさいよ、エロで言うわけじゃねえんだから……」
と、道庵はしきりに言いわけをしてから、
「それから、良い子を上手に産もうとするには、右の灸点を受けてから、身体の持扱いだね、身体をゆったりとして置くことだね、よく坊さんがそれ、禅というのをするだろう、あれだね、あの形で正しくゆるやかに――といっても結跏(けっか)といって、足をあんなに組むには及ばねえ。そうしてるんだね……」
「先生、わたくしは、子供を産むということに就いて、日頃一つ考えさせられていることがあるのですけれど、きいて下さいますか」
 お雪ちゃん、なぜかこんどは自分から積極的に突込んで、道庵先生に向って、日頃の疑問を晴らそうと試むる態度に出たものですから、道庵も乗り気になって、
「うむ、何でも質問してごらん、聞くは末代の恥、聞かぬは一時(いっとき)の恥ということもある、何でも、先輩に向って遠慮なく物を質問してみるようでないと、学問は進歩しねえ」
 そこで、まじめに質問をしかけながら、お雪ちゃんが少しおかしくなりました。というのは、いま道庵が、聞くは末代の恥、聞かぬは一時の恥と言ったのは、たしかに比較が顛倒(てんとう)している。正しくは、聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥――と言わねばならないところを、顛倒してしまっているのだから、せっかくの格言俚諺(かくげんりげん)が全然意味を逆転せしめてしまっている。しかも、道庵は下流文士がわざとトンチンカンを言って擽(くすぐ)るのと違って、自分がそれに気がつかないで、頭は正当の意味で、口だけが逆転しているのだから罪はない――まだ初対面早々のことではあり、ことに相手が、自分で気がつかないでまじめくさっているものですから、吹き出してしまうのも失礼の至りと、お雪ちゃんはやっと我慢をして我にかえり、
「世間で子供が生れますと、ただ目出度い目出度いとお祝いをいたしますけれども、本当にそれが母となる人のために、また子供として生れた者のために、目出度いことなんでしょうか。親は子を産むために疲れ、子は産み落されて、世の中に翻弄(ほんろう)されながら生きて行かなければならない、そういう場合に、産むということも、生れるということも、そんなに目出度いことなんでしょうか。それから、人がたくさんに子を産んで、この世に人間が殖えて行くことが、果して世間のためにも、人間のためにも、幸福なことなんでしょうか。世間には、産まない方が慈悲であったり、生れない方が幸いであったりする人はないでしょうか。人間というものは、どうしても、結婚して、子を産まなければならないはずのものなんでしょうか」
「そこだ!」
と道庵が、また何かに感奮して、盃を下に置くと共に、掌で丁と額を叩きました。

         五十五

「そこだ!」
と道庵先生が、何かに昂奮して盃を下に置くと共に、掌で丁と額を叩いたが、やがて、仔細らしく物おだやかに、お雪ちゃんに向って語り出しましたのは、
「わしも御承知の通り、医者ですから、人助けが商売みたようなわけなんでしょう、人の見放した難病を癒(いや)したり、死んだ者までも生き返らせたりするのが商売のようなもんだが、どうかすると、つくづく考えることがあるね、こんな野郎や、こんな阿魔ッ子を、生かして置いたって仕方がねえじゃねえか、こんな奴は一思いに眠らしちまった方が功徳じゃねえかと、そう思うことが無きにしもあらずなんでげす、正直のところ……」
 そうすると、お雪ちゃんが、
「先生、お医者さんが、そんな情けない心になっちゃ困るじゃありませんか。ですけれども先生、口と心とは別なんでしょう」
「なあに、口と心とは別じゃねえんだが、心と手とが別になるんだね――心のうちじゃあ正直のところ、こんな奴は眠らしちまった方が、御当人も助かるし、世の中にも一匹の穀(ごく)つぶしが存在しなくなるという効能になるんだが、どうも、その場に至ってみると手が承知しねえんでね、この手が……」
 道庵は、その変にひねくれた長っぽそい手をつき出して、お雪ちゃんに見せました。
