大菩薩峠
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著者名:中里介山 

         十六

 やがて、仏頂寺が刀を腹へ突き立てると同時に、丸山勇仙が小瓶を口にグッと仰ぎました。
「仏頂寺、痛いだろう」
「うむ――」
と言いながら仏頂寺は、その刀を引き廻し、
「丸山、薬は、薬は利(き)いたか」
「まだ何ともない、痛みの至る程度から言えば、お前のとは比較になるまい、あ、それにしても胸が変だ、腹が痛い」
「しっかりしろ」
「仏頂寺、痛いだろう」
「そりゃ、痛い、腹も身のうちと言うからな」
「我慢しておれも……」
 この時分に、丸山の腹に硫酸が浸漸(しんぜん)をはじめたらしく、
「苦しい、思ったより苦しい!」
と叫びましたが、
「がんばれ!」
と仏頂寺が声をかけると、丸山は、
「ああ、この苦しみは別だ、まるで五臓六腑が焼け出したようだ、噴火山から熔岩が流れ出して村里をのたうち廻るように、腹の中を熱いものが引掻(ひっか)き廻す、仏頂寺、おまえのも楽じゃあるまいが……」
「楽じゃない――」
「俺のは苦しい、同じことなら、腹を切るんだった、こんなに……毛唐(けとう)の薬がこんなに利くとは思わなかった、苦しい!」
「愚痴を言うな」
「たまらない――誰か早く引導を渡してくれ」
「我慢しろ」
「うむ――」
 丸山勇仙は、しっかりと大地につかまって堪(こら)えている。仏頂寺は全力をこめてキリキリと刀を腹の中へできるだけ強く突きこんで引掻き廻してえぐりながら、苦しがっている。でも、丸山勇仙に同情するの余裕がいくらか残っていると見えて、
「丸山、苦しまぎれに、さっきのあの受け渡しをもう一ぺん繰返せ、それが引導だ」
「ううむ、ううむ」
「いいか、斎藤篤信斎は……剣術をつかうために生きている」
「うーむ、高杉晋作は……尊王攘夷の……ために生きている」
「徳川慶喜は……」
「うーむ」
「小栗上野は……」
「うーむ」
「勝麟は……」
「うーむ」
「岩倉は……」
「うーむ」
「土佐と、肥前は……」
「うーむ」
「会津、桑名は……」
「うーむ」
「そうして、仏頂寺弥助と……丸山勇仙は……何のために生きているのだ」
「うーむ」
「うーむ、何のために……」
「うーむ、生きている……」
「うーむ、松茸の土瓶蒸を……」
「うーむ、食うために……」
「うーむ、うーむ」
 ここで、ついに二人の舌が硬(こわ)ばって、呂律(ろれつ)が廻らなくなり、丸山勇仙はもう受け渡しどころではなく、そこらをのたうち廻って苦しみ出したが、仏頂寺の気はなお確かで、存分に腹をえぐって上へハネ、やがて刀を返して咽喉(のど)へ持って行って、一気に咽喉笛を掻切ってしまったから、万事はおしまいです。
 ほとんど同時に、丸山勇仙も動かなくなりました。

         十七

 それを遠く、物蔭にうかがっていた女が言いました、
「ごらんなさい、いい気じゃありませんか、男同士ふたり水入らずで、峠の上で飲めよ唄えと、さんざん騒いだ揚句、とうとういい心持で寝込んでしまいましたよ」
 兵馬もまた、そうだと信じている。このかなり隔たった距離の点からうかがっていると、二人の挙動は、万事いい気持ずくめとしか見えなかったものです。
 紅葉を焚いて、酒と松茸をあたためて食べながら、出まかせの太平楽を並べて、それが相当に並べつくされた後、ところを嫌わず、いい心持で寝そべってしまったのだと見るよりほかには見ようがなかったのです。何故に生きねばならないかの疑問と、これより先へは一寸も歩けない倦怠が二人を悩まして、その間に受け渡された、憂鬱きわまる問答の声は、決してここまで届かなかったものですから、兵馬も、
「暢気(のんき)千万な奴等だ――ああなると、全く箸(はし)にも棒にもかからぬ」
「でも、可愛らしいところがあるじゃないの、人間はアクどいけれども、ああして行きあたりばったりに酔っては寝、寝ては起き、起きては旅――という気持だけは羨(うらや)ましいわ」
「あれだけの気分で、彼等は生きているのだ」
「わたしたちだって、あの気分で生きて行きさえすれば文句はございませんね、旅から旅を気任せに、酔っぱらって寝転んだところが宿で、起きてまた歩きだすところが旅――ああして一生が送れれば、あれもまたいいじゃありませんか」
「御当人たちはよろしいとしても、差当り、こっちの動きがとれないには困る」
「困りゃしないわよ、向うが向うなら、こっちもこっちよ、根(こん)くらべをしようじゃありませんか」
「ばかなことを――」
「あの人たちが頑張(がんば)り通すまで、こっちもここを動かないことにしてはどう、ねえ、宇津木さん」
「そういう緩慢なことはしておられない――とにかく、彼等が眠りに落ちたを幸い、この間に摺(す)り抜けることにでもせんと……」
「まあ、あなたは、どうしてそんなにせっかちなのでしょう、少しはあの人たちにあやかりなさいよ」
と言って、兵馬の胸にしがみついて怖れをなしていた女が、兵馬の首根っこにぶらさがって、木の実をとりたがる里の子供らが、木の枝をたわわにしてぶらさがりたがるようにしてぶらさがるものだから、
「いけない」
と兵馬は拒みました。
「いや、放して上げないことよ」
 これを摺り抜けて兵馬は、
「とにかく見届けて来る」
 仏頂寺、丸山の事の体(てい)を見届けに行きました。見届けるといっても、根気負けをして、名乗りかけて切抜け策を講じようという気になったのではなく、彼等の寝息の程度を窺(うかが)って、その間にここを摺り抜けてしまおうとの斥候(ものみ)の目的で兵馬は出かけたものらしい。仏頂寺、丸山といえども、兵馬にとっては親の敵(かたき)ではなし、万一見つかったら見つかった時のはらもきめて、恐る恐る草原をわけて近づいて見ると、案の如く、二人は飲み倒れて横になっている。なるほどあくどい奴等ではあるが、こうしてところ嫌わず飲んでは寝、寝てはまた起きて旅から旅をうろつく彼等の生活もはかないものだが、そこに無邪気な点も無いではないと、妙な気分に襲われながら、兵馬は少しおかしいような気持になって、少なくとも、二人のその放漫無邪気な寝顔だけでものぞきに来たつもりで、もう一歩近づいた時に、ぷんと血の香(か)を嗅ぎました。
 無邪気に酔倒しているのではないことを直感しました。
 脱兎(だっと)の如く、兵馬は秋草を飛び越えたのです。そうして、仏頂寺の倒れたのを抱き起して見たのです。
「仏頂寺――仏頂寺」
 兵馬は、声高く叫び且つ呼んでみましたが、返事がありません。
 あわただしく、それをそのままそうして置いて、丸山勇仙を抱き上げ、
「丸山君――丸山――丸山勇仙君」
と、立て続けに名を呼びましたけれども、これも返事がありません。
 仏頂寺は立派に腹を切り了(お)えた上に、咽喉を掻(か)ききっている。これは反魂香(はんごんこう)の力でも呼び生かす術(すべ)はない。
 丸山勇仙の死体は拾い起して見ると――これは五体満足ではあるけれども、すでに硬直し、冷却していることは仏頂寺以上で、ただ、何をもって死んだか、殺されたかの形跡が明らかでない。
「仏頂寺君、丸山君、君たち、なぜ死ぬなら死ぬように言ってくれない――」
と、兵馬は二人の死骸を打ちながめて叫びました。
「こういうことと知ったら隠れているんじゃなかった、出て来ればよかった――君たちは死ぬためにここに落着いていたとは、気がつかなかったよ――死ぬんならばこちらにもしようがあったのだ、目の前で二人を死なせながら見殺しにした」
 兵馬は泣いて叫びました。

