大菩薩峠
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著者名:中里介山 

「さあ、お前、あれにつれ、あんまり勇み足になってはいけませんよ、勇士はいかに心の逸(はや)る時でも、足許を忘れるものではありません」

         四十三

 その話しながら来る場所が、こちらの突立っている覆面の人に、追々近く迫って来るのです。
 こちらでは、その人の話し声も、提灯の光も、それがだんだん近寄って来ることも、先刻御承知のはずなんだが、あちらでは、ここにこの人のいることを想像だもしていないことは確かです。よし、鼻を突き合わすようなところまで近づいて来たとしたところが、闇の空気の中に、この通り覆面の異装で立っていられては、気のつくはずはないのです。こういう場合にこそ、あの先刻のセント・エルモス・ファイアーが気を利(き)かして燃え出してくれればいいのに。
 こちらは先刻承知の上だからいいけれども、先方がかわいそうです。こう飄々(ひょうひょう)と近づいて来て、提灯を持っていることだから、鉢合せまでにもなるまいけれど、まかり間違って、あの長いものの鞘(さや)にでも触(さわ)ろうものなら、いや鞘に触らないまでも、提灯の光のとどく距離にまで引寄せられて来て、ハッと気がついたのではもう遅い。
 こういう場合には、こちらに好意があらば、空咳(からせき)をするとか、生あくびをするとかなんとかして、相当、先方に予備認識を与えて、他意なきことを表明してやる方法を講ずるのが隣人の義務なのです。ところが、こちらには一向にその辺の好意の持合せがないと見え、先方は遠慮なく近づき迫って来て、光は薄いながら提灯の灯(ひ)の届く距離の間で、早くも異風を気取(けど)ってしまいました。
「おやおや、どなたかおいでなされますな」
 気の弱いものですと、この際、これだけの事態で、もう口が利けなくなって、腰を抜かし兼ねまじき場合であったのですが、先方はたしかにこちらの異風を認めて、しかとその地点に踏み止まったにかかわらず、意外なのは、それが女の声で、しかも存外しっかりして、地に着いているのはその足許だけではありません。その声だけで判断しても、しっかりしてはいるけれども女の声には相違ないが、決してお雪ちゃんやお銀様のような音調や色合の声ではありません。むしろ良妻とか、賢母とかいうべき性質(たち)の、しっかりした調子で、「どなたかそれにおいでなされますな」と言葉をかけたのですが、こちらは無言でした。こちらからすべきはずの予備認識を以て隣人の義務を果さないのみならず、先方からの挨拶にも答えないというのは非礼を極めている、というよりは、害心をいだいていると判断してもさしつかえないでしょう。ところが賢母としての今の女の人の後ろに、清くして力のある子供の声が続いて起りました。
「お母さん、誰かいるの」
「ああ、それにどなたかおいでになります」
 そこでいったん踏み止まって多少の躊躇(ちゅうちょ)をしたけれども、それが済むと、この母と子は合点をして、その無言で突立った黒い姿の前をずんずんと通り抜けにかかりました。
 何でもないことのようですが、それはかなり大胆不敵な挙動と言わなければなりません。
 繰返して言えば、自分たちは礼儀をもって一応挨拶を試みたのに、先方は、その挨拶を返さないのみか、道路の真中よりは少し後ろへ寄っているにはいるらしいが、この場合、真中に立ちはだかっていると見て差支えない、それを一歩も譲ろうとさえしないのです。聴覚の全然喪失した不具の人でない以上、たしかにこちらに対して寸毫(すんごう)も好意を持っていないものの態度、しかも、篤(とく)と闇を透して見れば、覆面をして長い二つの、触(さわ)らば斬るものをさして突立っているのですから、無気味ということの以上を通り越して、害意もしくは殺意をさしはさんだ悪人と見るのが至当なのです。しかるにその前を、一応の挨拶だけで平気で子供を連れて通り抜けようとするのは、毒蛇の口へ身を運び入れるのと同様の振舞なのであります。
 しかも母の方は女のことであり、子は道中差にしては長いのを一本差しているにはいるが、これとても通常の旅の用心で、それ以上に二人には、なんらの武装というべきほどのものが施されてあるのではありません。
 しかし、無心というものの境涯こそは、あらゆる無気味に超越すると見え、この母と子は、すらすらと、この危険きわまる存在物の立ちはだかりの前を通り過ぎて、極めて安祥として二三間向うへ離れますと、
「どこへ行くのです?」
 この時、物静かに、はじめて発音したのは、こちらの無気味きわまる黒い姿の存在物でありました。
「はい」
と、また踏みとどまってこちらへ向きながら返答した賢母は、言葉は無論、足もとに至るまで前同様少しの狼狽(ろうばい)さえ見えません。
「長浜までまいります」
 行先までをはっきりと名乗りました。
「長浜へ、長浜の町では、今晩何か物騒がしいようです」
「はいはい、陣触れがございます」
「陣触れが」
「はい、それであの通り篝(かがり)を焚いているのでありまする」
「ははあ。それはそうと、拙者もその長浜まで参りたいと存ずるのだが、道がちと不案内でしてな、御一緒に願われまいか」
 黒い姿は存外静かに、物やさしい頼みぶりでしたけれども、それだけにどこか、つめたいところがあり、いっそう無気味なる物言いと受取れないではないが、提灯(ちょうちん)の賢母はいっこう物に疑いを置くことを知らぬ人と見えて、
「それはそれは、長浜はあの通りつい眼の下に見えておりまするが、ここからはまた、道順というものもござりまして、それは私共がようく心得ておりまする故、失礼ながら御案内をいたしましょう」
「では頼みましょうか」
 そこで、提灯がまた動き出すと、黒い姿もむくむくと動いて来て、母と子との間に割り込むというよりは、二人が中を開いて、この人を迎えるような態度をとり、そこで提灯の母が先に、十二三になる凜々(りり)しい男の子が殿(しんがり)という隊形になりました。
 しかしまた、これでは送り狼を中に取囲んで歩き出したようなもので、一つあやまてば、二つとも一口に食われてしまいはしないか。事実上、そういう隊形になっていながら、気のいい母と子は、一向、懸念も頓着も置かないのは、送り狼そのものを眼中に置かぬ狼以上虎豹の勇に恃(たの)むところがあるか、そうでなければ全然、人を信ずることのほかには、人を疑うということを知らぬ太古の民に似たる悠長なる平民に相違ない。
 そこで、この三箇が相擁して、胆吹から長浜道へ向けて、そろりそろりと歩き出しました。
 そうして、また途中、極めて心置きなき問答が取交わされました。
「どちらからおいでなされた」
と黒い姿の方は、相変らず存外打ちとけた話しかけぶりでした。提灯の賢母は最初からあけっ放しの調子で、
「尾張の国の中村から参りました」
「尾張の中村――」
「はい」
「それはずいぶんと遠方ではござらぬか」
「左様でございます、ここは近江の国、美濃の国を一つ中にさしはさんで、これまで参りました」
 ついぞこの辺の里の女童(おんなわらべ)の夜明け道と心得ていたが、尾張の中村から三カ国をかけての旅路とは、ちょっと案外であった。
「それはそれは、なかなか遠方からおいでだな。そうして、長浜へは何の御用で?」
と黒い姿。
「あれに親戚の者がおりまして」
「親戚をたずねておいでなのですか」
「はい、木下藤吉郎と申します、あれが今、長浜におりまして、わたくしの従妹(いとこ)の連合いになっておりますので」
「木下藤吉郎」
 聞いたような名だ! と、黒い姿が思わず小首を傾けました。
「はい、その従妹の連合いが、今たいそう出世を致しまして、江州の長浜で五万貫の領分を持つようになりました」
「冗談(じょうだん)じゃない」
と、黒い姿もさすがに桁(けた)の違った母の人の言い分に驚かされ、呆(あき)れさせられたように投げ出して言うと、賢母は、
「いいえ、冗談ではございません、昨晩からの陣触れも、あの篝(かが)りも、みんなそのわたしのいとこの連合いがさせている業なのでござります」
「途方も無い。だが、もう一ぺん、その人の名を言ってみて下さい」
「木下藤吉郎と申します」
「は、は、は、何を言われる、木下藤吉郎、それは太閤秀吉の前名ではござらぬか」
「別に、こちらの方では、太閤と申しましたか、秀吉と申しましたか、そのことはわたくしたちはよく存じませぬが、わたくしの従妹の連合い木下藤吉郎がたいそう出世を致しまして、只今、あの江州長浜で五万貫の領分をいただいているのは確かなのでござります、そこへ、わたくしはこの子を連れて、尾張の中村から訪ねて参る途中なのでござります」
 賢母らしい人は信じきって、こう言うのですから、義理にも冗談とは受取れないので、ばかばかしいと思いながら、覆面の黒い姿はそのままでもう一歩進んでみました。
「そんならそうとして、さて、あなた方は何の目的でそれをたずねておいでになる」
と、駄目を押すようにしてみると、
「左様でござります、その藤吉郎に、この子供の身を託したいと思いまして、これはわたくしのせがれでござりますが、ごらんくださいませ」
と言って、母なる人は後ろを振返り、踏み止まってその提灯を、殿(しんがり)にいる十二三の男の子の面(かお)に突き出しました。
 そこで、この子の面目が照らし出され、その突きかざした提灯がくるりと廻ると、まず最も鮮かに浮き出したのは、提灯に描かれた蛇(じゃ)の目と桔梗(ききょう)の比翼に置かれた紋所でありました。