「この手が、どうも、ついどうも、未練たっぷりでね、殺そうと思っちゃ、つい生かしちまうんでね。今日まで、ずいぶんよけいな殺生(せっしょう)、じゃねえ、よけいな人を生かしてしまったね。ロクでもねえ奴は殺しちまえば、お前(めえ)、今も言う通り、それだけこの世の穀つぶしが減るわけなんだね。まあ、一人の野郎が、仮りに一日に五合ずつの米を食うとしてからが、月に一斗五升、年にならすと一石八斗、まあざっと四俵半、数が悪いから一人五俵として積ってみなせえ、千人殺せば年に五千俵の米が浮く。五千俵の米がお前、価(ね)に踏んでいくらになると思う、近年のように米価の変動が烈しくっちゃあ、勘定をしても間(ま)に合わねえが、かりに一俵一両としても五千両、二両とすれば一万両という勘定になる。それをお前、こちとらのような貧乏人となると小買いだから、グッと割が高くつくんだぜ、ことにこれから拙者共が出向いて行こうという京阪地方なんぞと来ては、物価が目玉の飛び出すほど高くなっているという知らせを聞いているから、拙者も実は青くなっているところなんだよ。なんでも近ごろは京阪での白米の一升買いが一貫二十四文ということだから、貧乏人は大抵こたえらあな。それに準じてお前、人間は米ばかり食って生きていられるというわけのものじゃあねえ、お副食物(かず)も食わなけりゃならず――この方も一杯やらなけりゃあならず」
と言って、道庵が膝元に置いた盃を取り上げようとしたが、手元が狂って、盃が転がり出してしまって、ちょっと当りがつかなかったものですから、とりあえず、手真似(てまね)で一ぱいやるしぐさをして見せたのが、真に迫りました。
「それからお湯に入らなけりゃあならず、年に二度や三度はお仕着(しきせ)もやらなけりゃならず、それからまた時たまは、芝居、活動の一ぺんも見せてやらざあならず(註、ここに道庵が活動といったのは、例の脱線であろうと思われる、その当時はまだ世界のいずれにも活動写真というものの発明は無かったのである)ちょっと髪を結うにしても、八十八文取られるということだし、湯銭が二十文の、糠代(ぬかだい)が十二文と聞いちゃ、これから京大阪へ乗込もうという道庵も、たいてい心胆が寒くなるわな。食い雑用をさし引いて、人間一匹を生かして置く費(つい)えというものは生やさしいものじゃねえんだ。よく世間の奴等あ、食えねえ食えねえと言って、貧乏をすると一から十まで米のせいにして、高いの安いのと文句を言うが、米の野郎こそいい面(つら)の皮さ、何も米ばかりが食い物じゃねえんだ、ばかにするな!」
 ここでまた道庵の脱線ぶりが、米友かぶれがしてきました。
「ホ、ホ、ホ、ホ」
とお雪ちゃんがまた笑って、それにつぎ足して言いますには、
「それは、先生、費えの方ばかり考えますと、そうかも知れませんが、その人がみんな遊んで食べているわけじゃありますまい、それぞれ稼(かせ)ぎをして、食べて行くんですから、そう憎んじゃかわいそうですね」
「ところが、なかなか、稼ぎをして食って行くなんていう筋のいいのばかりはねえんでね、食っちゃあ遊んでいるのはまだいいがね、どうかして人の稼ぎためを食いつぶして、自分は楽をして生きて行きてえという奴がうんといるんだから、そんなのは、いいかげんに眠らしちまった方がいいんだが、さて、今いう通り実際となると、なかなか、この手が言うことを聞かねえんでな、ついつい、無慈悲な、人生(ひとい)かしをしちまうんだ、人殺しも感心しねえが、人生かしという商売も、これでなかなか辛(つら)いよ」
「ですけれど、先生、そう一概に悪い人ばかりあるわけではござんすまい、こういう人を助けて置けば、国のためにもなり、人のためにもなる、こういう方はぜひ助けて置かなければならないと、お考えになることもあるでございましょう」
「無(ね)えね――」
 道庵先生が言下に首を横に振ってしまったものですから、お雪ちゃんも、あんまり膠(にべ)のないのに少々狼狽(ろうばい)気味でした。そこを道庵が一杯ひっかけながら、
「こいつは生かして置いてやりてえ、こいつは生かして置かなけりゃならねえ、なんぞと惚(ほ)れこんだ奴は、今までに一人もお目にかからなかったのさ、生かしてみて、まあ、どうやら我慢ができるという奴は一人や半分はあったね――今いう、お前(めえ)、あの米友公なんぞも、その中の一人に数えていいんだが、おりゃまだ、はなから、こいつを生かして置いて、可愛がってやろうなんていう奴には一人も出くわさねえのさ。脈を見たり、薬を盛ったりしてやる時に、腹ん中じゃ、こう思ってんだね、手前(てめえ)たちゃ、道庵ほどの者にこうして脈を取らせたり、安くねえ薬を調合させたり、お手数をかけて、そうして生きていてもらわなけりゃならねえほどの代物(しろもの)じゃねえんだが、道庵もそれ、商売となってみれば、こうしてやらなけりゃ食って行けねえ、今いう通り、食って行くだけじゃ生き甲斐がねえ、食っての上に生き甲斐をもあらせようとするには、それ、一杯も飲まなくっちゃあやりきれたものでねえ、そこで、商売上やむことを得ずしてお前たちを助けようてんだ、あんまり大面(おおづら)をするなよ、と内心こう思って脈を取ったり、薬を盛ったりしているんですよ、正直のところ」
「では先生、禅学のお方がよくおっしゃる、仏心鬼手なんておっしゃいますけれど、先生のは、それと違って鬼心仏手なんですね」