         十八

 その夜、上平館(かみひらやかた)の松の丸のあの座敷の、大きな炉辺(ろべり)に向い合って坐っているのは、お雪ちゃんと宇治山田の米友でありました。
 お雪ちゃんは、一生懸命でお芋(いも)の皮をむいているのであります。
 その手先を、眼を据えたように、そのくせ、多少の気抜けもしているもののように、米友がしょんぼりとながめながら、膝をちょこなんと組んで、向う脛(ずね)のところを抱え込むようにして坐り込んだまま、無言なのです。
「ごらんなさい、米友さん、あなたに買って来ていただいた庖丁が、こんなによく切れて――」
 なるほど――お雪ちゃんの言う通り、お雪ちゃんは今、芋の皮をむくにしても、新しい卸し立ての庖丁を使っているところであります。
「そうかなあ」
と、米友が気のない返事をしました。気のない返事をしても、気の抜けたという意味ではなく、心そこにあらずして返答だけをしたものですから、なんとなく気のないように聞えるだけのものです。
「ごらんなさい、今晩は、座敷うちだってこんなに明るいじゃありませんか、何から何まで新しいものずくめで、まるでお嫁さんにでも……」
と言って、庖丁の手を休めてお雪ちゃんが今更のように、この室内を見廻したものです。
「うむ――」
と言って、米友は相変らず気のない返事をして、お雪ちゃんへの義理に、うつらうつらとこの室内を見廻したものです。
 なるほど、そう言われてみると、新しい。家は特別に新しくはないが、室内の調度というものが、ほとんどすべて新しく一変している。それは誰が一変さしたものか、問うまでもなく、御本人の米友公のもたらした一つの恩恵なのであります――というのは、米友が長浜から帰ることなしには、この室内もこんなに新し味が増すわけはなく、また同時に、米友がたとい長浜から帰ったにしたところで、手ブラで帰ったんでは、こうまで室内の面目を一変することはできない。つまり、米友が無事に――あんまり無事でもなかったけれども、とにかく、馬に積んだ荷物を、ほとんど遺失と損傷なしに引っぱって、ここまで戻ったればこそ、今晩こうして、お雪ちゃんをして新しい気分に喜ばしめることができたのです。
 ごらんなさい、新しいのは、単にお雪ちゃんが雪のような指先であしらっている庖丁ばかりではありません、その下に据えた俎板(まないた)も、野菜を切り込む笊(ざる)も、目籠(めかご)も、自在にかけて何物か煮つつある鍋も、炉中の火をかき廻す火箸も、炉辺に据えた五徳も――茶のみ茶碗も、茶托も――すべて眼に触るるものがみんな新しい。ただ古いのは自在竹の煤(すす)のついたのと、新鍋(あらなべ)の占拠によって一時差控えを命ぜられている鉄瓶だけぐらいのものですから、この室内すべてを照明するところの光の本元としての燈明台(とうみょうだい)も、むろん最も新しい物の一つであるし、その中の燈明皿も、油も、とうすみも、一切が新しいのですから、お雪ちゃんの眼に見て、タングステン以上にまばゆく感じ、且つまたそれが気分までを明るく、心持よくしたのは無理もないことです。
 それを今、仕事をしながらお雪ちゃんが感謝の意を表したのだが、米友としてはそんなに有難くは受取らない、ただお雪ちゃんが言いかけて、言うことを沮(はば)んでしまったようなただいまの一句、「まるで、お嫁さんにでも……」と言った言葉尻をとらまえてしまいました。
「そうだなあ、まるでお嫁さんでも……」
と米友が続けてみたが、そこで、また何とつづけていいのか、さすがの米友が擬議しました。
「ホ、ホ、ホ、ホ」
とお雪ちゃんは、何がおかしいか笑いました。
「取ったようだな」
と、お雪ちゃんに笑われたので、米友があわてて木に竹をついだように言葉をつづけました。
「ホ、ホ、ホ、ホ」
と、お雪ちゃんがまた笑いました。
 木に竹をついだような米友の言葉の前後をつづり合わせてみると、「まるで、お嫁さんでも取ったようだな」と、こういうのであります。お雪ちゃんとしては、この際、米友がガラにもなくお嫁さんを引合いに出したそれがおかしいのではなかったのです。なぜならば、お嫁さん……ということを言い出して口籠(くちごも)ったのは、それはかえってお雪ちゃん自身にあるのですから、米友が、その言葉尻を受けついだからといって、何もおかしがって笑うことはないのです。といって特別に笑わなければならぬほどのおかしいことはなかったのですが、箸が転んでも笑いたいという年頃なんでしょうから、米友さんそのままの存在と、あたりの新しいものずくめが、ついお雪ちゃんの気を、こんなに快活にしたものと見なければなりません。
 だが、また一方、米友としても、たとい人の言葉尻をとらまえたにしてからが、お嫁さんがどうしたとか、こうしたとかがらにないことを言い出すのが変だと思えば思われないことはないのですけれども、それとても、必ずしも米友の独創というわけではなく、
源ちゃんと言っても
返事がない
お嫁さんでも
取ったのかい――
という俗言が、ある地方には存在している。それを米友が思い出したから、ガラになくこの際応用を試みただけのものなんでしょう――そう種が知れてみれば、いよいよ以て笑うべきことでもなんでもないのですが、少ししつこいが、これをお雪ちゃんが最初いった言葉尻と比べてみると、少しばかり「てにをは」の相違があるのでした。つまり米友は室内の調度がこんなにすべて新しいのは、「お嫁さんでも取ったようだ……」という単純明白な譬喩(ひゆ)の一シラブルになるのですが、お雪ちゃんのは、「お嫁さんにでも……」で、あとは消滅してしまったのですから、極めて曖昧(あいまい)なものなのです。なお、うるさいようですが、文法上もう少し立入って見れば、「お嫁さんでも」というのと「お嫁さんにでも」というのでは、主格に根本的の異動が生じて来るわけあいのものなのです。
 お雪ちゃんに笑い消されたにも拘らず、米友がそれからまた、何かじっと一思案をはじめて、炉に赤々と燃えている火に眼をつけて放たなかったのは、やや暫くの間のことで、やがて、その面(かお)を上げて、眼をまたしてもお芋の皮をむくお雪ちゃんの手許(てもと)に据えながら、
「お雪ちゃん、お前(めえ)はお嫁さんに行く気はねえのかい」
「いやな米友さん」
 お雪ちゃんは、はにかんだけれども、米友はまじめなもので、
「おいらは、思うがな、お雪ちゃん――若い娘は、なるべく早くお嫁に行った方がいいと思うんだが……」
「まあ、米友さんが、お爺(とっ)さんのようなことを言い出しました、ホ、ホ、ホ」
「おいらは、ためを思って言うんだぜ」
「それは、わかってますけれどもね……ホ、ホ、ホ」
 若い娘はなるべく早くお嫁に行った方がいい、つまり虫のつかないうちに、恋愛を知らないうちに結婚せしめよ……主婦之友の相談係でも言いそうなことを、米友の口から聞かされることが、お雪ちゃんには予想外だったのか。但し、相手はいわゆるためを思ってくれて、親切に言い出されたものに相違なかろうが、お雪ちゃんとしては、そういうことに触れると、何か現実のいたましいとげにでも刺されたような気にもなると見え、
「米友さん、そんな話はよしましょうよ、長浜で見た、何か珍しいことをお話しして頂戴な、長浜ってところは、昔太閤様のお城があったところでしょう、今でも人気が大様(おおよう)で、大へんいいのですってね」
「うむ、湖辺へ出ると、なかなか景色はいいな」
「綺麗(きれい)な娘さんがいたでしょう」
「さあ、それはどうだったか」
 きれいな娘がいたかどうか、そのことはあんまり米友としては観察して来なかったらしい。
 しかし、お雪ちゃんの、綺麗な娘さんがいたでしょうとわざわざ尋ねたのも、べつだん心当りがあって言ったのではなく、京都は美人の本場、長浜も京都に近いところだから、婦人たちも相当に美しいだろうと、こういう淡い想像に過ぎなかったのです。
「大通寺って大きなお寺がありましたでしょう」
「そうさなあ――別においらはお寺を見に行ったわけじゃねえんだが」
「あのお寺の大きな床いっぱいに、狩野山楽の牡丹(ぼたん)に唐獅子が描いてあって、とても素晴しいのですってね、米友さん見なかった?」
「おいらは絵を見に行ったわけじゃねえんだ」
「じゃ、そのうち出直して、一緒にまいりましょうよ、長浜見物に……」
「もう少し待ちな、今は世間が物騒だから」
「どうしてですか」
「どうしてったって」
 そこで米友は、今日経験して来たところの要領を、お雪ちゃんに向って物語ったのです。そうすると、お雪ちゃんが眼をまるくして、
「まあ――よく無事に来られましたねえ」
 容易ならぬ危難を突破して来た米友の冒険をはじめて知りました。
 そうしてみると、新婚当夜ほどの新しい気分を与えてくれる今晩の調度も、相当の犠牲なしには得られなかった恩恵であることが一層深く感ぜられ、お雪ちゃんは幾度(いくたび)か米友の労をねぎらって、やがてお芋の皮をむくことが終ると、お茶をいれ、お茶菓子を出して、二人で飲みはじめました。