         四十四

 その提灯の光りに照らし出された十二三の少年は、臆するところのない沈勇の影を宿した面(かお)を向けて、しとやかに立っておりました。
 それを見て、黒い姿は、何か神妙な気持にうたれたと見え、
「どうです、この辺で一休みして参ろうではござらぬか――あなた方は何か御由緒(ごゆいしょ)もありそうな人たち、お身の上を、ゆっくり承ってみたいものだ」
と、その辺の然(しか)るべき路傍に立ちよってみると、
「はい、まだ夜明けには間もございますから、ではひとつ、この辺で一休みさせていただいて、ゆっくりあれへ参ることに致しましょう。お前、そこに大きな石がある、それをこちらへお据え申しな」
と母から言いつけられると、沈勇な面影を備えた少年は、自分の身体に余るほどの大きさの路傍の巌石を、易々(やすやす)と転がし出して来て、黒い人のために席を設けました。
 そうして、母子は程よいところの木の根方へ腰を下ろして、提灯は傍(かた)えの木の枝へ程よく吊り下げ、そうして心安げに話をするくつろぎになりました。
「この子は虎之助と申しまして、柄は大きくござりますが、これで当年十三歳なのでございます、今日まで故郷の尾張の中村で育てましたが、いつまでも草深いところに遊ばして置くのもどうかと思いまして、思い切ってこちらへ連れて参りまして、藤吉郎のところへ預けて、ものにしようと思いまして」
「お父さんはどうしました」
「この子の父と申しますのが、あなた、弾正右衛門兵衛と申しまして、つまり、わたくしの連合いなのでございますが、三十八歳の時に、これが三歳(みっつ)の年に歿してしまいました」
「それは、それは――」
「それから、こうして今日まで、後家の手一つで育て上げはいたしましたが、後家ッ子だからと人に笑われるのは残念でございますし、それに、田舎(いなか)に置きましては、武士の行儀作法をも覚えさせることはできませんから、思い切って連れて参りました。父の弾正さえ生きておりますれば、わたくしがこうして引廻さなくもよろしいのでございますが……」
「ははあ、そなたのお連合い、そのお子さんの父親も弾正と申されましたか。実は拙者の父も同じ名を名乗っておりました」
「さようでござりましたか、それは、どうやらお懐(なつ)かしいことでございます。なんにいたしましても、男の子は男親につけませんと、母親ばかりではどうしても躾(しつけ)が足りません、それにあなた、この子がそう申してはなんでござりますが、生れつき心が優しく、武勇の気が強いのでござりまして、親の慾目とお笑いになるかも知れませんが、わたくしとしては相当に見込みをつけたのでござりました」
「ははあ――」
「わが子を賞(ほ)めるは馬鹿のうちと申しますが、まあ、お聞きくださいまし、八歳(やっつ)の年の時でござりました、村の子供と大勢して遊んでおりますと、そのうちの一人が、過(あやま)って井戸へ落ちてしまったのでござります、そう致しますと、子供たちのこととてみんな驚き、あわてふためいて、どうしようという気にもならないでおりますと、この虎之助が、まず急いで自分の着物を脱いで裸になると共に、子供たちみんなに同じように裸にならせて、その帯を集めて、結び合わせて長くして、子供たちに、『君たちはこの端を上で持っておれ、わたしは下へ降りて行って助けて来る』と言って、自分はその帯をつかまえて井戸の底へ下って行き、溺(おぼ)れている子供を抱き上げ無事に救って上りました。それからまた……」
「どうぞ、御遠慮なくお聞かせ下さい、たしかに凡物ではありませんな、八歳の年で、その危急の場合にそれだけの沈勇があるとは、そういうお話は決して子供自慢には響きませぬ、自慢としてもそういう自慢なら、あらゆる親の口から聞かせてもらいたいくらいです」
「では、お言葉に甘えて、なお申し上げることと致しましょう。これが十歳の時でござりました、家へ盗賊が入りましてな、わたくしも内心はゾッといたしました。許しては置けないが、母子が怪我をしても、させてもならない、どうしようかと思案しておりますうちに、これがずかずかと立って何をいたすかと見ますと、村のお祭礼(まつり)の時に用いまする鬼の面が家にござりました、それを手にとると自分の面へこういうふうにかぶりまして、そうしてそのまま盗賊の前へ向って行ったのでござります。不意を打たれて驚いたのは盗賊でございました、鬼の面とは知らず、眼前に異形のものが現われ出でたものでございますから度を失って、たじたじといたしましたところを、この子が一刀に斬って捨ててしまいました」
「ははあ、それはいよいよ凡人には及び難い」
「そういう気象の子供でございますから、どのみち、これは草深いところに置くよりも、武士として出世させるのが道だと思いまして、幸いにこの長浜に親戚の藤吉郎がおりますものでございますから……」
「どうです、その藤吉郎殿には、この子が育て切れますかな」
「それはもう、そう申しては、これまた親類自慢とお笑いになるでしょうが、あの藤吉郎がまた決して凡物ではござりませぬ、この子を引廻し、使いこなすのはあれに限ったものでございます――いったい、人を見て使うということも器量の要る仕事でございますけれども、使われる方もまた、主と頼む人をよくよく見込んでかからなければならないのでございますが、この点におきましては、藤吉郎よりは虎之助の方がどのくらい恵まれているかわかりません。そこへ行くとわたしたち母子は幸運者でござります、こうして易々(やすやす)と藤吉郎に頼みさえすれば大安心でございますが、藤吉郎が主人を見立てて、この人ならばと頼み込むまでには容易なことではございませんでした。もともと尾張中村の賤(いや)しい土民生れでございますから、一族郷党に優れた取立てがあるというわけではございませんし、自分の身に何の箔(はく)がついているわけではございません、乞食同様になって諸国を流浪の揚句が、ようやくこの人ならばと思う主人を自分で見出しまして、自分でその人のところへ押しかけ奉公を致しまして、やっと草履取(ぞうりとり)に召使われましたのが運のはじめでございました。藤吉郎はあれで天下第一等の苦労人でございます、世間では天下第一等の幸運者のようにも申しますが、わたくしたちから申しますと、天下第一等の苦労人と申すほかはござりませぬ。幸運を羨(うらや)む人は多くございますが、苦労のことはあんまり認めてやるものがございません」
「なるほど――」