「違えねえ――」
と道庵がまた、額を丁と打ちました。

         五十六

「違えねえ、愚老なんぞは、その鬼心仏手というやつで、心にもねえ人生かしをして来てるんだが、日蓮上人も言ってらあな、身は人身に似て実は畜身なり――」
 御遺文集のどこから、そんな文句を引っぱり出したのか知れないが、ここで道庵先生が、日蓮上人を引合いに出して来まして、
「だがな、人生かしばっかりして来ているというわけじゃねえんだ、ずいぶん人殺しもやってらあな――およそこの道庵の手にかかって、今日までに命を取られた奴が……」
 ここで道庵十八番の啖呵(たんか)を切り出しました。知っている者はまたかと思うでしょうが、それを知らないお雪ちゃんは、初耳のつもりで、ついついそのたんかを聞かされてしまわなければなりません。
「およそこの道庵の手にかかっては、まず助かりっこは無(ね)え、今日までに、ざっと積っても、道庵の手にかかって命を落した奴が二千人は動かねえところだ、当時、この物騒な時代に、人を斬ることにかけては武蔵の国に近藤勇、薩州に中村半次郎、肥後の熊本に川上彦斎(げんさい)、土佐の高知に岡田以蔵――ここらあたりは名だたる腕っこきだが、道庵に向っちゃあ甘いものさ――およそ、道庵の匙(さじ)にかかって助かる奴は一人も無え、たまに助かる奴なんざあ、まぐれ当りなんだよ」
「ホ、ホ、ホ、ホ」
 お雪ちゃんだけは興を催して、道庵先生のために笑ってやりました。
 右のような自慢は、道庵としては、もう犬も食わない自慢なんですが、お雪ちゃんにとっては新しいのです。そこで、お雪ちゃんの心持を喜ばせたと見ると忽(たちま)ち、道庵が附けのぼせがしてしまいました。ここで、また一つ受けさせてやろうという気になったのがいけません――そうして物々しく、
「ね、お雪ちゃん、本当でしょう、道庵の言うところは欺かざるものがあるでしょう。でね、こういう話もあるんだからひとつ聞いて置いていただきてえ、自慢じゃあねえが、道庵そのものの生地(きじ)を見ていただくためには、恥を話さなけりゃあわからねえ――道庵のお得意先に、ちょうどまあ、年かっこうも、お雪ちゃん、あなたぐらいの、そうして、あなたと同じような愛想のある別嬪(べっぴん)さんなんだがね……」
「わたし、別嬪さんなんかではありゃしませんわ」
「どうしてどうして、なかなか隅には置けねえね。ところがそのお雪ちゃん同様の、道庵お得意先の別嬪さんが、ふと病にかかって、ぜひとも道庵先生に診(み)ていただきてえ――そう言われると、こっちも男の意地でいやとは言えねえ、相手が別嬪だからって、後へ引くようなことじゃ年甲斐(としげえ)もねえ――」
と言って、一力(ひとりき)み道庵が力みますと、お雪ちゃんがまた、
「ホ、ホ、ホ、ホ」
と笑いました。相手が別嬪だから、後へ引くようでは年甲斐もない――というのは、やっぱり理窟に合わないところがあるのです。それをお雪ちゃんが少し笑ったのでしょう。そういうふうにお雪ちゃんの調子がいいものですから、道庵もいよいよ附け上って、
「そこで、一通りそのお嬢さんの脈を診(み)て上げて帰りに、先生一杯なんて、よけいなことをその家の両親共がすすめるもんだから、ついいい気持になっちまって、それから牛込の改代町まで来ると、出逢頭に子供を一人、蹴飛ばしちまったんだね。ところが、その子供の親父(おやじ)が怒ること、怒ること、むきになって怒るから、こっちも相手が悪いと思って、平あやまりにあやまったが、先方がどうしてもきかねえ。わしも困っていると、いいあんばいに仲裁が出ました。その仲裁人が、子供の親父をなだめて言うことには、お父さん、足で蹴られたぐらいは辛抱しな、この人の手にかかってみたがよい、生きた者は一人もない――だってさ。そこでおやじも、おぞけをふるって逃げて行った姿がおかしかったよ」
「ホ、ホ、ホ、ホ」
 お雪ちゃんがまた笑いこけました。しかし、これもお雪ちゃんとしては、笑いこけるほどの新し味があったかも知れないが、実は古いものなので、安永版の初登りあたりにあるのを、道庵が、単にお雪ちゃんを一時(いっとき)喜ばしたいがために焼き直した形跡がありありです。本来、こういうつまらない技巧は、道庵先生のために取らないところなんだが、お雪ちゃんの御機嫌に供えるために、ちょっと取寄せてみたに過ぎないでしょう。
 素直なお雪ちゃんは、そういう焼直しや、お座なりをあてがわれても、道庵のために快く笑ってやりましたが、