         十九

 二人がお茶を飲みはじめていると、急に自在の新鍋(あらなべ)が沸騰しました。
 これは、あんまり二人が仲よく茶を飲んでいるものですから、新鍋が嫉妬(やけ)を起して沸騰をはじめたというわけではありません。
 もう煮え加減が、ちょうど沸騰すべき時刻に達したから沸騰したまでのことで、沸騰すると同時に、鍋の蓋(ふた)のまわりから熱湯がたぎり落ちかかったのも当然であります。が、その沸騰の泡(あわ)が火の上に落ちて、そこで烈しいちんぷんかんぷんが起り、灰神楽(はいかぐら)を立てしめることは、甚(はなは)だ不体裁でもあり、不衛生でもあり、第一、またその灰神楽に、せっかくの静かな室内と新しい調度を思うままに攪乱(こうらん)せしめた日には、せっかくの新婚当夜のような新しい気分が台無しになるのです――そこは米友が心得たもので、いざ沸騰と見ると、飲みかけた茶碗を下へ置いて、つと猿臂(えんぴ)を伸ばして、その蓋をいったん宙に浮かせ、それから横の方へとり除けて、座右の真向(まっこう)のところへ上向きに置いたのです。
 それがために空気の圧力も急に加わったものですから、沸騰力も頓(とみ)に弱められて、危なく灰神楽の乱調子で一切を攪乱せしめることを免れしめました。こういう早業にかけては、けだし米友は天才の一人であります。
 さて、鍋蓋を取払って見ると、新鍋の中は栗でした。
 さいぜんから暖められていた鍋の中のものは、栗が茹(ゆ)でられていたのです。そうすると、お雪ちゃんは火箸を鍋の中にさし込んで、その茹でられた栗の中から大きいのを一つ摘み出して、さいぜん米友が上向きに炉の真向のところへ置いた鍋の蓋の上に載せ、
「友さん、ゆだり加減はどうですか、ひとつお毒味して頂戴な」
「よし来た」
 米友はそれを受取って、吹きさましながら皮を剥いて、食べ試み、塩梅(あんばい)を見ながら、
「そうさ、もう一時(いっとき)うでた方がいいだろう」
「そう」
 で、新鍋は蓋を取られたまま、熱湯を縁(ふち)から落さない程度でしきりに沸騰をつづけておりました。
「明日は、これでキントンを拵(こしら)えて、友さんにも御馳走して上げますよ」
「有難え」
 きんとんをこしらえて、友さんにも御馳走をしてやるという言葉で、友さんにだけ御馳走するのでなく、友さん以外の人にも御馳走してやるという心構えがよくわかります。
 事実――お雪ちゃんが、こうして引続き野菜の料理専門にかかっているのは、この変態家族の賄方(まかないかた)を引受けているというのみならず、このごろ入れた幾多の普請方の大工、左官、人足などにまで配布すべきお茶受けの糧(かて)までもその手であしらっているのでした。
 しかしもう、料理方の日課としてのたいていは済ましてしまって、今はこの栗のゆだり上りを待つだけの閑散になりましたから、そこでまたお茶を一ぱい。
 二人はこうして、静かな秋の夜にひたり得る無心の境地を味わいました。

         二十

 かくて二人は、極めて無心、平和、閑寂なる空気のうちに茶話を楽しみましたが、暫くして仲よく銭勘定にかかりました。
 その時分には、もう栗もすっかりゆだり上ったから、新鍋は現役を退いて流し元の方に差控えさせられて、新鍋の代りに、古いほど味の出るという南部の鉄瓶(てつびん)が、燻(くす)ぶった旧地位を自在の上に占有しています。
 米友が炉辺に近く担(かつ)ぎ出した千両箱、それを座敷の真中にザクリとひっくり返した時に、二人が思わず眼を見合わせました。
 深夜の物音としては、意外にそれが響き過ぎたからです。
 その以前、根岸の化物屋敷で、七兵衛所有に属する金箱を、お絹にそそのかされた神尾主膳が突き破ってみたような、あんな不義不正なる物音とは比較にならないが、しかし、静かな夜中に思いの外、異った大きな音がしたものですから、二人は面(かお)を見合わせたのみならず、お雪ちゃんの如きは蛇にでも襲われたもののように、遠く一間ばかり飛びのいたくらいでしたけれども、つもってみればこれは少しも怖ろしい性質のものではなく、れっきとした所有主のお銀様から、用心棒としての米友が託されて、長浜まで両替に行って来たこの金銭――それを今、保管と収支とを託されているお雪ちゃんが、手にかけて、米友に手伝ってもらって計算に当ろうというのだから、形式に於ても、良心に於ても、少しも咎(とが)むべき筋ではないのであります。
 ですから、いったん脅迫観念に襲われたお雪ちゃんも、たちまち思い直して近く寄って来て、散乱したのを掻き集めながら、改めて米友と共に、この小銭の山の取崩しから計算記帳にとりかかりましたのです。
 この小銭を、種類によって、ザクリザクリとわけて数えながら言いました、
「有るところにはあるもんだなあ、金というやつは――」
「ほんとに、そうですね、有るところには有るものです、あのお嬢様のお家には、いったいどのくらいあるんでしょうかしら」
とお雪ちゃんが相槌(あいづち)を打つと、米友公が、
「有るところにはあるが、ねえとなるとまるっきりねえのが金だ」
「全くその通りよ、お金持のところには唸(うな)るほどあっても、貧乏人のところには薬にしたくもないのですから」
「有るところには有り過ぎるほどあって、ねえところには無さ過ぎるほどねえ、そのくせ、誰もみんなこいつを欲しがっていることは同じなんだが、どうしてまた、こいつが集まるところへはうんと集まり、来ねえところへはちっとも来やがらねえんだろう。ケチな野郎だな、この銭金(ぜにかね)という野郎は……」
 米友は数えかけた天保銭を二三枚取って、畳の上に叩きつけました。