「あなた様も御承知でございましょう、やはり尾張の出身ではございますが、身分は藤吉郎などとは比べものにならない家柄、今は安土(あづち)の主織田信長でございます――織田殿を主人に見立てたばっかりに、藤吉郎も今は江州長浜で五万貫の身上になりました」
「そうすると、そなたのそのお子さんも、やがて一国一城のあるじになり兼ねぬ運命を持っておいでだ」
「はい、親類から一人エライのが出ておりますと、何かにつけて仕合せでございます」
「その通り。もしまた間違って親類から一人悪い奴でも出ようものなら、一家一まきが災難だ」
「さようでございます。それ故どうかこの子もすんなりと立身出世を致させたいものでございます、草葉の蔭におりまするこの子の父親弾正に対しまして、わたくしのつとめでござります――承れば、あなた様のお父上も弾正様とお名乗りあそばされましたそうで、やはり御成人あそばした後までも、あなた様の立身出世をお祈りになっていらっしゃらぬ日とてございますまい、わたくしが、どうやらこの子を今日まで育て上げましたのも、亡き連合いの魂魄(こんぱく)が守護してくれましたそのおかげとばかり思っておりまする」
「そうおっしゃられると恐縮です、あなたはこうして、立派にすんなりとお子さんを育て上げて、立身出世を亡き連合いとしてのこのお子さんの父君に誓願しておられるが、拙者ときた日には、父の名こそ同じ弾正ではあるが……子の成れの果てはお話になりません」
「いいえ、さようなことはございません。しかし親となってみますと、頑是(がんぜ)ない時は頑是ない時のように、よく行けばよいように、悪くそれればそのように、もしまた立身出世いたしましたからとて、それで心の静まるわけのものではございません」
「では、何のために立身出世をさせるのですか」
「ホ、ホ、ホ、ホ」
と、竜之助から問いつめられた賢母の人は、愛想笑いをして、
「そういうむずかしいことをお尋ねになっては困ります、今のわたくしは、ただ子供に立身出世をさせたい一心だけでございまして、立身すればするように、苦労が増すものか、減るものか、そのことなんぞは実は考えていないのでございます。それはそうと、もうかなり時がうつりました、それではそろそろ長浜へ向って出かけることと致しましょう」
と言って、木の枝に程よく吊(つる)した提灯(ちょうちん)を取下ろすべく、賢母が腰を上げて手をのばしました。
 賢母が提灯を手にとろうとすると、その後ろで不意に、
「ホ、ホ、ホ、ホ」
と笑う声がしました。
 三人が言い合わせたようにそちらをみやると、水門の水口(みなくち)のところに、腰打ちかけてこちらを向いている一人の白い姿があるのです。
 最初は絵に見る関寺小町(せきでらこまち)とか、卒塔婆小町(そとばこまち)とかいうものではないかと怪しまれたほど、その形がよく画面に見えるそれと似通っておりました。
 無論、女です。白い着物の裾を長く曳(ひ)いて、白い帯に、白い頭巾で、目ばかりを出して、不意に「ホ、ホ、ホ、ホ」と笑いかけたものですが、その笑い声がいかにもやわらかで、そうして美しさと、若さを含んでおりました。
 卒塔婆小町? と疑ったのは、その姿を見た瞬間の印象だけでして、その声を聞くと、どうして、ずっと若い、美しい水々しさを持っていることに於て、やはりその頭巾の中の主も、声と同じような若さと、美しさと、それから和(やわ)らかさを持っている人であることは疑うまでもないほどです。
「どなたでございますか」
 こう不意を打たれても、賢母はあまり狼狽(ろうばい)しませんで、そうして物静かに、おとない返したものです。
「御免あそばせ、失礼とは存じつつも、あなた様方のお話を、途中でおさまたげするのも何かと思いまして、こちらで伺っておりました」
「少しも存じ上げませんでしたが、どこからお越しになりました」
「都からのぼって参りましたが、実はこちらがわたくしの故郷なのでございます」
「さようでいらっしゃいますか」
 ここで、両女の受け渡しがはじまりました。
 最初の婦人を、仮りに賢母と名づけ、後なる白衣の婦人を美人と呼びましょう。
「あなた様には、御子息様をお連れになって、尾張の中村からお越しあそばされましたそうな」
と美人が押返してたずねると、賢母が直(ただ)ちに答えました。
「はい、お聞きの通りでございます」
「そうして、あの長浜に御親類のお方が、たいそう出世をあそばしておいでなさいますそうで、それへ御子息をたのみにおいでの由を承りましたが」
「はい、仰せの通りでございます」
「つきましては、甚(はなは)だ不躾(ぶしつけ)でございますが、わたくしの考えだけを申し上げますと、それはおやめになった方がおためかと考えますのでございますが……」
「何と仰せになりましたか」
「はい、御子息様を御親類の方へお連れあそばして出世をおさせ申すことは、おやめになった方がおよろしくはございませんかと、わたくしはさように申し上げたのでございます」
「では、わたくしたちが長浜へ参るのは、悪いとの仰せでございますか」
「その通りでございます、御子息様をお連戻しになって、尾張の中村へお帰りになるのが、あなた様方のおためかと存じまして」
「それはいったい、どういうわけでございましょう」
「まあ、お聞きあそばせ」
 水門に腰かけている美人は、提灯(ちょうちん)を提げていささか立ち煩(わずら)っている賢母に向って、あらためて物語をはじめました、
「わたくしは、出世をすることが必ずしも人の幸福(しあわせ)ではないと覚えておりまする、幸福でないのみならず、出世をするのは、人間の最も大きな不幸と災禍(わざわい)の門を入るものと覚らずにはおられないのでございます、それ故に、あなた様方の、只今のお話を、ここでお聞過しにするに忍びないのでございまして」
「異(い)なことをおっしゃいます、それは不祥なお言葉でございます」
「せっかくの御子息の門出に、ケチをつけるというつもりは毛頭ございません、身につまされましたものでございますから――つまり、わたくしというものが、その出世にあやまられた一つの見せしめなんでございまして」
「いったい、あなた様はどなたでいらっしゃいますか」
 賢母は、美人の言い廻しの奇怪なるに、ついその身の上の素姓(すじょう)を問いたださざるを得ない気持にさせられたようです。
 そうすると、美人はそれに答えないで、おもむろに横の方を向きながら、物々しい声で朗詠のような調子をはじめました。男性を思わせるくらいの朗々たる音吐(おんと)でしたが、その調子の綴りを聞いていると、まさに一首の歌です。
萌(も)え出づるも、枯るるも、同じ野辺の草
 いづれか、秋に、逢はで、果つべき