「先生、あなたは御自分の棚卸しばかりしていらっしゃるけれども、本当の値うちは米友さんが保証しているから間違いっこはありません、それに、わたしが今こうして、こんなに元気にお話を伺っていられるのも、先生のお力ですから、これが活(い)きた証拠じゃありませんか。わたしは、先生のお手にかかって殺されやしません、現在こんなに元気に生き返らせていただきました、ですから、何をおっしゃっても、先生を御信用申し上げずにはおられません――そこで先生、わたくしは冗談(じょうだん)はさて置いて、真剣に、先生にお説を伺ってみたいと思うのでございます。それはつまり、あの最初に戻りまして、世間では、子供が生れますと、ただ目出度い目出度いとお祝いをいたしますけれども、本当にそれが母となる人のために、また子として生れた当人のために、目出度いことなんでございましょうか。なお押しつめて申しますと……」

         五十七

「生れない方が幸福であったり、産まないがかえってお慈悲じゃないかとさえ、わたしは思われてならないことがあるのですが……」
「なるほど」
「産んで苦労をさせるくらいなら、苦労をさせないうちに――いいえ、この世に産み落さないことにしたのが、結局いちばん幸福じゃないかと思われてならないこともあるのでございます」
「なるほど、そりゃあ――そりゃ話が元へ戻るが、元へ戻るほど根が太くなる!」
と道庵が言いました。元へ戻るほど根が太くなるという言葉だけは論理に合っているのですが、道庵が何のために突然、右様な論理を持ち出したのか、そのことははっきりしません。ただ、単純に樹木にしてからが、根元へ来るほど太くなるという現前の事実が平明に突発してみたのだか、或いはお雪ちゃんの提出した根本問題が、ようやく重大なるものに触れて行くことを怖れたのだか、その辺は相変らずハッキリしないものであるが、多少の狼狽気味は隠せないものがあるようです。実は前々お雪ちゃんから左様な、性と生との根本問題をかつぎ出されていちずに共鳴感奮してみたものの、この問題をあんまり深く追究されると、自分の焼刃が剥げることの怖れから、冗談に逃げていたのを、また引戻されて押据えられる苦しさに、道庵がうめき出したようにも聞きなされたが、道庵先生ほどのものが、たかが小娘のお雪ちゃんにあって、その鋭鋒を避けなければならんというような、卑怯未練な振舞はあるべきはずはないのです――果して、陣形を立て直して道庵先生が、しかつめらしく構え出してお雪ちゃんに答えました。
「そりゃ、人間、生れて来た方がいいのか、生れねえ方が勝ちか、そのことはわからねえね。そのことはわからねえけれど、生れ出て、こうしてピンピンしている以上、どうも仕方が無えじゃねえか――ここでまあ、仮りにわしが、お雪ちゃんを憎いと言ったところで、殺すわけにゃいかず、可愛ゆいと言うたところで、茹(ゆ)でて食うわけにゃいかず」
 また、おかしくなりました。可愛ゆいからといって、茹でて食わねばならぬ論理と実際とはないのです。要するに出鱈目(でたらめ)です。
「先生、そのことじゃありません、わたしたちがこうして生きているのを、どうのこうのというわけじゃありません、これから生きようとするもの、これから生かそうとするものに就いて先生の御意見が伺(うかが)いたいのでございます」
「なに、これから生きようとするもの、これから生かそうとするもの、そんなものがこの世にあるか知ら、この一枚看板の一張羅(いっちょうら)、生かそうと殺そうと、質屋の番頭の腕次第……」
 また妙な緞帳臭(どんちょうくさ)いセリフがはじまったが、お雪ちゃんは存外それに引きずられませんでした。
「つまり、なんでございますね、これからこの世の光を見せようという親の立場になり、これからこの世の苦労を味わわされようとする子というものの立場になってみてでございますね」
「ふん、なるほど、してみるてえと、母の胎内にある子のために、また、その胎内に子を持つ母のためにってなことになるのかね」
「まあ、そうでございますね、最初に申し上げたでしょう、子を産むことは必ず目出たいこととされていますけれども――そういう場合に、本当の意味では、生れるが目出たいか、産むのが目出たくないか――というような理窟になりますか知ら」
「じゃ、かりに目出たくないとするとどうだね」
「なら、いっそ、親として産まないのが善いことであり、子として生れないのが善いことじゃないでしょうか」
「はてな」
 道庵は仔細らしく小首を傾(かし)げて、
「はて、お雪ちゃん、お前さんの質問が、深刻なようで上辷(うわすべ)りがし、上辷りがしているようで存外深刻でもあり、ちょっと、迷わされるがね、早い話が、結局こういうことになるんじゃねえか、どうも、そうなりそうだよ、つまり、お雪ちゃんの今の質問は論じつめると、子供が母の胎内にあるうちに、卸しちまった方が、子供のためにも、母のためにも、幸福じゃないか――こういって質問されているようなことになるんじゃねえかね。わしゃ、どうも頭が悪い」