         二十一

 宇治山田の米友は、特に銭金に数々の恨みがあるというわけではないが、また生立ちからしても、そう多分に銭金に恵まれつつ育って来た男ではないこと申すまでもありません。
 だから、特に銭というものを呪い憎んだり、またその銭の集積によって勢力を得つつある資本家というものに、特別の戦闘意識は持っていなかったのですが、時々思わず昔のことを思い出して、銭の記憶というものに、あんまりいい気持のすることばかり無かったことが、むらむらと頭へ上って来たものですから、そこで無意識に銭を畳の上へたたきつけてみただけのものなのでありました。
 この時、宇治山田の米友が、ことに銭金について、あんまりいい印象ばかりを思い起さなかったという頭の中を解剖してみると、ほぼ次の如くでありましょうか。今、こうして夥(おびただ)しい銭勘定をさせられてみたところで、急に赤い方へ転向の謀叛気(むほんぎ)をそそのかされたと見る理由もなく、また事実上、この男は、性質は単純であるけれども、意志は鞏固(きょうこ)ですから、そう軽々しく右になったり左になったりする男ではないのです。
 ところで、たった今、急に銭を浚(さら)ってやけに投げ出してみたのは、一時(いっとき)むくれてみた持前の癇癪(かんしゃく)に過ぎません。
 宇治山田の米友は、伊勢の国に在る時に、神宮の前の宇治橋の下で網受けをして生業(なりわい)を立てていたことは、先刻御承知のことであります。彼はなお御承知の通りに、槍の妙術から来るところの芸術的天才を持っていましたから、ほかの子供よりも、その収入が多かったことは当然でありました。
 しかしながら、この商売というものも、ゲッキュウ、ゲッキュウと靴を鳴らして、ならしにみいりのある商売でありませんでしたから、雨が降ったり、雪が積ったりすることに妨げられる商売でありました。日によって、参詣客の投げ銭のはずむ日もあれば、はずまない時もあるのであります。そこで米友といえどもあぶれて帰ることもないではありませんでした。
 米友があぶれるくらいの時は、他の網受けの子供は全くみじめなものでした。彼等は、その日その日に相当のものを持って帰って親方に提供しないことの代りには、或いは折檻(せっかん)となり、或いは締出しとなり、或いは欠食となって反応することを米友が知っていました。そういう場合には、米友は、自分の持っていた収入をほとんど残らず分けてやって、そうして彼等の受くべき折檻と、締出しと、欠食とを、自分が代って満喫せしめられたことも、子供の時分に一度や二度ではなかったのであります。
 そういう時に米友は、しみじみと、銭というものの魔力を思い知らせられたことでありました。僅か幾文(いくもん)の銭がありさえすれば、自分たちはこの虐待と飢餓から救われることだ――銭があればいいなあ、と米友は、夜の寒空に軒端の縁に腰かけて尾上山(おべやま)つづきの星を数え、間(あい)の山(やま)の灯(ひ)の赤いのを恨みわびながら明かしたことも、一晩や二晩ではなかったのであります。
 しかし、そういう時に米友はお君のところへ相談に行くことをしなかったものです。お君へ相談に行けば、お君がまた気の毒がって身の皮をむいて身代りをしてくれるにきまっている。他の苦しみを自分が背負うのはやむを得ないが、それをまた背負いきれないで他に転嫁するということは、結局苦しみの盥廻(たらいまわ)しをするだけのことで、苦しみそのものの救いにもならないし、解消にもならないということを、米友はよく知っておりました。
 そこで米友はガッチリと歯噛みをして飢えと寒さに顫(ふる)えながら、曾(かつ)て一度も苦痛の声を漏らしませんでした。しかしながら、そういう場合に大楼の店先などを通って、銭金を湯水の如くつかう人や、物売りの店棚でおいしい御馳走のにおいをプンプン嗅がせられた時など、彼もクラクラと眼がくらんで、フラフラと足が顫えることがありました。それにも拘らずついにこの男の正義心が、ビタを一枚盗むこと、物を一つちょろまかすことを、絶対に許しませんでした。
 それから、あんなわけで故郷を立退いて、乞食同様になって東海道を下って来た間、どのくらい自ら銭の無い旅の苦しみを味わわせられ、また一方、どのくらい銭の有り余る旅客の贅沢(ぜいたく)ぶりを見せつけられたか知れなかったのですが――この男は銭の有難味を知りながら、ついに銭の誘惑には負けたことがありませんでした。
 米友は今、痛切にその事の記憶をよみがえらされたのですが、そんな思い出話をスラスラと、或いはベラベラと話し出す男ではありません。何とも名状し難い、こし方(かた)の道の思い出を、ガッチリと歯を喰いしばって縛りつけようと試みていたのですが、その事の想像の以外は、どうしてもお君のことにうつらないというはずはありません。
「あっ! いやだな」
 米友が、思わずこう言ってうめいたのが、お雪ちゃんを少し驚かせました。
「どうしたのです、米友さん」
「どうもしやしねえが……」
と言いながら、米友がややあわてて、また事改まったように銭勘定にとりかかると、今度は不意に程近いところで、バサバサと聞き慣れぬ物音が起ったので、かえって米友が驚かされました。
「何だい、ありゃ」
と言っているところへ、続いて同じように、バサバサの音が前よりはちょっと手強く響きましたので、米友が数えかけた銭を置いて、音のした方を見込みながら、その手は我知らず、炉辺に置いた杖槍の方へのびていると、お雪ちゃんがかえって落着いて、
「米友さん、吃驚(びっくり)しなくてもいいわ、あれは鷲(わし)の子なのよ」
「え? 誰の子なんだって?」
「鷲の子なんですよ、ほら、鷲といって、鳥のうちでいちばん大きくて、いちばん強い鳥、あの鳥の子供がいるんですよ」
「へえ……鷲の子がかい、どうして、どこに」
「わたしが飼っているんですから、心配しなくってもようござんすよ」
「どうして、お前、鷲の子なんぞを飼いだしたんだえ」
「どうしてたって、それにはわけがあるのよ、お銀様が村の人から買ったその鷲の子を、わたしが預って世話をしています、それが今はばたきをしたところなんです」
と言っているうちに、たしかに納戸(なんど)の方にいるその鷲の子なるものが、またも続けざまに二度三度はばたきをしました。