         四十五

 その時、賢母はいささか手持無沙汰に見えました。歌を以て答えられたけれど、自分には歌をもってこれに応ずる素養が欠けていることを恥づるとしも見えないけれど、さて、その突然なる朗詠に向って、何と挨拶をしていいか、ちょっと戸惑いをした形でいると、
「お母さん」
と、意外なるところから助け船ではないが、ちょっとばつの悪くなった気合を補ったのは、同伴の沈勇なる少年でありました。
「お母さん、この方は祇王様(ぎおうさま)じゃございませんか」
「何ですか」
「あの、六波羅(ろくはら)の祇王様なんでしょう」
「六波羅の祇王様」
 賢母が少年の言葉に駄目を押していると、美人がそれを聞いて、また朗らかに笑いました。
「ホ、ホ、ホ、坊ちゃん、あなたはよくわたくしを御存じでしたね」
「お母さん、あの、ほら、平家物語のはじめの方にある――」
「ああ」
と賢母も、はじめてうなずきました。そうすると美人は、わが意を得たりとばかり、
「おわかりになりましたね、わたくしが六波羅の平清盛の寵愛(ちょうあい)を受けていた祇王と申す女なのでございます」
「ああ、さようでございましたか、つい、存ぜぬ事ゆえ失礼をいたしました」
「失礼は私こそ、斯様(かよう)に身元がはっきりと致して参りました上は、なお包まずに申し上げてしまいましょう。都へ出て、清盛の寵愛を一身にあつめておりましたわたくしの出生地と申すのは、この近江の国、この土地の生れなのでございます」
「さようでございましたか、そのこともつい存じませぬことで、都の御出生とばかり存じ上げておりました」
「都へ出て、浮川竹(うきかわたけ)に白拍子(しらびょうし)のはかないつとめをいたしておりますうちに、妹の祇女(ぎじょ)とともに、あの入道殿のお見出しにあずかって、寵愛を一身にうけるようになりました」
「入道殿とおっしゃいますのは?」
「それは、あの清盛のことでございます、その時は太政大臣(だいじょうだいじん)の位に登っておりました」
「ああ、よくわかりました」
「その当座というものは、わたくしたちが、天下の女という女の幸福を一人で占めたもののように、世間から、羨(うらや)まれもし、あがめられもいたしました。天下を掌(たなごころ)のうちに握る太政入道は、たとい王侯将相のお言葉はお用いなくとも、わたくしたちの願いはみんな聞いて下さいました。御一門の方さえ憚(はばか)っておりまする時に、わたくしたちは思い切って甘えもいたし、我儘(わがまま)もいたして許されました。それほどでございますから、月卿雲客、名将勇士たち、みなわたくしたちに取入って、入道殿の御前をつくろわんと致しました。わたくしたちの一家眷族(けんぞく)の末までも多分の恩賞がございました。都の浮(うか)れ女(め)は、せめてわたくしたちの幸福にあやかりたいと、名前までも祇一、祇二、祇福、祇徳などと争って改めてみたものでございます。氏(うじ)無くして玉(たま)の輿(こし)と申しまする本文通り、わたくしたちが一代の女の出世頭として、羨望(せんぼう)の的とされておりましたが、そのうち、加賀の国から、あの仏御前(ほとけごぜん)が出てまいりましてからというものは、わたくしたちの運命は、御承知の通り哀れなものでございました」
と言って、美人はここで声を曇らせて、面を伏せたようでしたが、また向き直って、
仏も昔は凡夫なり
われらも後には仏なり
いづれも仏性(ぶつしやう)具せる身を
隔つるのみこそ悲しけれ
 それは悲しい調子に歌い出されて来ましたが、また急に晴々しい言葉になって、
「愚痴を申し上げて相済みません、栄枯盛衰は世の常でございますから、欺いたとて詮(せん)のないことでございました、仏御前に寵愛(ちょうあい)を奪われましてから後の、わたくしたちの運命というものは、御承知の通りでございまして、すべての世界も、人情も、みんな一変してしまいましたが、ただ一つ変らぬものとして、ごらん下さいませ、この井堰(いぜき)の水の色を……」
と言って、美人は後ろを顧みて漫々たる池水を指し、
「わたくしたちのあらゆる栄耀栄華(えいようえいが)のうちに、ただ一つ、これだけが残りました」
と言って、美人は相変らず水門に腰をかけた卒塔婆小町のような姿勢で、うしろの池水を指さしながら、
「この池と、この井堰と、この用水とは、わたくしが六波羅時代に掘られたものでございます、それは、わたくしの生れ故郷の人たちが、水に不足して歎くところから、わたくしが費用を出して、この池と、塘(つつみ)と、堀とを、すっかりこしらえさせてやりました。なに、天下の相国(しょうこく)の寵愛を一身に集めたその時のわたくしたちの運勢で申しますと、こんなことは数にも入らないほどの仕事でございました。わたくしはただ、ほんのお義理をしてやる程度の思いで、自分では忘れてしまっていたくらいの仕事が、どうでございましょう、今日になって見ると、わたくしの一生のうちの最も大きな、そうしてただ一つの功徳(くどく)の記念となって、永久に残されることになりました」
 美人は、今となってはじめて、その当初には思いも設けなかった、自分のした仕事のうちの最もささやかなことの仕事の一つに、自分のあらゆる生活の最も大きな意義を見出したかの如く、惚々(ほれぼれ)とこの池の水を見ていましたが、やおら立ち上って池のほとりをさすらいはじめました。
「坊ちゃん、こっちへいらっしゃいな」
 しなやかな手を挙げて、沈勇な少年を小手招ぎをするのです。
 少年は、そのしなやかな誘いに応じて行きたくもあるし、母の手前をも憚(はばか)っていると、美人の姿は飄々(ひょうひょう)として池畔(ちはん)をあちらへ遠ざかり行きながら、その面影と、声とははっきりして、
「ねえ、坊ちゃん、あなたのこれから頼ろうとなさる御親類の方が、この後、たとい太政大臣におなりあそばし、或いは摂政(せっしょう)関白(かんぱく)の位におのぼりになりまして、従って、あなたが大名公家に立身なさろうとも、それは、あなたの幸福ではありませんよ。本当の幸福を思うならば、これから故郷の中村とやらへお帰りになって、そうして朝晩にこうして、お池と、用水と、井堰とを見守って、一生をお送りなさい。そうでなければわたくしと一緒に、嵯峨(さが)の奥というところへいらっしゃい、そこにはいと静かにわたくしたち母子が住んでいるのみならず、今ではあの仏御前(ほとけごぜん)も一家族の中の一人となりました、ちょうどあなたぐらいの少年が、何かにつけて一人欲しいと思っていたところなんです――よかったら、いらっしゃい、ね」
 言葉が余韻(よいん)を引いて、姿が隠れてしまいました。水門の蔭に没したようでもあり、水の底に沈んでしまったようでもあります。
 賢母も、少年も、惜しそうにその池の面を見つめておりましたが、もう、いずれのところからも再び姿を現わす気色はありませんでした。
 それを見ているうちに、今まで明るく点(とも)されていた蛇(じゃ)の目桔梗の提灯が、いつの間にかふっと消えておりました。それが消えると、賢母の姿も、沈勇少年の姿もなく、真暗闇。
 大平寺の門前の庭に、針のように突立っている例の黒い姿が一つあるばかり。
 比良ヶ岳の方を見上げると、時ならぬ新月が中空にかかっている。
 上平館(かみひらやかた)の方を見た時に、青い火が一つ、それは例のセント・エルモス・ファイアーではない、青い火の塊りが一つ、ふわりと飛んで、一定の距離に淡い筋を曳(ひ)いたかと思うと、暫くにして消えてしまいました。
 多分、俗に人魂(ひとだま)とでもいうものなんでしょう。