と言って道庵は、そのくわい頭を軽く二三べん振って見せました。
「いいえ、そういうわけじゃないのよ、先生」
「どういうわけなんだえ」
「母と子との幸福のためには、産むということが犠牲になってもかまわないじゃないですか、と、わたしは考えていたものですから」
「はて、母と子との幸福のためには……産むということが犠牲――そうだな、やっぱり、露骨に言ってしまってみると、子供を卸しちゃった方が安心幸福ということになるんじゃねえか、と質問されているような気がするんだが、さて、お雪ちゃん」
 さて、お雪ちゃん、と、ここで道庵がばかに大きな声をしたものですから、お雪ちゃんが思わず真赤になりました。
「さて、お雪ちゃん、お前さんの質問は、いやに廻りくどく、学者風になってつめかけて来るが、詮(せん)ずるところ、母の胎内から子を卸してしまうか、もちと露骨に医者の方で言ってしまうと、堕胎をしてもいいか、悪いか――なおいっそう現実的に言うと、間(ま)びいてもさしつかえねえかどうか、という質問のように、拙者には商売柄、そう受取れるが――そうなると外科だね」
 道庵はお手のものと言わぬばかりに、けろりと取澄まして、べらべらと次の如く語り出しました。

         五十八

「そういう問題は、今更、お雪ちゃんから提出されるまでもなく、世間では、もう充分に、研究も翫味(がんみ)もしつくされていて、今は不言実行の時代に入っているんだよ――まあ早く言えば、いろいろの意味で子を産みたくないという奴が、世間にはうんといるのさ。そりゃ、子を産みたくって産みたくって、神仏まで祈り立てる奴もあれば、子を産みたくなくって、生れようとする奴を産ませまいとして、また産み並べた奴をもてあましてるのが、天下にうんとあるんだ――今更、お雪ちゃんのように、そんなに事新しく、婉曲(えんきょく)に、上品に持ち出すのが古いくらいなもんだが、この道ばかりは、古いが古いにならず、新しいが新しいにならず、やっぱり、人間生きとし生ける間は繰返されるんだ。だが、お雪ちゃんのように、そう学問的に婉曲に持ち出す間は、まだ花で、不言実行となると、みもふたもねえのさ」
「不言実行とは、どういうことなんでございますか」
「言わずして実地に行う、こいつがいちばん始末が悪いね――老子曰(いわ)く、言う者は知らず、知る者は言わずってね――こういう貧乏人にひっかかると、全く始末が悪い。今の問題で言うと、その不言実行、お産の方で、今の不言実行てやつが……」
「それが、どうなんでございます」
「言わずして行うというやつが、いちばん始末が悪いさ。宣伝屋や見栄坊なら、直ぐにそれと当りがつくが、不言実行というやつになると、どこでどうして、何をしているか、一向わからねえ、お産の方で言ってみるとだね、この不言実行てやつは……」
「それが、どうなんでございますか」
「つまり、闇から闇というやつでね――実行方法としては、今のその堕胎と、間(ま)びくというやつなんだ。お雪ちゃんが言論でもって、只今しきりに拙者に挑(いど)みかけている問題が、隠れて天下に堂々と実行されている、これがつまり、堕胎と、間びきということなんだ」
「どういうふうにして、その堕胎と間びきとやらが実行されていますか、それをお伺いすることはできませんでしょうか」
「おや」
「先生、そういうことを伺うのは失礼でございましょうか」
「失礼なこたあねえ、淑女の前でそういうことを口走る、こっちの方が失礼かも知れねえが、研究の心で、そういうことを先輩にたずねるのは失礼という話にはならねえ。まして医者に向って、そういうことをたずねるのは、餅屋へ餅を買いに行くのと同様、極めて自然にして穏当なことなんだから、遠慮なくお尋ねなさるがよい」
「ですけれど、先生、たった今、おや! とおっしゃって、ちょっと怖い目をなさったじゃありませんか」
「は、は、は、あれは、ちょっと眼を□(みは)ったというだけなんだ、お雪ちゃんという子が、存外、真剣に、その不言実行の実行方法まで立入ってたずねて来たから、それにちょっと、面くらっただけのものなんだ――なあに研究的に聞いて置く分にゃ、何でもないさ、つまり性の教育なんだからね。ところで……」
「ええ、わたしも、そのつもりで、大胆におたずねしているのですから、あつかましい奴とおさげすみなさらずに教えていただきとうございます。世間では、今おっしゃる通り、闇から闇ということを罪悪のようにも教えていますし――また、わたしたちの疑問からして見ますと、その闇から闇というのが、いっそ辛(つら)い日の目を見せて生かすよりは、大きなお慈悲ではないかという問題に出会っているのでございますから、その実行――つまり、先生のおっしゃる不言実行だって、そういちずに罪悪呼ばわりをするのはどうかと思われるじゃありますまいか」