         二十二

 米友としては、お雪ちゃんの説明で一応納得(なっとく)したけれども、まだ心残りはあって、鷲の子の存在はそれでいいとしても、今まで静かにしていた鷲の子をして、突然こうもあまたたびはばたきをさせるようになったその誘因というものが、相当気にかかるらしい。
 しかし、鷲の子のはばたきは、それだけでともかくおしまいになって、あとは以前にも増して静かな夜に返りました。
 そうして二人の銭勘定にいっそう身が入るものですから、その銭の音だけがザラリザラリと深夜の畳の上を我物顔に走るのです――初めのうちはそうでもなかったが、あまり静かになってしまったものですから、その銭の音が――自分で数えて、自分で音を立てていながら、お雪ちゃんが、つい、なんだか怖いような感じに襲われてしまって、ついには思わず助けを求めてるような気持にまでなって、米友の方を見ると、米友はべつだん銭の音に、恐怖も戦慄も感じてはいないで、うつむきかげんに数えてはザラザラとやっています。そこで、お雪ちゃんは、米友の数える銭の音までが加勢して、自分の恐怖心に向って食い入って来るような気がしてたまらなくなりましたから、米友に向って何か話しかけて気を紛らそうとしましたが、あいにく急に持ちかける話題が見当らず、なんだか舌がもつれるようで、何と言い出したらいいか、戸惑いをしていたが、やがてやっと、
「米友さん、米友さん」
「何だい」
と、米友は相変らず下を向いて平然たる返事だものですから、それに少しばかり勇気をつけられて、
「武州の高尾山ではね……」
「うむ」
「武州の高尾山の奥の院で、ある晩に、天狗様がこうしてお銭(あし)の勘定をしていましたとさ」
「天狗様が銭勘定をかい、イヤにみみっちい天狗だなあ」
「そうするとね、次の間で、どろぼうがそっと立聞きをしていたんですとさ」
「なるほど――」
「ところが、どうでしょう、そのどろぼうが、天狗様の銭勘定をしている次の間の壁板に耳をくっつけて立聞きをしているうちに、その耳が壁へすっかりくっついてしまったんですとさ。天狗様が、誰だ、そこで立聞きをしている奴は……と叱ったものですから、驚いてその盗賊が逃げようとしたが、板に耳がくっついてしまったものだから離れられないのです。で、とうとう小柄(こづか)を抜いて自分の耳を切り裂いて逃げたと言いますがねえ、その耳の附いた板が、今でもあのお山に宝物となって残っているそうです。それを思い出したせいか、わたしはあんまり静かにしてお銭(あし)を勘定していると、次の間で誰か立聞きをしているものがあるのじゃないかと思われてなりません。米友さんは?」
「おいらは何とも思わねえが、どうも誰か人が来るような気がするにはする」
「それごらんなさい、わたし、どうもさっきから、何かわたしたちの背後(うしろ)に来ているものがあるような気がしてなりません」
と言った時に、突然、入口のところで、
「は、は、は、は」
という笑い声がしたので、お雪ちゃんも、米友も、びっくりして銭勘定の手を休めて、その笑い声のした方を見ると、ガラリと潜り戸をあけて平気な面(かお)で入って来て、上(あが)り框(かまち)に腰をかけて、こちらを見ながら、にやにやと笑っているのをお雪ちゃんが見届け、
「あら、不破の関守さん」
「お二人さん、よく御精が出ますな、お宝の勘定は悪くないものでござんしょうな」
とお世辞を言ったのは、二人ともに充分納得のゆく、この新屋敷の同居人、不破の関屋の関守氏でした。

         二十三

 同居人とは言いながら、離れた本館の方に在(あ)って、常にお銀様のために、工事と計画の参謀と、その監督に当っている人ですから、突然こうしてここへ来ようとは思っていなかったのですから、意外というのは、ただそれだけなのです。
「よくいらっしゃいました、どうぞこちらへ。おや、どこぞへおいでのお帰りでございますか」
とお雪ちゃんが、関守氏の相当な足ごしらえを見ながら、炉辺に請(しょう)じますと、関守氏は、
「いや、拙者も長浜まで行って参りましたよ、お銀様から急用を頼まれましてな。その頼まれた急用というのはほかじゃありません、友造君を迎えに行ったのです。友さん、よく無事で帰れましたね」
「そりゃ、出て行ったもんだから、帰るのがあたりまえだあな、お前、わざわざ迎えに来てくれなくったって、おいらあ一人で帰れるよ、女子供じゃあるめえし」
と米友が言いました。
「もちろん女子供じゃない、常人以上に勇敢なる友造君なればこそ、お銀様もわざわざ君に両替の宰領を託したわけなんだが、もしやあの百姓一揆(いっき)の渦の中に捲き込まれるようなことになりはしないか、それを心配したものだから」
「そんなこたあねえ」
と米友が力(りき)むのを、お雪ちゃんが、
「まあ、百姓一揆? 何か騒動が起ったのですか」
「お雪ちゃん、あなたはまだ御存じないのですか、長浜在で代官を相手に農民共が一揆暴動を起してしまって、容易ならぬ事態に陥ったという風聞(うわさ)がここまで聞えたものだから、それでお銀様が心もとながって、そうして拙者に、友造君を迎えながら様子を見て来てくれと言われたものだから、早速単身で斥候(ものみ)に出かけてみたが、いや、事態は全く重大で、うっかり近づけない、そこで、ともかく近寄れる距離に近づいて、探れるだけの事情を探訪して、ようやくいま引返して来たところなんだがな、とりあえずここへ駈けつけて、外で様子をうかがっていると、友造君が無事に立戻ったことの確かなのを知り、ホッと安心したというわけなんです」
「ははあ、そうか、それでわかった、誰か外に人がいるようだとそうは思っていたよ」
と米友は、何か思い当るところあるものの如く、ひとり合点(がてん)の声を立てると、関守氏は、
「そういうわけだから、まだお銀様にも復命していないのです、一刻も早くお館の方へ行って、お銀様にその事情を話して、明朝になってまたとって返して、こちらへやって来て委細をお話し申しましょう」
と言って関守氏は、立てともしにして置いた提灯(ちょうちん)を取り上げて、また同じ口から閾(しきい)を跨(また)いだが、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)から問答をでもしかけられたような形になり、片足は外へ出して、
「ところで、さしあたり一つ心配なのは、その一揆暴動の崩れが、或いはこの辺へ押寄せて来ないとも限らない、胆吹山(いぶきやま)というところは昔から落人(おちうど)の本場なんだから――そこをひとつ、念のために用心をして置いて下さいよ、一時にそう潮(うしお)の押寄せるようにここまで押寄せて来るはずはなかろうけれども、一人二人、どちらのどんな奴が迷い込んで来ようとも知れぬ、戸締りをよくして置いて下されよ」
 こう言い置いて、外の闇の中に身を没しました。
「友さん、よく戸締りをして頂戴」
「大丈夫だ」
「いま関守さんが出て行った入口を、しっかり締めて、錠を下ろして頂戴な」
「なあに、あれはただ用心のために言っただけなんだから」
「でも、用心の上に用心に如(し)くは無しですから、もうすっかり締めてしまいましょうよ」
「じゃ、お前(めえ)の安心のために……」
と言って米友は立ち上って、土間へ下り、関守氏が入って来たところの出入口をぴったりと締めきって、枢(くるる)をカタリとおろしてしまい、
「これで、すっかり締めきりだ」
「廊下のしまりの方もお頼み致しますよ」
「よしきた」
 すべて抜かりなく締めきってしまって、さて二人とも、以前の座に戻ったけれども、お雪ちゃんは、もう絶対に銭勘定を繰返そうという気になれませんでした。
 そこで米友は緡(さし)を取って、穴あき銭をそれに差込んでいると、暫くあってお雪ちゃんがその手を抑えるようにして、
「今晩はもうこれだけにしましょうよ、なんだか怖いから、お銭(あし)の音をさせないで頂戴な」
 お雪ちゃんから哀求的に言われたので、米友も、強(し)いてとは進みきれない心持になりました。
 こうなると、二人はもう寝ることだけの仕事が残っているようなものです。当然お雪ちゃんが言いました、
「お寝(やす)みなさいな、米友さん」
「お雪ちゃん、お前、先に寝みな、おいらまだ眠くねえ」
「でも、ずいぶん疲れてるでしょう、わたしがここにお蒲団(ふとん)を敷いてあげますから」
「いいよ、おいらはゴロ寝でかまわねえんだ、お雪ちゃん、お前、先へ寝な」
「でも、友さんを残して置いて、わたしだけ先へ寝るのは済まないわ」
「遠慮は要らねえよ、おいらのことは、人並みに扱わなくってもいいんだからな」
「そういう理窟ってありませんわ、あなたも人間なら、わたしも人間です」
とお雪ちゃんが、妙なところへ人間平等論をかつぎ出したのは、米友に議論を吹っかけるつもりではない。つまり米友が、おいらのことは人間並みに扱わなくってもいいんだから――と言ったのだが、聞きようによっては、ずいぶん拗(す)ねた、僻(ひが)んだ言い分に聞えるのですが、米友のは、そういう意味でなく、むしろ自慢の意味も含んで――おいらのことは人並み以上に身体(からだ)が鍛えてあるんだから、人並みの待遇をしてくれなくとも意とするには足りないのだ、という言い方なので、これはお雪ちゃんもわかっているけれども、言い廻しが言い廻しだったものだから、そこでお雪ちゃんも、妙な人間平等論の切先(きっさき)が出たわけなのです。
 しかし、お雪ちゃんは口前ばかりでなく、この時にはかいがいしく立ち上って、戸棚から夜具蒲団を取り出して、まず米友のために一方へ敷き展(の)べ、その間へ小屏風(こびょうぶ)を立て、そうして、次に自分のためにほどよきところへ蒲団を敷きかけた時に、またしても今まで静まり返っていた鷲の子が、急にけたたましいはばたきをはじめたものですから、蒲団を持ちながらハッとしました。