         四十六

 それはさて置いて、残されたりし上平館の松の丸の炉辺で、今、米友がスワと、炉辺の席を蹴って立ち上りました。
 そうして、自在も、鉄瓶も、大またぎに突破して跳り込んだのは、さいぜんから問題の納戸(なんど)の一間、これを奥の間とも呼んだところの一間であります。納戸と奥の間とは違うけれども、この際、炉辺と台所とを標準にすれば、いずれも構造的に奥の方に当るのですから、奥の間とも、納戸の一間とも、この際に限って呼んで置きましょう。
 そこへ米友が一息に飛び込んで行って、
「お、お雪ちゃん、どうしたい、お雪ちゃん」
 寝ている蒲団(ふとん)の中から、お雪ちゃんの身体(からだ)を引きずり起して、両方の腕で掻抱(かきだ)いてむやみにゆすぶりました。
 ところが、お雪ちゃんにはいっこう返事がなく、返事の代りに、聞くも苦しそうな唸(うな)り声があるばっかりです。
「お雪ちゃん、どうしたんだってえば、しっかりしてくんなよ」
と米友は、二たび三たび抱き上げたお雪ちゃんを烈しくゆすぶりました。
 この際、米友としては、ゆすぶってみるよりほかの芸当はなかったのでしょう。事が全く不意に出でたものですから、本人をゆすぶって、本人に事の仔細をたしかめてみるよりほかには詮方(せんかた)がない。その本人にたしかめてみる以前に、本人の正気を回復さしてかからなければならない。
「お雪ちゃーん、お雪さん、しっかりしろやい」
 この烈しい米友のゆすぶりに対して、お雪ちゃんの挨拶としては何もなく、少し間を置いて、そうして恐ろしい唸りの声ばかりで、今度はその唸り声さえ漸く低く勢いを失ってきて、その身体までがみるみる弾力を欠いて、そうしてぐったり米友の身体の上に崩れかかるようなものです。
 およそ米友としては、若い娘のこういった態度を、今までにこれで二度まで見せつけられました。その一つは、申すまでもなく、本所の相生町(あいおいちょう)の老女の家で行われた幼な馴染(なじみ)との間の生別死別の悲劇がそれでありました。
 あの時は、天地が目の前ででんぐり返ったと同様で、何が何だかわからなくなってしまったが、でも、死ぬ人は充分覚悟の前であり、そうして枕許にはお松さんという日本一頼みになる人がついていて、一から十まで行届いた臨終ぶりというべきものでありました。
 然(しか)るに今晩のことは、まるっきり違う。お雪ちゃんを介抱すべく誰もいやしない。それはそのはずで、今のさきまで元気でいた若いお雪ちゃんのことだから、誰も急変を予想しているはずのものはないのに、突発的にこの急変なのです。米友といえども全く周章狼狽せざるを得ません。
 周章狼狽は極めてはいるけれども、全く失神迷乱しているわけではない。その点に於ては寧(むし)ろ相生町の時の、天地が目の前ででんぐり返って自分の立つところ、居るところがわからなくなったとは違って、何が何だか事の順序を見きわめるだけの余裕はあったのです。
 まずあの炉辺から、自在と鉄瓶とを突破して、一気にこの室へはせつけしめられた異常というのは、この室から起ったところのお雪ちゃんの異様なる叫び――ではない、唸り声がもとなのでありました。その一種異様なる唸り声を聞きつけると、米友が例の早業で、一気にここへはせつけて来ての仕事が、前いう通り、寝ている蒲団の中からお雪ちゃんの身体(からだ)を引きずり起して、両方の腕で掻抱いて、むやみにゆすぶり立てることでありました。そうして続けさまにその名を呼んで、まず正気を回復せしめて、事の理由をたずね問わんとするものでありました。
 しかし、その手ごたえがいっこう薄弱で、かえってますます消極的にくず折れて行く有様に、周章狼狽をはじめたのは見らるる通りでありますが、この非常の際にも、ただ一つ安心なのは、どう調べてもお雪ちゃんの身体の外部にいささかの損傷のないということであります。
 斬られているのでもなければ、締められていたという痕跡もないし、毒を飲ませられたという形跡もないことですから、事態はどうしても内臓の故障から来ているらしい。女子に特有な癪(しゃく)だとか、血の道だとかいったような種類、お雪ちゃんがてんかん持ちだということは聞かないが、そうでなければ何か非常に驚愕(きょうがく)すべきことでもあって、一時、知覚神経の全部を喪失するほどに強襲圧倒させられてしまったのだろう。
 その辺にだけは辛(かろ)うじて得心を持ち得たが、事体の危急は少しも気の許せるものではありません。
 しかし、前に言う通り米友としての芸当は、烈しくゆすぶってみるよりほかには為(な)さん術(すべ)を知らない。ただ一つ知っている、それは柔術の活法から来ているところの当ての手でした。けれども、今の米友としては、その活法を、ここでお雪ちゃんに施してみようとの機転も利(き)かないほどに狼狽を極めておりました。またその機転が利いていたところで、当身(あてみ)や活法は、施すべき時と相手とがある。今この際、このか弱い病源不明の者に向って、手荒い活法を試むることがいいか、悪いかの親切気さえ手伝ったものですから、いよいよ手の出しようが無くなったのです。そこで、いよいよ深く、いよいよ強く、お雪ちゃんを抱き締めてしまって、
「しっかりしろ、お雪べえ――」
 幸いにして、ほんとに有るか無きかのささやかな希望のひっかかりを与えたのは、この時、こころもちお雪ちゃんの体の動きに少し力が見えました。
「しっかりしろ、しっかりしろよ、お雪ちゃん」