「なるほど――理窟はとにかくとして、その子を卸すこと、つまり堕胎なんだね、その堕胎も、間びきも、滔々(とうとう)として不言実行されていることは事実なんで……また考えようによると、こうしてまあ徳川の天下が三百年も、ともかく無事で来ているというのも、見ようによれば、その不言実行が……」

         五十九

 そこで、道庵先生は自分の体験からして説き出しました、
「わしは、今でもこういうロクでなしだから、そもそもこの世に生れ落ちる最初から、このロクでなしの運命を持って生れて来たもので、わしの母親というやつが道庵を産むくらいのやつだから、どぶろくを飲むと夢みて孕(はら)んだわけでもあるまいが、こいつの生れるのを厄介がって、なんでもあとで懺悔話に聞くと、こんど生れやがったら、ひねってくれると言って待構えているところへ産みつけられたのがこの道庵だ。母親が、つまりおっかアが、この野郎と言って自分の胎内から出たところを自分の手でとっつかまえて、もろにひねり殺そうとしたんだが、そこは、道庵を子に持つくらいの母親のことだから、やっぱり、今いった鬼心仏手というやつで、心ではこの餓鬼をおっぴねくってくれようと待構えていたんだが、手が言うことを聞かねえで、とうとう、あったらことに、道庵の一命を助けてこの世に送り出したばっかりに、天下の不祥を引起して、今日この通り人生(ひとい)かしを稼(かせ)がせるようになったのでげす。つまり道庵のおっかアが、このロクでなしを間びきそこねてこの世に送り出したわけなんだが、この間びくというやつに、目口を抑えるやつもあれば、灰を持って来て口の中へ頬ばらせるやつもある、鶏をつぶすように手っ取り早く、首根っ子をおっぴねくってしまうやつもある。道庵なんぞは、その手っ取り早いやつで、すんでのことにやらかされようとしたのを助かって、今日この通りの太平楽という廻り合わせなんだ、何が幸いになるか知れたもんじゃあねえ」
 こういうことを、聞かれもしないのにべらべらと喋(しゃべ)って、曝(さら)さないでもいいおふくろと自分の恥を曝してしまったのも、酒のせいでもあり、相手が相手だから、無難だとも見たからでもあると思われます。
 本来、道庵先生、道庵先生で通っているが、未(いま)だに誰も、その出所来歴を知った者はなく、自分も江戸ッ子だと言って啖呵(たんか)は切るけれど、いったい江戸のどこで生れたんだか、その本姓も、本名も、年齢も、知った者はない。大菩薩峠発表以来三十年にもなんなんとするけれど、未だ曾(かつ)て、道庵先生の身寄りだと言って、訪ねて来た人も一人も無いでしょう。
 それほど、出所来歴の不明な道庵先生が、このままにして置けば、出所来歴の不明そのものが、やがて神秘的に衣をかけられて、勿体(もったい)もつけば箔(はく)も附くべきものを、よしないところで、言わでものことに口を辷(すべ)らせ、曝さでもの恥を曝すことになったのも浅ましい次第ですが、しかし、この告白もかなり割引をして聞かないと、前の落し話同様、思わぬところで種がばれ、底が割れないという限りはありません。
 お雪ちゃんも、もう数刻の談話で、その辺の呼吸が少し呑込めたと見え、さして人見知りをしないようになりました。
 その辺で、また道庵先生が一転して、堕胎や間(ま)びきの悪い風儀を罵(ののし)りながら、その口の下から、徳川幕府がこうして三百年も日本の国を鎖(とざ)していながら、人間がこの国に溢(あふ)れ返りもせず、人口過剰のために、乱民が出来たり、食糧不足が生じたりすることが、部分部分には多少なかったとは言えないけれども、大体に於ては、無事に三百年を経過して来たというものは、蔭にこの堕胎や、間びくことの不言実行が行われていて、そうして、おのずから人口調節になったのだという人の説と、これもまた一理あって、人間は鼠をつかまえて、鼠算だのなんのと愚弄(ぐろう)嘲笑するけれども、人間それ自身の殖え方が鼠には負けないこと、殖えるままに殖やし、生れるままに産ませて置けば、三百年どころではない、三十年、五十年で、二倍にも三倍にもなって、忽(たちま)ちこの島国は人間で蒸れ返ってしまう――そこで徳川三百年の間、たいして人口に増減がなく調節されて来たのは、この闇から闇の不言実行が、到るところに行われていた結果だという説と、それから、今まではそれでよかったが、これから開国ということになってみると、日本人も、どしどし外国へ行かなけりゃあならないのだから、人間をうんと産み殖やせということになるだろう、そうなると、これからの時勢は、右の不言実行の法度(はっと)が厳しくなる!