         二十四

 鷲の子のまたしても不意に、今度は以前より一層また慌(あわただ)しく、けたたましくはばたきをやり出したのに驚かされたのは、お雪ちゃんばかりではありません。
 米友も屹(きっ)となって、その時、鷲の子のはばたきのした方向よりは、ふり仰いで自分のいる天井の上を見上げたのです。
「お雪ちゃん」
「何です、米友さん」
「何か来ているぜ」
「おどかしちゃいやよ、友さん」
「おどかしじゃねえ、何か来ているんだよ、この上の方に、てんまるじゃねえかな」
と言って米友は、天井の上を屹と見上げたままです。その途端に、鷲の子のなお一層はげしいはばたきの音が、連続的に響いて来る。お雪ちゃんは、そのはばたきの音の方だけが気になるが、米友はかえって、それとは別角の天井の上を首の疲れるほどながめ、且つ耳をすましながら、
「ほら、お雪ちゃん、お聞き、この上の方で、もう一つはばたきの音がするだろう、あれ、木を食い切るような音が――」
「ほんに……」
 お雪ちゃんは耳を傾けると同時に、楯(たて)を裂くような、何とも言えない強い肉声が聞えました。
「あ、わかりました、わかってよ、米友さん、あれあれ、あのお庭の松の木の上でしょう」
「そうだ、たしかに松の木の上あたりだ」
「鷲が来たんですよ、親鷲が、この鷲の子を取戻しに来たのです」
「そうか、そいつは……」
 それから、物凄い鳥の叫びが屋根の上で起ると、にわかに大風を起したような物音が、例の松の大木の上でする。そうすると、その声と物音とを聞きつけて、こちらの鷲の子が、バサバサ、ガタピシと、もう矢も楯もたまらずに、檻(おり)の中で飛び狂うのが手に取るように聞えるのです。
 米友は、そこで杖槍を引寄せてみましたけれども、さし当りどちらへ向っていいのか戸惑いの形です。
 お雪ちゃんは、ただオドオドしている。
 いかに短気一徹な米友でも、これはちょっと相手に取り難いものがあるのです。事情によって判断すれば、この戸外の松の大木あたりに、猛鳥が来て狂っていることは事実だが、それはなにも我を襲いに来たわけではない、親として子を思うという、徹底的に深刻純真なる本能が如実に現われたというまでのことであり、一方はまた、なにも我々を驚かし騒がせんがためにむやみにはばたきを試みたというわけでもなく、捕われの身の子として、親が戸外まで迎えに来ているということを知ってみれば、居ても立ってもいられないのは、何人といえども見易(みやす)き、これも単純にして深刻なる本能の発動に過ぎないのであります。
 しかし――天上天下一切万象が、皆この単純なる本能によって支持されている。
 お雪ちゃんも語らず、米友も問わないけれど、この物の道理は、ひしと二人の胸にこたえています。ですから、米友は得意の杖槍は取りは取ったけれども、これを持って外なる親に向うべきか、内なる子を戒(いまし)むべきか――途方に暮れているのもまた、やむを得ないものがある。
「やかましいやい!」
と、米友が思わずじだんだを踏んで、こういって怒鳴りつけてみましたけれど、その悪罵(あくば)には毒を含んでいませんでした。それのみか、その眼に何となしに露を帯びている。
「やかましいやい! いいかげんにしろ、鳥!」
 最初は天井を見上げて言ったのだが、次には軒の方に向って叫びました。お雪ちゃんもまた最初から途方にくれて、
「友さん」
「うむ」
「どうしようねえ」
「どうしようったって……やかましいやい、鳥!」
 米友が二度、じだんだを踏みました。
 この場合、さすがの二人も、上と下とで、かけ合わせる鳥類の猛絶叫のために、完全に圧倒せしめられたようなものです。
 その結果、二人とも全くの沈黙に陥れられてしまいました。だが上と下との鳥類は、単に一方が一方に弥次(やじ)り勝って、一方を沈黙させれば、それで勝利の満足の快感に酔うというスポーツ的興味のために喚(わめ)いているのではないのですから、内なる二人が沈黙しようとも、すまいとも、その怒号と喧噪とをやめることではありません。
 ただ不思議と思われるのは、高い樹上で怒号している親鷲なるものが、なぜもっと近く、庭上、少なくとも地上まで降りて来ないかということでありました。いかに猛禽(もうきん)が降り立って肉薄して来(きた)っても、戸締りはさいぜんがっしりとしてあるから、室内まで異変を及ぼすということは、万(ばん)ないにきまっているが、ここまで来て、ああして騒ぐ上は、たといくろがねの垣根一枚が破れようとも、破れまいとも、もっと近く肉薄して来なければならないと思われるのに、声の烈しくして切なるわりには、距離が遠くして高過ぎるきらいがある。
 しかし、いよいよ加わってくる絶叫を、全く沈黙して聞くだけでは、聞く方がやりきれたものでない。
「叱(し)ッ、叱(し)ッ、こん畜生」
と罵(ののし)りながら、じだんだを五たびも六たびも踏みましたけれども、結局、出て行って追い払おうとするでもなし、咽喉笛(のどぶえ)を抑えつけて鳴かせまいとするでもない。
「困りましたねえ」
 お雪ちゃんは、敷きかけた蒲団(ふとん)を吹流しのように持ったまま、天を仰ぎ、軒をながめて所在に窮している。
 米友はついに、せっかく手にした杖槍を投げ出して、炉辺へ来てどっかと小さな胡坐(あぐら)をかいてしまいました。お雪ちゃんが敷きかけた蒲団を抛(ほう)り出して、
「あれ、また、あんなに鷲の子が荒(あば)れ出しました、籠をこわしてしまやしないかしら、友さん、どうかして頂戴、籠をこわして飛び出されては大変ですから」
「待ちな」
と言って、いったん炉辺へ坐りこんでみた米友はまた立ち上って、その鷲の子の猛然たるはばたきのする納戸(なんど)の方へ行こうとすると、お雪ちゃんが、早くもその新しい調度の一つなる行燈(あんどん)をつり下げて、米友の先に立ちました。米友のために案内して、鷲の子を預かっている次の納戸の隅の方へと光を持って行くのです。まもなく米友は、大きな鉄の四角な鳥籠を一つ抱え込んで、こちらの座敷へ持ち込みました。人間に抱えられたと見ると、なおいっそうはばたきと暴勢とを加え、また一種名状し難い哀叫怒号を加えて荒れ廻るのを、米友は籠ぐるみ牛蒡抜(ごぼうぬ)きにした恰好で抱き出して来て、そうして炉辺の一方へ押据えたが、動揺を防ぐために、のし板を持って来てあてがった上に、沢庵石(たくあんいし)かなにかを臨時の押えとして重しをかけ、さて自分は、以前の炉辺へ戻って、どっかと小さな胡坐をかいて、爛々(らんらん)たる眼を見開かして、そうして籠の中を注視監視の姿勢を取りながら、その処分方法を考え込んでいるものらしい。