 同じようなことを繰返して、米友が抱きしめてゆすぶる間に、有明ながら行燈(あんどん)の灯は相当の光をもっていたのです。その光が蒼白(あおじろ)くお雪ちゃんの面(かお)を照しているものですから、それで見ると、死人同様な面の上に、ほんのこころもち、唇だけをいそがわしく動かしているようにも見える。それを見て取ると、米友が眼から鼻へ抜けました。
「うむ、そうか、そうか、水が欲しいか、水が飲みてえか、そうだろう、待ちな、待ってくんな」
 恰(あたか)もよし、枕許に水呑がある。それを、お雪ちゃんを抱きながらの米友がいざって行って、片手をのばして引寄せると、ちょっと考えて、その水呑の口をお雪ちゃんの唇のところまであてがってみたが、それではどうにもならないと諦(あきら)めると、思い切って自分の口にあてがってグッと呑み込み、
「…………」
 その口をお雪ちゃんの口にあてがって、グイグイと注ぎ込みました。普通の場合に於てこういうことはできないのです。普通の場合でなくとも、米友でなければ、こういうことを為し得ない。為し得たとしても、後に相当の誤解と羞恥(しゅうち)とを拭い去れないものが残る憂いはあるが、今の米友には、そんなことはてんで心頭にはありません。
 口移しに水を注ぎ込んだが、無論その注ぎ込んだ水の全部がお雪ちゃんの咽喉(のど)を通ろうとは思われないのですが、しかし本人も、この昏迷きわまる状態のうちにありながら、たしかに水を呑まんと欲する意識だけは動いていると見え、米友の口移しにした水の三分の二ぐらいは唇頭から溢(あふ)れて、頬と頸へ伝わって流れ去るのですけれども、三分の一程度は口中へ入るのです。そうして、そのまた幾分かが口中に残り、幾分かが咽喉を通り得るものと見なければなりません。
 米友は誰に憚(はばか)ることもなく、また憚る必要もなく、二度も三度もその給水作業を試みました。水が通じたというよりも、米友の神(しん)が通じたのでしょう、たしかに見直した、もうこっちのものだ――という希望の光が、米友の意気を壮(さか)んにしました。
「だから、言わねえこっちゃねえ」
 この時は、もう烈しくゆすぶることをやめて、寝る子を母があやなすように、米友のあしらい方の手加減が変りました。
 事実、それは米友の糠喜(ぬかよろこ)びではありませんでした。お雪ちゃんは刻々に、著しく元気を恢復(かいふく)して行くことがありありとわかります。米友はまた、片手をのばして燈心を掻(か)き立てるだけの余裕を作ってみると、その増し加えられた火花が、一層お雪ちゃんの気分を引立てたものに見せましたから、もうこっちのもの、という考えがいよいよ確実になってみると、米友としてもいよいよ米友度胸が据(すわ)ったのです。
 とはいえ、稽古半ばで落された武術の修行者が、さめると共に元気を回復して、すぐさま相手に一戦を挑(いど)みかけるというような現金なことはなく、まだ決して自分の意志を表白し得るほどの程度にも達していないのですが、もうこっちのもの、という信念を米友に持たせることに於ては牢乎(ろうこ)として動かすべからざるものがあったのですから、米友の取扱いもいっそう和気もあり、やみくもにゆすぶることには及ばない。ゆすぶってはいけないのだ、安静に寝かして置いた方がいい、もともと外部に創傷のある出来ごとではないのだし、長いあいだ病気で弱っていたという身体でもないのですから、安静にして置いて、且つ冷えないようにしてやりさえすればそれが何よりなのだ、という看護法の要領だけは米友の頭にうつって出来たものですから、そのまま後生大事にお雪ちゃんをまた元の枕に寝かせながら、
「だから言わねえこっちゃねえ、お前(めえ)、あの男にどうかされたんだろう。あの男というのは、お前が先生先生といってかしずいているあの盲(めくら)のことだ、ありゃお前、魔物だぜ!」
と言いましたが、無論まだ口を利(き)く自由さえ得ていないお雪ちゃんが、この文句を聞き取れようはずはありません。自然、米友のいうことは独(ひと)り言(ごと)になってしまっているのですが、聞かれていようとも、聞かれていなかろうとも、独り言であろうとも、相手を前に置いての独得のたんかであろうとも、米友としては言うだけのことを言いかけて、途中でやめるわけにはゆかない。
「お前はこっちへ寝て、あの男は向うの屏風(びょうぶ)の中へ寝たんだろう、まさか一緒に寝るようなことはありゃしめえ、あんな人間の傍へ近寄ろうとするのがあやまりなんだ、まあ怪我がこれだけで済んだから幸福(しあわせ)のようなものなんだ。ところで、お前が珍しがっているあの人間は、今はその屏風の蔭に寝ちゃあいめえ。なあに、そこに寝ているぐれえなら世話はねえんだ、おいらでさえ、同じ座敷に寝ていて、毎晩のように出し抜かれた魔物なんだから、お雪ちゃんなんぞ一たまりもあるもんかよ」
 あちらの枕屏風の外から、中を見透すようにして米友がこう言いました。
 この屏風の向うに、尋常に一組の夜具はのべてあるけれども、その中はもぬけの殻だということを、米友は最初からちゃんと見抜いていたのであります。
「ちぇッ! 世話が焼ける奴等だなあ!」
 なぜか、米友はこう言いつつも、お雪ちゃんの寝顔をまたながめ直した途端、
「ジュー、シープー」
という只ならぬ物音が、さいぜんのあの炉辺で起りましたので、米友がまた、とつかわと突立って、今度は、枕と、屏風と、水差とを突破して、もとの炉辺へ向って一直線に走りつけたのは、なるほどいそがしい。全く世話の焼けた話で、こちらの救急と、看護と、思いやりで手も足らないでいるところへ、あちらの一間で「ジュー、シープー」という只ならぬ物音。さながら、「雨は降る降る干物(ほしもの)は濡れる、背中じゃ餓鬼ゃ泣く飯ゃ焦(こ)げる」というていたらくです。