 というようなことまで、発展だか、脱線だか知らないけれども、道庵がお雪ちゃんのために語って聞かせました。
 しかし、お雪ちゃんは、どうもそういう政策問題には触れて行きたがらないで、ややともすれば、元へ元へと話を引戻したがっている気色(けしき)は明らかです。
「先生のおっしゃるところを伺っておりますと、子をおろすとか、間びくとかいったような行いが、たいそう悪いことのようにも聞えますし、また、そうでもないことのようにも聞えますが、いったい、どちらなんですか」
「お雪ちゃん、お前さん、またなんで、それが善いことか悪いことか、そんなに気にかけなさるんだい――どっちだって、お雪ちゃんなんかの知ったことじゃない」
「でも、先生は、そういうことを心得て置くがいいと教えて、ここまで、わたしを教え導いて下さったのじゃありませんか」
「心得て置くがいいったって、お前、程度というものがあらあな、この辺でいいよ、この辺で打切っちまおうよ、面倒臭いから」
「いけません、先生、すでにお話し下さらないなら格別、もう、ここまでお話し下さって、ここでやめてしまっては、本当の教育にはなりませんね、かえって、人に煮えきらない疑問を持たせて毒になりますから、わたしは承知いたしませんよ、わたしが承知しましても、わたしの研究心が満足しませんから」
「こいつはむつかしいことになった、お雪ちゃんの逆襲だ、こいつはたまらねえ」
「わたしは、心ゆくばかり伺ってしまわなければ満足しない病があるんでございます、こんな機会に、またとない先生から伺って置かなければ、生涯の大事な学問をしそこなってしまいます」
「驚いたね、こうまで逆にとっちめられようとは思わなかった、こうなると、道庵も、もう後ろは見せられねえ、何でも聞きな、あけすけに――矢でも鉄砲でも持って来い」
 急に力(りき)み出して、啖呵(たんか)を切ったものですから、お雪ちゃんがまた笑い出して、それでもこの機を外さないように、抜け目なく問題を持ちかけてしまいました――
「では伺いますが、先生、お江戸には中条(ちゅうじょう)ってお医者があるそうじゃございませんか」
「なにチュウジョウ――そんな医者は知らねえ、そりゃたくさんの藪(やぶ)の中には、そんな筍(たけのこ)もあるかも知れねえが、いちいち姓名は覚えちゃいられねえ。チュウジョウ――おいらの近づきにゃ、そんな……待ちな、ああそうか、チュウジョウじゃねえ、ナカジョウだろう、中条と書いてナカジョウと読んでもれえてえ、あれだろう、字は同じなんだが」
「そんならナカジョウですか、あれは何をするお医者なんでございますか」
「驚いたね――中条というお医者は何をするお医者さんだと、年頃の娘さんから赤い面(かお)もしないで……反問されようとは予期していなかった」
と道庵は、眼をギョロギョロさせて、気味の悪いほど、しげしげとお雪ちゃんの面をながめましたから、その時に、はじめてお雪ちゃんが少々恥かしい気になりました。
「お雪ちゃん」
 道庵はとぼけたような、とぼけないような面をして、とろりと――お雪ちゃんの面をながめながら、
「お雪ちゃん――お前さんは」
「先生、そんなに、わたしの面ばっかりごらんになってはきまりが悪うございます」
「いいんや、こっちがかえって面負けなんだ。だが、お雪ちゃん、しっかりしなくちゃいけねえぜ」
「何をでございます、先生」
「何をったって、お前さん、見かけによらねえ白無垢鉄火(しろむくてっか)だ」
「何でございますか、それは」
「お前は、今まで、鎌をかけかけ、この道庵から絞り出そうとたくむ敵は本能寺にあることがよくわかった、全く小娘と小袋は油断ができねえ――」
「いいえ、なにもわたしは、たくんで先生から物事を承ろうとも致しません」
「致さないことがあるものか、お雪ちゃん、お前は、さいぜんから、この酔っぱらいを、舌の先で遠廻しに操(あやつ)って、この道庵の慈姑頭(くわいあたま)から絞り出そうという知恵は、つまり子をおろす方法と、それから子種を流すにいい薬でもあったら、それをたぐり出そうとこういう策略なんだ、わかった、全く油断ができねえ、お雪ちゃん、お前という女は雪のように白い女だか、もう泥のように真黒くなっているんだか、そこんところを、これから拙者が見届けて、それからの挨拶だ、人間というやつは、うっかり信用すると一杯食わせられる」
「まあ、ひどい――先生は何というヒドイ邪推をなさるお方でしょう。御自分で、わたしを教育して下さるとおっしゃりながら、そうして聞くは一時(いっとき)の恥、聞かぬは末代の恥だから、何でも先輩に向って、先輩を困らせるほど質問をしなければ、学問は進歩しないなんぞとおっしゃりながら、わたしが順々に質問を進めて参りますと、もう、そんな乱暴なことをおっしゃる――」
「うむ――わからねえ、わからねえ、お雪ちゃんという子もわからねえ子だ、こっちが降参したくなっちゃった、ムニャ、ムニャ、ムニャ」
 道庵は早蕨(さわらび)のような手つきをして、盃を高くさし上げた姿を見ると、身ぶり、こわ色でごまかそうとするもののようにも見えるので、
「先生は、卑怯なんでございますね、もし、その上わたしが、では子を堕(おろ)す仕方はどう、またそのいい薬があったら教えて頂戴と、本当に切り出したらどうなさいます。それから、間(ま)びくというのは、どんなことか、その仕方や実例なんぞを挙げて教えて下さいと伺ったら、どうなさいます。ごまかしたっていけません、わたしはこれでもすべて物事に徹底しないと、やめられない学問の癖があるのでございますから、途中でおやめになっては罪です、わたしが許しません、先生らしくもない」
