東西伊呂波短歌評釈
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著者名:幸田露伴 

 低価の貨物を買ふ勿(なか)れとは江戸の人の気象をあらはし、闇夜に鉄砲を放つがごときことを為すを嘲るも亦、京坂地方の人の気象をあらはせり。
東 負けるは勝
西 まかぬ種子(たね)は生えぬ
 気を負ひて忍びざる東に、負けるは勝の諺の用ゐらるゝもおもしろく、理智に長けたる人多き西に、播かぬ種子は生えぬといへる諺の用ゐられあるは当に然るべきやうに思はる。
東 芸は身を助ける
西 下駄に焼味噌
 東のは意明らかなり、西のは汚潔混淆の愚を斥けたるにや、其の意不明にして確解すべからず。
東 ふみはやりたし書く手は持たず
西 ふくろうの宵だくみ
 東のは幼にして学ばざりしを悲み、西のは思ふこと多くして做すこと少き痴を笑へるにや。西のは、もとは「武士は喰はねど高楊子」とありし由なり。
東 子は三界の首枷
西 これにこりよ道西坊
 欲界より色界無色界に至りても、親子は恩深ければ、枷鎖相纏はりて脱せずといへるは東のなり。西のは其の意明らかならねども、秘事は四知を免れず、拙為は独歎を発するに足れり。凡庸の徒おほむね先見無し、一蹉躓一顛倒して後自ら懲戒するも、数の免る能はざるところなり。唯よく自ら懲り自ら戒めよとならん。
東 えてに帆を上げ
西 えんと月日
 東は意を得て勢に乗ずるを云ひ、西は因縁の到来と日月の経過とを待ち得ば、苦去り甘来らんと云へるなり。むかしは、「縁と月日」と云ふ語ならずして、「栄曜に餅の皮むく」と云へる語なりし由也。
東 亭主の好きな赤烏帽子
西 寺から里へ
 松浦肥前守、赤き烏帽子を戴きしといふ奇解の塩尻に出でしより、人皆之に従ひて怪まず、多くの画にも、人の赤き烏帽子冠れるさまを描きたれど、土地によりては、赤烏帽子と云はずして、「亭主の好きな赤鰯」といふもあるなり。赤鰯は鰯の塩蔵若(もし)くは乾蔵せるものにして、其の味の美ならざること言ふまでも無し。語の意は、赤鰯珍とするに足らず、されど亭主之を好まば又数□用ゐられんのみ、人之を如何ともする無し、といふに在り。寺から里へとは、物の顛倒せるを云ふ。二諺共に妙無し。
東 あたま隠して尻かくさず
西 あきなひは牛の涎
 東のは蔵頭露尾の醜を笑ひ、西のは商估の道、気を伏せ心を寛うすべきを云へるなり。西の諺教へ得て甚だ好し。
東 三遍回つて煙草にしよ
西 猿も木から墜ちる
 能く勤めて而して後休む可しと云ふは東のなり。既に慣るゝも猶且つ過つ有らんと云ふは西のなり。共に嘉言にして佳趣あり。
東 聞いて極楽見て地獄
西 義理と犢鼻褌
 東のは、耳聞と目撃との甚だ異なるを云ひ、西のは、欠く能はざるものの畢竟欠くべきにあらざるを云へるなり。東の方の諺佳趣あり。
東 ゆだん大敵
西 ゆうれいの浜風
 東のは意義顕露なり。西のは情趣晦昧なり。幽魂の海風に吹き散ぜらるゝが如く、力無きものの、終(つひ)に自ら保つ能はざるを云へるか。西の諺、東には行はれず。
東 めの上のたん瘤
西 めくらのかきのぞき
 眼上の肉瘤、甚だ厭ふ可く、盲者の目を張る、又何の益あらんとなり。二諺共に佳趣無し。
東 身から出た錆
西 身は身でとほる
 東のは□花外より到るにあらず、災星多くは自ら招くを云ひ、西のは、口あれば食はざること無く、肩あれば衣ざること無く、憂ふる勿れ身あれば即ち活くに足るとなり。東西共におもしろし。
東 知らぬが仏
西 しわんぼの柿の核子(たね)
 無悩又無憂、知らざるもの即ち是れ仏なり。吝嗇の徒柿の核子にもまた依□恋□として之を棄つる能はざる、悲む可く笑ふ可きなり。東の方おもしろし。
東 縁は異なもの
西 縁の下の舞
 東のは赤縄紅糸の相牽連するは、人意を以て測る可からざるものあるを云ひ、西のは縁の下の舞の舞ひ得て妙なるも、堂上の眼に入らざることを云へるなり。東の方にて「縁の下の力持」と云ふよりも舞といへるはおもしろし。
東 びん乏暇無し
西 瓢箪に鯰
 貧者余閑無しといへる、瓢箪は鯰を捉ふ可からずといへる、二語共に妙無し。西の諺、むかしは「膝がしらの江戸行」といへるなりしよし。
東 もんぜんの小僧習はぬ経を読む
西 餅屋は餅屋
 東のは薫染の力の大なるをいひ、西のは当業の技の優れたるを云へる、意は異なれど、勝劣無きに近し。
東 せに腹はかへられぬ
西 雪隠で饅頭
 東のは、親は疎に代ふる能はざるを云ひ、西のは自利の念の甚しきや陋醜唾棄すべきの事を敢てするに至るを嘲れるなり。西のの諺、痛刻ならざるにあらず、たゞ其の狠毒(こんどく)の極汚穢を諱まざるを病む。
東 粋が身をくふ
西 雀百まで躍りやまず
 才有り行無くして路花(ろか)墻柳(しやうりう)の間に嬉笑するもの、多くは自ら悦び自ら損ずるを悲めるは東の方の諺にして、※薄(けんはく)[#「還」の「しんにゅう」に代えて「けものへん」、読みは「けん」、164-17]乖巧(くわいかう)の人の其性改まらずして、老に至つて猶紅灯緑酒の間に※[#「遍」の「しんにゅう」に代えて「あしへん」、読みは「へん」、164-17]※[#「遷」の「しんにゅう」に代えて「あしへん」、読みは「せん」、164-17]するものを歎ぜるは西の言なり。二語皆佳。
東 京の夢大阪の夢
西 京に田舎あり
 京の夢大阪の夢といへる諺、古より明解無し。無境漂蕩定まり無きを云ふ歟、或は曰く、京に在つて夢みる時は却て大阪を夢むといふの意にして、夢魂多くは異境に飛び旧時に還るを云へるなりと。京に田舎有りといへるは、物必らずしも全美全雅なる能はざるを云へるなり。西の諺、意明らかにして趣有り。




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