         四十七

 その「ジュー、シープー」という只ならぬ物音は、それは人間の声ではないが、捨てて置けない。こうなってみると予想しないことではなかった。つまり、炉中へかけっ放しにして置いた鉄瓶が、燃えさしの火力に煽(あお)られて、米友の不在中に沸騰をはじめ、それが下の炉炭中へたぎり落ちて灰神楽(はいかぐら)を始めたのですから、このことは人の生命に及ぼすほどのことではなかったのですが、やはり打捨てては置けない。それ故に、米友がまた忙がしく取って返し、
「ちぇッ! あっちもこっちも世話が焼ききれねえ」
 米友が、その灰神楽を鎮静せしめた途端に、目に触れたのは、ついそこに太平楽で大いびきをかいている道庵先生の寝像(ねぞう)でありました。道庵の寝像を見ることは今にはじまったことではないが、この場合、これを見ると、米友がまたグッと一種の癇癪(かんしゃく)にさわらざるを得ません。
 人がこうしてまあ一生懸命に――全く生きるか死ぬかで奔走している一方には、灰神楽がチンプンカンプンをはじめるという非常時に、この後生楽(ごしょうらく)は何たることだ、酔興でこしらえた創(きず)だらけの面(かお)に、大口をあいていい心持で寝こんでいる。人間、どうしたらこうも呑気に、じだらくに生きられるものか、おいらなんぞはそれからそれと夜も眠れねえで、身体が二つあっても、三つあっても、足りねえ世の中に、この先生ときては、この後生楽だ。
「畜生! どうするか見やあがれ!」
というような気にもなってみたが、そうかといって、どうすることもできない。天性、後生楽に生れて来た奴は仕合せだ、人の心配する間をぐうぐう寝ていられる、こんな奴が長生きするのだ。太々(ふてぶて)しいというのか、それとも羨(うらや)ましいというのか、呆(あき)れ返ったものだ。
 今更それを考えて、米友がポカンと呆れ返っていると、その裏から発止(はっし)と思いついたのは――
 何のことだ!
 この先生はお医者じゃねえか!
 その酔っぱらいのことばかりを考えて、ついに本業のことに思い及ばなかった。
 なるほど、この先生は医者が本業である。そうして酔っぱらいが副業である。
 副業としての酔っぱらいにかけては手に負えないが、本業としてのお医者様にかけては名人だ。少なくとも米友の経験する限りに於ては、起死回生の神医に近い!
 この名医神医を眼前にさし置いて、何を自分が今までしていた! 何が救急だ、何が看病だ!
 ほんとうに馬鹿じゃあ楽ができねえ!
 と今度は米友が、自分の頭脳の足らないことと、気転の及ばないことの馬鹿さ加減を、自分で冷笑しはじめました。
 最初からここに気がついていさえすれば、何を自分がお雪ちゃんをゆすぶったり、締めつけたり、口うつしに水をくれてやったり、また鉄瓶の野郎にまでチンプンカンプンを起させたりする必要がどこにあるのだ。
 血のめぐりの悪い奴に逢っちゃあかなわねえ。
 と米友が、またしても自分の低能ぶりを嘲りきれない語調でせせら笑ってみましたが、いつまでも自己冷嘲をつづけるのが能ではない、事の実行にとっかかるまでのことだ。実行というのは、この先生を起して、お雪ちゃんを完全に呼び生かした上に、将来の健康を保証せしめることだ。そこで米友が、物静かに道庵先生の枕許にはせ寄って、
「先生! 先生! おいらの先生! 起きてくんな」
「ムニャ、ムニャ、ムニャ」
「先生!」
「ムニャ、ムニャ、ムニャ」
「先生!」
「ムニャ、ムニャ、ムニャ」
 再三呼んでも同じ言葉を繰返した後に、小うるさいと思ったのか、クルリと向きをかえてしまいました。詮方(せんかた)なく、米友がまた立って歩んで、そちらへ直って、さて、
「先生!」
「ムニャ、ムニャ、ムニャ」
「先生!」
「ムニャ、ムニャ、ムニャ」
「先生!」
「ムニャ、ムニャ、ムニャ」
 やはり同一のたわごとを繰返して、こんどはまたクルリと元の方へと寝返りを打っての高いびきです。
 詮方なく、米友がまたこちらへ立返って、そうして、
「先生!」
「ムニャ――」
 今度は一言でまた寝返りを打って、あちらを向いてしまいましたから、米友が勃然(ぼつぜん)として怒りをなしました。
 ふざけてやがる、おいらがこうして起してるのを承知してやがるんだ、承知の上で、わざとムニャムニャとしらばっくれておいらをからかって、あっちへ向いたり、こっちへ向いたり――人をばかにしてやがる、常の場合ならいいが、こっちはこの通り苦労している、人間一人の生命に関する場合に、ふざけるもいいかげんにしろ!
 勃然として怒りをなした米友が、
「先生! 起きろ!」
 右の手をかざしたかと見ると、これはまた近ごろ手厳しい、道庵先生の横っ面をピシリと音を立てて一つひんなぐりました。なぐったのはむろん米友で、なぐられたのはその師であり、主であるところの道庵先生なのです。
「あ、痛(いて)え!」
 それは多少手加減があったとはいえ、米友ほどの豪傑が、怒りに任せて打ったのですから、手練のほどだけでも相当以上にこたえたに相違ない。
 さすがの道庵先生が、頬ぺたを抑えながら、寝床の上に一丈も高く飛び上ってしまいました。
「痛え!」
「先生、冗談(じょうだん)じゃねえ、病人が出来たんだ、早く見てやっておくんなさい」
 飛び上ってまだ痛みの去らない道庵を、米友が横から突き飛ばして、押しころがして、とうとうお雪ちゃんの寝ている寝床へまで押し込んでしまって、ほっと息をついたのです。
 いかに何でも、先生の横っ面をぴしゃりと食(くら)わせるというようなことは、米友として前例のない手厳しさであるが、米友としては、安宅(あたか)の弁慶の故智を学んだわけでもあるまいが、非常時をよそにする緩慢なる相手には、こうもせざるを得なかった動機の純真さには、同情を表してやらなければならないでしょう。