 お雪ちゃんにこう浴びせかけられると、道庵がまたムキになって力(りき)み出し、
「何だと。生意気なことを言いなさんな。こっちが降参したというのは、相手が処女だと見たから、処女性を尊重する意味に於て、しばし旗を巻いただけのものなんだ、それを逆襲して来るなんて、見かけによらねえ図々しい奴だ。それならば、こっちも天下の道庵だ、胆吹山の根っこで、乳臭い娘に、とっちめられて音を上げてしまったと言われちゃあ、末代までの名にかからあ。さあ、こうなれば女であろうと容赦はしねえ、矢でも鉄砲でも持って来な、月(つき)やくを流す薬が幾通りあって、子を堕(おろ)す手段が何箇条あるか、子を産んで間びく方法が幾通りあって、どういうふうに、どういう階級で行われてるか、洗いざらいみんな話してやる、さあ持って来な、矢でも鉄砲でも持って来な。だが、只じゃ答えねえぜ、こう見えても、こっちも商売だからな、只で秘伝を打明けるということは商売冥利(みょうり)の上からできねえ――代を払いな、代を払いなよ、十八文じゃいけねえよ、その代価というのは、まずお前(めえ)、こっちの質問に答えることだよ。いいかい、お前がたずねるほどのことを、これから道庵が一切残らず答えて上げることの代りに、お前がまず、道庵が訊問するほどのことを、まず一ぺん答えてからでなけりゃあ、術譲りをするわけにいかねえよ。その人にあらず、その器(うつわ)にあらざるものに、大法を伝えるというわけにゃいかねえが、どうだ」
「ええ、よろしうございますとも、何でも試験をしていただきましょう、先生のお出し下さる試験問題に及第するか、しないか、そのことは別個と致しまして、知っている限りの御返事だけは、ちっとも御辞退なしに申し上げてしまいますわ」
「よし来た、じゃあ、聞くがな、お雪ちゃん、お前は孕(はら)んだことがあるかい、ないかい」
「えッ」
 この剥(む)き出しな試験問題には、充分覚悟をきめていたお雪ちゃんが、慄(ふる)えあがって、二の句がつげませんでした。そうして面(かお)の色がみるみる変り、唇の色までが変って、わななかされている体(てい)は、見るも気の毒なものでした。

         六十

 これより先、今宵のこの二人の水入らずの会話と討論会が酣(たけな)わなる時分から、この館(やかた)の例の松の大木の根方に彳(たたず)んで、ひそかにそれを立聞きしていた者がありました。
 それは最初から立聞きに来た目的ではなく、ここを訪れようとして偶然、内では水入らずの会話と討論とが酣わであることに気がつくと、つい無遠慮にもおとない兼ね、そうかといって、引返すのも残念なように見えて、ついつい松の根方に彳んでしまったものとして受取れる。自然、そうしている以上は立聞くつもりでなくっても、おのずから内なる人の会話と討論とは、手にとるように聞き取れるのです。
 内なる水入らずの二人も、会話と討論の気合がよく合うものですから、我を忘れて昂奮もすれば、躍起ともなり、また笑い溶かしたり、笑いくずしたりして、たいそうたあいない会話と討論ぶりが、いよいよ酣わになるばかりでありました。
 この水入らずの酣(たけな)わなる会談が、もし相手次第では、ずいぶん聞捨てにならないほど、人の嫉妬(しっと)に似た心理作用を捲き起すかも知れないが、この話題の二人の人格に格段の異色があるところから、誰が聞いていても、その熱心ぶりにこそ興を催せ、これに嫉妬だの、艶羨(えんせん)だのというに似た感情を起させることは、万無いのでありました。
 そこで、立聞きをしていた人も、存外いらいらした気分も見せないで、おとなしく会話と討論の酣わなるを聞き流していたが、その会話と討論は、いよいよ酣わになるばっかりで、いつ果てるとも見えないものですから、その点に於て辛抱なり難いものの如く、松の根方から、また静かに身を動かして、南庭から西の軒場へ歩み去る姿を見ると、それは覆面の姿であります。
 覆面をしたからといって、辻斬りの本尊様ではなくて、女の姿であることによって、直(ただ)ちにそれと受取れる、それはお銀様の微行姿(しのびすがた)であります。
 お銀様は、たしかにこの屋を訪れて、お雪ちゃんにでも何か用向きがあって来たものか、或いは何か他に目的があって来たのか、とにかく、尋常にこれへ訪ねて来て、この酣わなる会話と討論のために、その用向きを遠慮して、静かにこのところを去るのであります。
 そこで、この女の人の姿が、館の後ろの叢(くさむら)の中に隠れてしまいましたが、暫くたつと、西へ離れて広々とした裾野の中に裾を引いて、西に向って歩み行く同じ人の姿を認めることができました。
 こうして、ゆっくりと、西へ向って裾野に裾を引いて行くが、この道を西へ向って行く限り、昨晩のあのセント・エルモス・ファイアーに送られた異形(いぎょう)の人と同様の道に出でないということはありません。
 かくてお銀様は一人、宵の胆吹の裾野を西に向って行く。西の空に新月が現われるのを認めます。
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