         二十五

 かく内と外と相呼応する物騒がしさのうちに、宇治山田の米友は、泰然として坐りこんでみたものの、実は米友としては余儀ない次第なので、さすがに生一本のこの男も、ほとほと手のつけようがないのです。
 お雪ちゃんはもとより、おどおどとして為(な)さん術(すべ)を知らない。
 しばらくあって、決然として米友が立ち上りました。
 決然として立ち上ると共に、猛然として、籠の上ののし板を取払ったと見ると、その籠を力にまかせて、肩の上までかつぎ上げましたからお雪ちゃんが、
「友さん、どうするの」
「仕方がねえから……」
と言って米友は、雨戸の際まで子鷲(こわし)の入った籠をかつぎ出して、そこで、片手でもって心張棒(しんばりぼう)を取外(とりはず)し、鍵を上げて、カラリと戸を押開いたものですから、お雪ちゃんが、
「友さん、それを逃がしちまってはいけません」
「だッて……」
と米友は少しどもりながら、籠の戸を表の方に押向けると、その手は早くも水門口を開くように、籠の戸を引き上げにかかったものですから、またもお雪ちゃんが、
「友さん、逃がしちゃいけません、逃がしては、わたしが申しわけがないじゃありませんか、お嬢様に叱られるじゃありませんか」
「だってお前、子供を親許へ返してやるんだから、理窟はこっちにあらあな。もともと、親の子を、こっちが横取りしたのが悪いんだあな。慰みがてら、親の留守をねらって取っつかまえて来た子鷲なんだろう、だから、考えてみると、こいつをこっちへ置くのが道理に外れたことで、返してやるのが人情だあな」
と米友が答えました。
「それはそうかも知れませんが、友さん、お前が預かったんじゃない、わたしが、お嬢様から頼まれて引受けたのですから、逃がしてしまっては、わたしが叱られるじゃあないの、わたしが申しわけがないじゃありませんか」
「だからいいよ、罪をおいらがきるからいいよ、申しわけなら、おいらがしてやらあな、叱られるなら、おいらが叱られてやらあ。いったい、お嬢様お嬢様って、あの女に、みんながお代官ででもあるように恐れ入ってしまってるのが、おいらにはわからねえ、お嬢様であろうと、お代官であろうと、道理と人情に二つはねえ」
と米友が答えました。
「そりゃ米友さん、お前だけに通る理窟で、どっちにしても困るのは、わたしよ」
「おいらだけに通る理窟なら、世間一般に通らなけりゃならねえんだ、おいらは、まだ世間に通らねえ理窟を言った覚えはねえ」
と、米友がお雪ちゃんのためにたんかをきって、自分の信ずるままを強行しようとしますとお雪ちゃんは、ちょっと当惑をして、
「それはそうですけれども――」
「おいらが罪をきるからいいよ、お嬢様なんて、そんなに怖(こわ)い女じゃねえよ」
 米友はついに、籠を戸外の縁側へ押し出してしまいました。取縋(とりすが)ってみたところで、お雪ちゃんの力では、米友の地力を如何(いかん)ともすることができません――だが、目に見えないあの暴君タイプのお嬢様の圧力が、この時も、うしろからひしひしとお雪ちゃんの背中に迫るように感ずるのに、米友は一向その辺になんらの気兼ねを持たないらしい。事実、今の世に、お銀様を恐れない人は、この男一人かも知れません。あの暴女王をつかまえて、目の前でポンポン争い得るものは、まずお雪ちゃんの知れる限りでは、この米友さんのほかにはないらしい。そうして、多くの人が、腫物(はれもの)にさわるように、あしらい兼ねている前で、つけつけと物を言って、自分も更に憚(はばか)るところはないし、第一、当の暴女王その人が、黙ってこれを聞き流しているのみか、烈しく当られて、かえって暴女王が面(かお)をそむけて、米友の鉾先(ほこさき)を避けようとすることさえあるのを見受けるのです。
 米友はついに、後ろへ向けた籠の戸を充分にあけ払ってやると、はばたきをして、丸くなって、外の闇へ躍(おど)り出してしまった鷲の子。
 その途端に、さわがしい羽風を切って松の枝下から、ある程度まで舞い下ったらしい大鷲――それと迎合しようとして、まだ脾弱(ひよわ)い羽をのして、空中に向ってはばたきをする子鷲――
 やや暫く、空中と地上との闇の宙宇(ちゅうう)で、二つの鷲が舞いつおどりつしていたもののようであったが、やがて、のしきった羽風の音が、胆吹山の山上へ向って真一文字にうなり出すと、それで、さしもの動揺が全く静まり返ってしまいました。
 つまり、解放された子鷲は、親鷲にすがり、取戻しに来た親鷲は、首尾よく捕われの子を拉(らっ)し得て、翼の上に載せたか、爪でかき提(さ)げたか、暗いからその細かいことはよくわからないが、完全にわが子を取戻して、そうして親子は夜空に羽風をのしつつ、古巣をめがけて飛んで行ってしまったことは確実なのであります。
 その時、米友は庭へ下りて、松の丸の大木の根方に立って、鷲の飛び去った方の胆吹山の空をのぞんで突立っていました。
 宇治山田の米友は、こうして、しばらく空をながめて突立っていましたが、なんとなく名状し難い、一種の空虚な感じが頭の中にわいて来て、たまらなくなったものと見え、松の根方に、またも二度三度、じだんだを踏んで、
「ばかにしてやがら」
と言いました。
「ばかにしてやがら」――しかしながら、誰もこの場で、米友をばかにしているものは無いのです。もし、米友をここでばかにしたものがありとすれば、それは子鷲を拉し去った親鷲でなければならないのだが、あの二羽ともに、米友に対して感謝こそすれ、ばかにしているはずはないのです。畜生の悲しさに、なんらの意志表示もしては飛んで行かなかったけれども、夜の中空を、羽風を切って飛び去る猛鳥の姿は、米友をして一種豪快の念に堪えざらしめていたはずです。ですから、「ばかにしてやがら」と言ったのは、飛び立って行った鷲の親子に向けて発した怨(うら)み言(ごと)ではありません。
 といって、この期(ご)に及んで、お雪ちゃんにとばしりを向けて剣突(けんつく)をくれてみよう理由はありませんから、結局、米友としては、的なきに矢を放っているようなもので、「ばかにしてやがら」――
 それはまあ、一種の自己冷嘲として見ればいいのです。だが、何の故に、この際、自己冷嘲を試みて自ら慰めるのかという論議の段になってみると、これまた分析が相当にむずかしい。
 何か、米友公には米友公相当の感情が、むやみに頭の中に群がって来てみたり、また、それが急に遁逃(とんとう)して空虚にされてしまったりする場合に、どこへ的を置いて矢を放っていいかわからないから、そこで突発的に、「ばかにしてやがら」――
 今もただ、そんなようなきっかけで、「ばかにしてやがら」と鼻の先で言い捨てて、その途端に、手にしていた例の杖槍の一端を取ると、それをグルリと半径にブン廻しました。
 杖槍を半径にブン廻してみると、自分の胸の筋肉が、かあんと鳴りました。
 その筋肉の震動が、なんとなく米友に、一味の快感を与えたと見られます。それから即座に立ち直って、今度は頭の上へ持って来てブン廻して、見事に全円を描いてしまいました。