         四十八

 道庵先生を文字通りに叩き起して、これを別室へ突き飛ばし、突きころばして置いて、宇治山田の米友は、自分は例の杖槍を拾い取るかと見ると、裏口から躍(おど)り立って外の闇に消えてしまいました。
 ここが米友の正直のところであり、道庵の信用の存するところであり、米友としては、こうして道庵をお雪ちゃんのいるところへ投げ込んで置きさえすれば、あとのところはもう一切心置きなしと信じていたのでしょう。自分が案内をして傍についていて、どうのこうのと言うよりは、道庵そのものを一かたまり抓(つま)み込んで置きさえすれば、それで病人に対しての万事は足りている。死ぬべきものでも、この人が生かしてくれる。いや、すでに死んでしまった自分をさえ、この先生は生かし返らせてくれているのだ。
 そこで米友は、道庵を突き飛ばして置きさえすれば絶対信任を置き得るが故に、全く後顧の憂い無くして外の闇へと身を躍らして飛び出し得たものであります。
 外の闇というのは、御承知の通り、暁の部分に属するところの胆吹(いぶき)の山麓でありました。
 けれども、その闇であることは、前に遊魂のさまよい出でた時の光景と同じことでありましたが、黒漆(こくしつ)の崑崙夜裡(こんろんやり)に走るということの如く、宇治山田の米友が外へ飛び出すと、外の闇が早くもこの小男を呑んで、行方のほどは全くわからなくなりました。
 あいにくにもこの際、この男に向っては、セント・エルモス・ファイアーというようなものも飛びつかず、ファイアーの方でも、うっかり飛びつかない方が無事だと思ったものでしょう、絶えて異象を現わすことはなかったのですから、この黒漆崑崙が、何も目的あって、いずれに向って飛び出したのだか、一向わかりませんでした。
 お雪ちゃんの部屋まで抓み飛ばされた道庵のことは暫く問わず、この闇がようやく消え去って、東方が白み渡った時分になっても、竜之助も帰らず、米友も立戻って来なかったことは事実であります。夜が全く明け放れましたけれど、ついに二人はこの館(やかた)へは戻って来ませんでした。
 しかし、朝の相当の時間になると、意外にもお雪ちゃんが起きて、窓の下の流しでしずかに水仕事をしているのを見ました。平常よりは蒼(あお)い面(かお)をして、全く病み上りの色でしたけれど、それでも立って流しもとで静かに水仕事をしている。それだけの元気があることによって、あの時の危急はけろりとしてしまっていることもわかり、それが米友の介抱の力もあり、道庵の医術のほどもありましたでしょうけれども、本来が何か突発的の急性のもので、事態の恐ろしかったほど、本質の危険なものでなかったことがわかるとすれば、とにかく一安心というものです。
 道庵は――と見れば、一方の枕屏風の中――つまり昨夜、遊魂がそこからぬけ出した後の寝床にもぐり込んで、すやすやと寝息を揚げておりました。事実上これでは逆で、米友がいない限り、病人を寝かせて置いて、道庵が看護を兼ね、仕儀によっては流し元までも立廻らなければならない状態が逆で、病人を働かせて、自分がすやすやと寝息を揚げるということは、あまりのことなのですが、また、取りようによれば、こうして病人がともかくも働けるようになり、お医者さんがすやすやと寝られるようになったればこそ、もう占めたものなので、これがまた逆に戻って、道庵が水瓶をひっくり返したり、鉄瓶を蹴飛ばさなければならないようになっては、おしまいです。
 自在に鍋をかけて、何か朝の仕度をしながら、お雪ちゃんはやつれた面に乱れた髪を少しかき上げて、火箸(ひばし)で暫く火いじりしながら、物を考え込んでおりました。そこへ、
「お早うございます」
と表からおとのうたのは、意外のようで意外ではない人でした。
「これは不破の関守さん」
「昨晩は失礼をいたしました」
「どうもおかまい申しませんで」
「友さんは――」
「ちょっと今、出かけましたのですが、もう戻りそうなものです」
「お雪ちゃん、あなた、少しお面の色が悪いようですな」
「昨晩、ちょっとね……」
「どうか致しましたか」
「ちょっと加減が悪かったものですから」
「それはいけません、お薬がございますか」
「はい、お薬もございます、幸い……」
と言ってお雪ちゃんは、お薬の次に、幸いお医者さんも――と言おうとして、急にさし控えて、
「おかげさまで、もうすっかり癒(なお)りましたから、御安心下さいまし」
「それは何よりでございます」
 不破の関守氏は、そろそろと炉辺へ近寄って来て、腰をかけ、煙管(きせる)を掻(か)き出しながら心安げに話をしました――
「昨晩は、それでもまあ無事でよろしうございましたな」
 こちらは、あんまり無事でもなかったのですが、関守氏の言うことをあげつらうのも、と思ってお雪ちゃんは、
「はい、おかげさまで……」
「実は、ここまで押寄せて来はしまいかと、拙者はそれを心配したものでございますからな、ロクロク寝(やす)みませんでした。それでも幸いに春照の高番あたりで、ちょっとしたボヤがあっただけで、無事に済んだのが何よりでございました」
 関守氏の、無事でよかった、無事でよかったということが、お雪ちゃんにはよく受取れないのです。昨晩、長浜方面から帰りがけだと言って立寄った時に、関守氏が何か言ったようだけれど、いろいろに気の散っているお雪ちゃんには、それが思い出されないでいると、関守氏は続けて、
「しかし、まだ今晩が剣呑(けんのん)でござんすからな、友造君によくそのことを話して置いて、相成るべくは早く戸を締めて、そうして燈火(あかり)も外へ漏れないようにすることですな」
 さまで念を入れての警戒が、お雪ちゃんによく呑込めないでいたが、ようようそれと感づいたか、
「関守さん、もう大丈夫でございますよ、友さんの親切で、子供を連れて行ってしまったんですもの、そうしつこく仕返しになんぞ来はしないとわたしは思いますわ」
「何のことです、お雪ちゃん」
「関守さん、あなた何のことをおっしゃっていらっしゃるのですか」
「何のことじゃありません、昨晩もちょっとお話ししたじゃありませんか、湖岸一帯のあの一揆(いっき)暴動のおそれなんですよ」
「まあ、そのことでございましたか、わたしはまた、あの鷲(わし)の子のことかと思いました」
「いや、そんなんじゃありません、鳥獣(とりけもの)の沙汰(さた)じゃないのでごわす、人類が食うか食わぬかの問題でして……」
 そこで、お雪ちゃんにも、関守氏が関心を置くことの仔細がよく呑込めました。

         四十九

「まあ、お聞きなさい、お雪ちゃん、こういうわけなんです、事の起りと、それから騒動の及ぼすところの影響は……」
と前置きして、関守氏がこんなことを語り聞かせました、
「今度の検地は、江戸の御老中から差廻しの勘定役の出張ということですから、大がかりなものなんです、京都の町奉行からお達しがあって――すべての村々に於て、この際如何(いか)ような願いの筋があろうとも聞き届けること罷(まか)り成らぬ、というお達しがあって、村々からそのお請書(うけしょ)を出させて置いての勘定役御出張なのです。そこで老中派遣(はけん)の勘定役が、両代官を従えて出張してまいりましてな、郡村に亘(わた)って検地丈量の尺を入れたのでござるが、もとよりお上(かみ)のなさることだから、人民共に於て否(いな)やのあろうはずはないのでござるが、そのお上のなさるというのが、必ずしも一から十まで公平無私とのみは申されませんでな」
 関守氏は煙管を炉辺でハタハタとはたいて、吸殻を転がし落してから、吸口をスバスバとつけてみて、
「つまるところ、わいろなんですね。当節は到るところ、それなんだからいけませんなあ、わいろでもってすっかり手心が変るんですからいけません、いったい役人がわいろを取って、公平を失するということほど政治上いけないことはありませんね。百姓共は圧制に慣れているから一時は泣寝入りのようなものの、いつかそれが溢れると恐ろしいことになります。今度の騒ぎも、そもそもその江戸御老中派遣の勘定方が、わいろによって検地に甚(はなはだ)しい手心を試みた、それが勃発のもとなんで、早い話が……」
 関守氏が元来、話好きなのに、お雪ちゃんという子が聞き上手とでも言おうか、相当に理解がある上に、知識慾も盛んで、あれからホンの僅かの間の交際ではあるけれども、関守氏は、お雪ちゃんを話相手とすることが好きなので、暇を見ては話しに来ることを楽しみにしているようなあんばいで、お雪ちゃんもまた、この人が話好きであるのみならず、よく物事の情理を心得ていることを知っているから、悪くはもてなさないので、つい話もはずんで行くのでした。そうして、その話すところをかいつまんでみると、次のようなことになるのです――
 江戸老中派遣のわいろを取る役人が来て、思う存分に間竿(けんざお)を入れる。そのくらいだから寛厳の手心が甚(はなはだ)しく、彦根、尾張、仙台等の雄藩の領地は避けて竿を入れず、小藩の領地になるというと見くびって、烈しい竿入れをしたものだから領民が恨むこと、恨むこと。そこで、これはたまらぬと庄屋連が寄合って、竿入れ中止の運動を試みようとしたが、そこはわいろ役人に抜け目がなく、あらかじめ一切の訴願まかりならぬという請書を取ってある。しかし領民たちになってみると、死活の瀬戸際だから黙止してはいられない。その鬱憤が積りつもると、大雨で水嵩(みずかさ)が増して行くように、緩慢に似てようやく強大である。どこの村からどう起ったということは今わからないけれど、近江の四周の山水が湖水へ向いて集まるように、湖岸一帯の人民の不平が、ある地点へ向って流れ落ち、溢れて来る。たとえば、野洲(やせ)郡と甲賀郡の嘆願組が合流して水口(みなくち)に廻ろうとすると、栗田郡の庄屋が戸田村へ出揃って来る。
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