         二十六

 米友の自己陶酔の幕はそれから始まりました。
 甲府城下の霧の如法闇夜(にょほうあんや)に演出した一人芝居は、あれは生命(いのち)がけの剣刃上のことでしたから、前例にはなりません。信州川中島の月の夜にこそ、一度この米友の自己陶酔を見かけたことがあるのであります。
 今宵、たった今、米友は棒を振り廻してみることに、我ながら絶えて久しい自己快感を覚えました。それから、松の丸の松の根方の芝生の上で、真剣になって型をつかいました。川中島の時は、たしか月の夜でありましたが、ここは、おろちの棲(す)む胆吹山下、降るような星の夜であります。
 今、米友が縦横無尽にその型をつかい出しました。
 それは何の型? 御承知の通り、この男には特に何流何派の型というのは無いのです。幼少の頃、淡路流を少し学んだということのほかには師に就いたことはないが、その後、おのずから独流の型は出来ているのです。本人はそれを型とは気がつかないで、ひとり自己陶酔で、舞いつ踊りつしているようなものだが、見る人が見ると、その奇妙きてれつなる、型にあらずしておのずから型に合っている。ただ惜しいことには、見る人に見せる場合にのみ、この男の芸術的昂奮が起らないことです。無心したところで見ようとしては見られず、無心しなくても突発的に、川の中であれ、山の下であれ、起るべき時に起るその芸術的昂奮と自己陶酔――当人が見せようと思ってやるわけではないから、周囲が見ようと願っても見られない代物(しろもの)。
「一ハ打(だ)シ、一ハ刺ス、棒ニ刃(やいば)ナクンバ何ヲ以テ刺スコトヲ為(な)サン。
今一刃ヲ加フ、但シ刃長ケレバ則(すなは)チ棒頭力無シ、他ノ棒ヲ圧スルコト能(あた)ハズ、只二寸ヲ可トス、形鴨嘴(あふし)ノ如シ。打スレバ則チ棒ヨリモ利アリ、刺ストキハ則チ刃ヨリモ利アリ、両(ふたつ)ナガラ相済(あひすく)フ、一名ヲ棍(こん)ト曰(い)フ、南方ノ語也、一名ヲ白棒ト曰フ、北方ノ説也。
孟子曰(いは)ク、梃(てい)ヲ執ツテ以テ秦楚(しんそ)ノ堅甲利兵ヲ撻(たつ)スベシ……」
 米友としては、前人の型を追わない如く、前人の説を知らないのだから、独得の武器そのものも、暗合はあるかも知れないが、模倣は断じてない。
 さればこそ、この自己陶酔によって示すところの型のうちに「大当(だいとう)」の勢いが現われようとも、「斉眉殺(せいびさつ)」の型が転がり出そうとも、「滴水」が「直符」に変化し、咄嗟(とっさ)に「走馬回頭」の勢いに転じようとも、進んでは「鉄牛入石」の型が現われ、退いては「竜争珠(りょうそうじゅ)」の曲に遊び、或いは「鉄門※(てつもんせん)[#「金+俊のつくり」、306-14]」となり、或いは「順勢打」となり「盤山托」となる。一肌一容(いっきいちよう)、体をつくし、研を究めようとも、彼は学んで而してこれをなし得るのではないから、示して以て能を誇るのでもない。況(いわ)んや衒(てろ)うて以て剽(ひょう)するものでないことは勿論である。
 今や米友は、むやみに愉快でたまらなくなりました。無論、時間のところも頓着はありません。それも全く無理のないことで、人はそれぞれその楽しむところに於て三昧(さんまい)に入り得る特権を持っているのですから、この男が唯一の芸術に、我が三昧境に、我を忘るるはやむを得ないことですが、ただ一つ他目に見て不思議なことは、お雪ちゃんというものが、その後、なんらの挨拶をしていないということであります。
「友さん、何をしているの、イヤな友さん、一人相撲の真似(まね)なんか、およしなさいよ」とかなんとか、呼びかけなければならないところなのですが、米友が陶酔境からついに三昧境に入るまでのかなり長い時間を、悠々とここにひとり遊ばせて置いて、お雪ちゃんその人がなんらの注意を呼び起していないということが不思議でした。
 そのうちに米友も、夢からさめたように三昧境を出でるの時が来て、ホッと息をつくと、杖を松の樹に立てかけて、錬鉄の肌ににじむ玉のような汗を、腰にブラ下げた手拭で拭いにかかり、
「うんとこ、とっちゃん、やっとこな」
と言いました。
 どこで聞き覚えたか知れないが、こんなわけのわからぬ言葉を口走る点は、たしかに幾分清澄の茂太郎にかぶれたものなんでしょう。
 そこで、沓(くつ)ぬぎに草履(ぞうり)を脱いで、以前の座敷に上り込もうとしたが、ふと妙な気配を感じました。

         二十七

「お雪ちゃん」
 当然、先方から呼びかけられなければならないところで、米友の方でダメを押しました。
 なるほど、自分ながらそう思って見れば、自分としてはかなり長い時の間、遊戯を試みていたのだが、その間、お雪ちゃんはどうした。こっちはこっちで楽しんでいたんだからいいようなものの、先方の身になってみると、「米友さん、何をしているの」と一言、たしなめてみてもよかりそうな場合であったではないか。
 お雪ちゃんが、今まで何とも言わなかった、あの子のことだから、いるんなら何とか言ってくれなけりゃならぬ場合なんだが、いっこう挨拶がないところを以て見ると、いないのかな。

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